1. ブログ マチベンの日々

ブログ マチベンの日々

播磨アルプスを歩く

 
2019年6月9日(日)晴天で蒸し暑い中、播磨アルプスを歩いた。
播磨アルプスとは、兵庫県加古川市と高砂市にある高御位山(たかみくらやま)を中心とした山々で、岩肌が露出している箇所が多いところから、こう呼ばれているらしい。
 
高御位山は、標高304M。
大文字山の火床辺りの高さなので、簡単に登れるだろうと「軽い」気持ちで出かけた。
 

 
出発は、鹿島神社の本殿横の登山口から。
鹿島神社には、チタン製の巨大な鳥居がある。こんな鳥居は初めて見た。
 

 
登山口から急坂を登って行くと、岩肌がむき出しになったかなり急勾配の岩盤があり、そこを時に這いつくばりながら登って行く。
岩そのものは固く頑丈で、歩いても崩れることはなかった。
 

 
稜線に出ると、そこからは快適な稜線歩きかと思いきや、展望は良いものの、かなりのアップダウンがある登山道だった。
その上、太陽と蒸し暑さとで、何度も休憩を取った。
登山道脇に咲いていたササユリが束の間の憩い。
 

 
やっと山頂に到着。
山頂には大きな碑が立っていた。
山頂の奥には神社もあったようだが、そこまでは行かず、昼食にした。
 

 
下りは、長尾ハイキングコースを一気に下った。
上りのルートと違って、ほとんど直線的に下る道だったので、アッという間に下山できた。
 
低山だったのに、へこたれた山歩きだった。
 
 
 

「老後2000万円」の衝撃

 
夫65歳、妻60歳の夫婦が95歳まであと30年間生活するのに必要な蓄えを約2000万円と試算した金融庁金融審議会の報告書案が、国会でも社会的にも大きな問題となっている。
 
批判が広がる中、政府はこの報告書案の受け取りを拒否したが、いくら政府が受け取りを拒否しようと、年金だけでは95歳まで生活できないということは紛れもない事実だ。
しかも、報告書に盛り込まれた「月に5万円の赤字」とする試算の根拠が厚生労働省が示した資料であったことも6月13日判明した。
他の試算では「1500万円」というものもあるが、いずれにしても、報告書案が言う対策としての「投資」などできるはずがないというのが、多数の国民の実感ではないだろうか。
 
政府がこれまで言ってきた年金「100年安心」というのは、高齢者が増え若い世代が減れば年金の水準を自動的に減らすことで年金制度を維持するという意味であり(マクロ経済スライド)、既に、2004年の小泉政権の時代から導入されている。
「そんなこと聞いてないよ」と、今回の「老後2000万円」問題で、このような改悪年金制度に初めて気がついた国民も少なくないと思う。
 
今、必要なことは、年金の水準の引き上げであり、年金だけで生活ができる保障である。
今回の「2000万円」衝撃は、そのことに気がつかせてくれた。
 
今度の参議院選挙でその意思を示しましょう!
 

グランカナリア島の「憲法9条の碑」

 
大西洋に浮かぶスペイン領カナリア諸島のグランカナリア島に、「憲法9条の碑」があることをご存知だろうか。
「憲法9条」は、もちろん日本国憲法9条である。
 
私は、もう何年も前に、何か本の記事かエッセイで読んで感銘を受け、当時、憲法問題での講演を依頼された時には、必ず、この遠い異国の地の「憲法9条の碑」のことを紹介していた。
憲法9条の碑があるテルデ市は、スペインがNATOに加盟した時(1082年)、これに反対して非核都市を宣言。その後、9条の平和主義に共感した市長の主導で、公園の一角を「ヒロシマ・ナガサキ広場」と名付け、そこにスペイン語で刻まれた「憲法9条の碑」が設置された。
 
今朝(2019年6月3日)の京都新聞朝刊に、1972年にグランカナリア島のラスパルマス市へ移住した広島出身の中村寿美恵さんの活動が紹介されていた。
中村さんは、原爆投下の2日前に広島から山口県に疎開し無事だったものの、父と姉は被爆した。
2009年、旧知の高校教師から「広島の歴史を知るあなたから、子どもたちに語ってほしい」と持ちかけられ、「私の話が平和のために少しでも役立てば」と快諾し、以来、30回近くカナリア諸島の高校を巡り、広島で起きた歴史を語り継いできた。
 
日本では、今、憲法を改正しようとする動きが強まっている。
アメリカが引き起こす戦争に加担することにもなりかねない。
 
中村さんは「憲法があったから、戦後日本は戦争に直接加わらず、誰も殺傷しなかった。日本にとって大事な盾だったものをなぜなくしてしまうのか」と語る。
 
いくらIT技術やロボット開発が進んでも、戦争で犠牲になるのは、生身の人間だ。
世界の人たちと共に、本当の平和を追求すべき時代に来ている。

樹木希林さんのことば

 
これまで、亡くなってからこれほど本が売れている芸能人はいないのではないだろうか。
書店に行くと、樹木希林さん関連の本のコーナーがあったり、平積みされていたりする。
「一切なりゆき~樹木希林のことば~」(文春新書)は、2018年12月20日の発売から3ヶ月で100万部を超えるベストセラーとなった。
 
先日、私も「一切なりゆき」と2019年3月16日に発売された「いつも心に樹木希林」を購入した。
 
悠木千帆という芸名で「七人の孫」に出演していた頃から知っていたが、私が、彼女の言葉や生き方そして役者としての演技に興味を覚えるようになったのは、自分が全身ガンだと公表してからだったと思う。
晩年に彼女が出演した映画は、ほとんど観た。
 
「求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから」
「モノを持たない、買わないという生活は、いいですよ」
「人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前」
などなど、その言葉どおりの徹底した生き方は、まさに理想である。
 
今回、あらためて2冊の本を読んで、最も印象に残ったのは、彼女が人や自分を「俯瞰(ふかん)」で見るようにしていたということ。
俯瞰というのは、高い所から見ることで、イメージとしては、空から町を眺めるようなこと(かな?)。
客観視と似ている(?)。
樹木さんは、例えば、年を取ることに対して、「おっ、今度はここが動かなくなってきたか」「あぁ、なるほど、耳が遠くなってきたな」とか、・・・そういうものを俯瞰で見て「自分の変化を楽しんだほうが得ですよ」と言う。
 
人間、なかなか自分を「俯瞰」するなんてできないけどね。
自分を「俯瞰」しながら、それを楽しんで生きられれば、最高。
 
この2冊の本は、アッという間に読んでしまったけど、「いつも心に樹木希林」の方が面白かった。
なぜかと言うと、「一切なりゆき」は樹木さんの言葉のエッセンスだけが抜粋してあるのに対し、「いつも心に樹木希林」は対談や彼女が書いたエッセイなどが収録されており、どのような流れでその言葉を発したかがよくわかるからである。
 
「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」
私がこんなふうに悟ることができるのは、いつになることやら・・・・
 
 
 

NO!職場でパンプス強制  「#KuToo」

 
もともとお洒落というものに興味がある方ではなかったが、年齢を重ねるつれ、一層興味は薄れていき、今はほとんど興味がない。
服装は、夏は涼しく、冬は暖かく、できるかぎり着やすいものを選び、アクセサリーも最小限しか身につけない。
靴は、ペダラを愛好し、夏はペダラのサンダルを、それ以外の季節はウォーキングシューズを履いている。
よほどフォーマルな席でない限り、パンプスを履かなくなって久しい。
 
「職場でのパンプスやハイヒールの強制をなくそうと、署名活動が広がっている」(2019年5月23日付け京都新聞夕刊)。
キャンペーンは、性暴力を告発する動き「#MeToo」と、「靴・苦痛」を掛け合わせ「#KuToo」とネーミングされた。
強制までする職場があることは全く知らなかったので驚いたが、よくよく考えると、女性の制服がある職場では靴も定められたパンプスやハイヒールがあるはずと思い至った。
 
新聞には、葬儀場でのアルバイトで「ヒール5~7センチ、ストラップなしの黒色パンプスを履くよう指定された」と書かれてあった。
 
確かに、例えば、ドクターXの大門未知子がピンヒールで病院内を闊歩する姿はカッコいい。
でも、実際は、短時間ならともかく、ヒールの高さが高くなればなるほど、長時間履き続けると、足は疲れ、歩いていられなくなる。
 
署名は、性差によるパンプス強制を禁止する通達を出すよう、厚生労働省に求める内容である。
5月21日現在、1万8000人超が署名した。
イギリスでは、政府が職場の服装規定について通達を出したほか、カナダの一部やフィリピンでは職場でのハイヒールの強制を禁ずる動きがあるとのこと。
 
足が痛くて仕事への意欲がそがれたら、それは本末転倒である。
職場で働きやすい服装を「足元」から考え直す時期に来ている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

コンビニと食品ロス

 
私の依頼者の中に、生活保護を受給している80代の高齢男性がいる。
「いつも何を食べているんですか?」と尋ねると、「朝はパン。昼は食べず、夜は、フレスコの弁当が午後9時になると半額になるので、それを買って食べています」という返事が返ってきた。
彼にとって弁当代が半額になるのは、生活費をきりつめる上で大きなことなのだ。
 
2019年5月19日付け朝刊各紙は「コンビニ、食品ロス減へ」などと大きな見出しの記事を掲載した。
セブンイレブンは、弁当など消費期限の近づいた食品の購入者に5%分のポイントを提供する還元策を始めると発表した。
(なんだ、値引きではなく、ポイント還元かよ)
ローソンも同様の還元策を実施するらしい。
それを読んで、依頼者との上記会話を思い出した。
新聞は、「実質的な値引きで売れ残りを抑え、食べられる状態で破棄される『食品ロス』を減らす狙い」(同日付け京都新聞)と報じているが、ポイント5%還元というのは、わずか0.5%の割引にすぎず、これによってどれほどの効果があるか疑問である。
コンビニのオーナーで作る「コンビニ加盟店ユニオン」は、同月20日の記者会見で、「コンビニ会計を念頭に置いている限り、本部は本気で食品ロスの削減に取り組まないことを示したものと言うことができます」と述べている。
 
日本では、一方で大量の食品ロスが発生する一方、他方では日々の食事さえまともに摂れない人もいる。
この2つは、場面も対策も異なるものであることは明らかだが、食べられない人がいるのに、大量の食品が廃棄されることに矛盾を感じるのは当然だと思う。
 
コンビニ各社に対しては、大胆な値引き販売を要望するとともに、自分自身は、一消費者として、食品の使い切りに務めようと思う。
 
 
 
 
 
 

書展へ

 
5月11日(土曜)、滋賀県に住む友人も出品している書展が大津市歴史博物館で開かれていたので出かけた。
前回伺ったのは2015年だったので、4年ぶりだ。
書道の「先生」クラスの方々の作品なので、どれも素晴らしい。
 
昔は「書」などには全く興味がなかったが、この友人に誘われて「書」を見たことがきっかけで、「書」が芸術であることを知り、また、その技や奥深さに惹かれた。
篆書(てんしょ)やトンパ文字など、日常生活では見られない書体もあって、面白い。
 
友人の作品2点。
 
墨をにじませるのも技法の1つのようだ。
 

 
 
赤と黒の紙を使って書かれているのが、お洒落で遊び心があって、目立っていた。
この紙は、中国に行った人からの土産だそう。
 

 
結婚されて東京に住む息子さんもパートナーと二人で来ておられた。
あの小さかったKちゃんがすっかりカッコいい大人になって、なんだか私の方が照れくさかった。
 
快晴の琵琶湖の風がさわやかだった。
 

骨、くっつきました。

 
昨年11月24日、自転車でこけて左前腕を骨折したことは、このブログにも書きました。
多くの皆さんにご心配いただき、本当に有り難うございました。
 
12月3日に手術をし、それからリハビリが始まりました。
初めてリハビリというものを体験しました。
腕を固定していたシーネが取れても、左手は前後に動かしたり、ひねったりすることができませんでした。
でも、リハビリを続けていくと、不思議と少しずつ動くようになっていきました。
事故は一瞬で起こりますが、治るのには時間がかかることを痛感しました。
 
連休前の診察で、主治医から「もう骨はくっついているから、何をしてもいいよ」と言われました。
左手は、まだ完全に右手と同じように動かせるわけではありませんが、日常生活にはほとんど支障はなくなり、同じ日、リハビリも打ち切りになりました。
あとは、自分の努力だけです。
 
事故以来、自転車には乗っていません。ひたすら歩いてます。
歩く時も、慎重になりました。
でも、事故は忘れた頃にやってきます。
気を付けましょう。
 
 
 
 
 

ルバーブ

 
連休に長野県に行き、ルバーブに出会った。
 
ルバーブは、シベリア原産の野菜で、ヨーロッパでは広く栽培されている。
日本にはまだあまり定着していないようだが、最近、少し栽培する農家も増えているらしい。
見た目はフキやセロリのよう。
煮るとすぐクタクタになるので、ジャムに適しているらしい。
 

 
ルバーブという野菜があることは、料理研究家の石原洋子さんの本にジャムの作り方が書かれてあったので、以前から知ってはいたが、近所のスーパーでは見かけないので、買ったり作ったりすることなどないと思っていた。
 
でも、長野県でたまたま見つけたので、ここで買わないと、ルバーブジャムの味を知らないままになると思い、買ってみることにした。
 
ジャムの作り方は、いちごやリンゴなどと同じ。
ルバーブを1センチ位に切って、蜂蜜をかける(私はジャム作りに砂糖を使わない)。
数時間放置しておくと、水分が出てくるので、火にかけ、アクを取りながら、約15分位煮る。
あとは、煮沸消毒した空き瓶に入れて、冷蔵庫へ。
 
最初の写真のように、緑色のルバーブの方が多かったのに、出来上がりは真っ赤なジャムになった。
 

 
朝食でトーストに乗っけて食べる。
いちごやリンゴより酸味があって美味しい。
 

 
また、「出会い」があれば買ってみよう。
 
 

高見の郷の桜(奈良県)

 
まるで桃源郷のようだった(千年の丘から天空の庭を望む)。
 

 
ここは、奈良県吉野郡東吉野村。
あの有名な吉野山の桜ではない。
関西のマッターホルンとも呼ばれる高見山(たかみさん、1248.4M)の近くに、この「高見の郷」の桜がある。
 
林業の衰退に伴いだんだん荒れていく山の再生を考えて、花好きな母親が県外まで見に行く桜を植え育てることした島崎さん。
全国から約1000本のしだれ桜を集め、2004年に開園した。しだれ桜ばかり1000本というのは大変珍しい。
 
2019年4月21日(日)。晴天で絶好のお花見日和。
当初の予定では、高見山に登り、その帰りに高見の郷に立ち寄る予定だった。
ところが、8キロ程手前から桜見物の車の大渋滞で、全然前に進まない。
やむなく途中の高見公園で昼食を食べ、渋滞が少しおさまった午後1時30分頃に出発。
高見山登山はあきらめ、高見の郷の桜だけを見ることにした。
 
高見の郷に近づくにつれ、車道からでも、ピンクに染まった山が見える。感動!
九州のミヤマキリシマを見た時も、山が濃いピンクに染まっていたことを思い出した(2012年6月15日付けブログ。右検索欄に「ミヤマキリシマ」と入力してください)。
 
やっと、高見の郷に到着。
受付には、たくさんの列。
高見の郷のしだれ桜は山の斜面に植えられているので、展望台である「千年の丘」に行くには、標高差約300Mほど、約800段以上の階段を上がらなくてはならない。
そのため、園内には、無料の送迎バスが走っており、そのバス待ちの人達の列だった。
高見山には登れなかったので、体力が温存されていた私はもちろん階段を上る。
 
山の斜面のしだれ桜を眺めながら、急階段を上っていく。
 

 
どんどん階段を上っていくと、「天空の庭」というフラットな場所に到着。
しだれ桜が、まるでシャワーのよう。
 

 

 
天空の庭では、食べる物なども販売されており、しだれ桜の中の遊歩道を歩いたり、飲食もできる。
 
天空の庭から、ほぼ水平に遊歩道を歩き、それから更に階段を上って、展望台の千年の丘へ向かう。
(下の写真の道は、無料バスの道路)
 

 
千年の丘への遊歩道から天空の庭を望む
 

 
そして、千年の丘に到着。
丘から天空の庭を望むと、冒頭の写真のような景色が広がっている。すごい!すごい!
素晴らしい!桜がまるで雲海のよう。
 
下りも、もちろん階段を下る。
高見山には登れなかったが、階段の上り下りで結構な運動になった。
 
 
 
 
 
 
 
 

ヌフ クレープリーでガレット

 
2015年9月に出来た、ガレットの店「ヌフ クレープリー」。
事務所の近くの夷川通東洞院西入にある。
時々、店の前を通るので、1度行ってみたいと思っていたが、なかなか訪れる機会がなかった。
 
今日は、依頼者のIさんと打ち合わせをした後、Iさんを誘って二人でランチを食べに行ってみた。
店はアンティーク調のおしゃれな内装。
二人共、コンプレという、自家製ハム、チーズ、アボカド、玉子がのったガレットを選んだ。
 

 
生地は厚くパリパリしているが、中はモッチリしていて、これまで食べたことがあるガレットよりずっと美味しかった。
 
クレープもあるようなので、今度は是非、クレープも食べてみたい。

 
京都の地域医療・訪問医療の草分け的存在の早川一光(かずてる)医師が昨年6月2日に亡くなられて、もうすぐ1年が経とうとしている。
早川医師のことは、これまで、このブログで2度書いた(2017年3月10日付け、2018年6月5日付け。右検索欄に「こんなはずじゃなかった」と入れて検索してください)。
 
2016年1月から京都新聞で始まった早川医師の連載「こんなはずじゃなかった」。
早川医師自身がガンにおかされ、寝たきりとなって闘病生活を送る中で、亡くなるまで約2年半続いた。
軽妙な語り口で語る本音は、とても面白く興味深かった。
その連載は、今年2019年の坂田記念ジャーナリズム賞も受賞した。
 
その早川医師を撮影した写真や収集資料を再構成した展覧会が、現在、京都新聞社2階ギャラリーで開催されている(4月13日~5月12日。午前10時~午後5時)。
 
 

 

 
早川医師の闘病中の姿、家族、自宅などが大判のパネルで展示されているほか、昭和20年8月15日の終戦の日から、早川医師が亡くなる昨年までの新聞記事が年を追って順に並べられ、その中で早川医師の地域医療のとりくみの歩みや国の医療政策などが紹介されていた。
 
 

 
早川医師は、確実に、京都の庶民の歴史を作ったお一人であったと思う。
 
 
 
 
 

タイ洞窟の少年救出事件の「光」

 
2018年7月、タイ北部の洞窟に13人の少年らが閉じこめられた事件はまだ記憶に新しい。
ダイバーたちによって、全員が無事救出された。
 
そのタイの少年たちのサッカーチームが、2019年4月5日来日し、翌6日、福島県を訪れ、地元のサッカーチームと交流試合をした。
なぜ、福島なのか。
 
2018年11月21日付け京都新聞夕刊1面の「現代のことば」欄に、立命館大学の開沼博准教授が次のような文を書いておられ、それが、とても感動的な内容だったので、切り抜いて保管していた。
 
救助活動の苦労の1つに「光の確保」があった。
複雑な構造をした洞窟のため、ライトで照らしても行き先を把握しきれない。
そんな現場に600個の「光る石」が持ち込まれた。
電気がなくても水の中で発光する畜光磁器。
ダイバーはこれを道しるべとして、すべての少年らの救助に成功したという。
 
そして、実は、この畜光磁器は福島第1原発事故の後、全村避難の対象となった福島県川内村で作られたものだった。
この事件の時、川内村の遠藤村長とこの畜光磁器を製造する企業「コドモエナジー」(本社、大阪)の岩本社長がタイを訪問していたことがこの偶然につながったという。
社会の役に立つものを福島の被災地から発信したいと、原発事故後、川内村に工場が作られ、製造されてきたのだった。
そして、タイの洞窟の中で、その畜光磁器は光輝き、少年らの救出につながった。
 
あの世界的に注目された事件に、このような日本人の素晴らしい貢献があったのだ。
 
実は、岩本社長は、否応なく衰退して弱っている地域を応援する事業が必要だと考え、川内村でも工場だけでなく、カフェやイベントで移住や交流人口を増そうとかしているという。
 
岩本さんの活動が「光」のように輝いている。
 
 
 
 

 
今年初めての登山は、香川県のさぬき市と東かがわ市にまたがる山、女体山(にょたいざん、774m)。
女体山を越えると、第八十八番札所「大窪寺」があり、そこが下山の目標地点。
 
「道の駅ながお」の向かいに「お遍路交流館」があったので、そこに立ち寄り、「大窪寺」まで歩くMAPをもらい教えてもらった。
当初計画していたよりも近道があることがわかった。
 
最初は、バス通りを歩き、次のバス亭から川沿いの道に入る。
しばらく進むと、「四国のみち」(おへんろの道)と書かれた道標があった。
ちゃんと「大窪寺」も示されている。
 

最初、道は、ゆるやかな坂道が続く。
途中、何回か、林道を少し歩いては、また山道に入ることを繰り返した。
所々に道標があり、迷うことはない。さすが、お遍路さんの道である。
 

 
どんどん進んでいくと、ようやく山らしい急坂の登山道となった。
今年初めての登山なので、まだ身体が登山向きとなっておらず、登山道も突然急坂となり、結構、息が切れる。
山頂直下は、岩場をよじ登り、頂上へ。疲れた~!
 

山頂は木々に囲まれ、あまり展望はない。
バスの時間に間に合うようにと、おにぎりを1個食べただけで下山開始。
 
第八十八番札所「大窪寺」に到着。
 

 
バスにも間に合った。
女体山までのお遍路道では、誰一人、登山者にもお遍路さんにも出会うことはなかったが、帰りのバスでは、何人かのお遍路さんと一緒になった。
皆、大窪寺へは、女体山を越えてではなく、バス道を歩いて来ているようだった。
そうだよねえ~、こんな山は、なかなかしんどくて登れないよね~
 
オマケ
帰りに寄った亀鶴公園(きかくこうえん)の前の神社(宇佐神社)の石像は、なんと猫だった。オモロ。
 

 
この初登山の後は、太ももの筋肉が痛み、数日間、階段を下りるのに苦労した。
情けな~い!
 

香川の旅(その1)

 
2019年3月末、今年の初登山とお花見を兼ねて、香川県を旅した。
 
まず、香川県三豊市(みとよし)へ。
「三豊市ってどこ?何があるの?」と言う人も多いと思う。
私もつい最近まで知らない町だった。
毎週火曜午後8時から、BS朝日で、「三宅祐司のふるさと探訪」という番組が放映されている。
三宅祐司が、毎週1カ所の土地を訪れ、地元の人の「ふるさと自慢」の食べ物や景色を探して歩く。
三宅祐司と地元の人とのふれあいもほのぼのとしており、毎週楽しみに観ている。
三豊市は、この番組を観て知った。
 
三豊市に入り、まず訪れたのは、「元祖 たこ判」の店「小前(こまえ)」。
 

 
「たこ判」は、大判焼きの型で焼く、大きな(直径10センチ位)たこ焼き。
 

 
卵たこ判は1個150円。メチャクチャ安い。そして美味しい!
1個で十分お腹がふくれた。
何十個も買う人もいて、その時は、事前に予約した方がよいらしい。
 
次は、讃岐うどん。だが、番組で登場した店は休み。
やむなく通りがかりの店に入る。
「かけうどん」「釜揚げうどん」「ぶっかけうどん」など種類が一杯あって、うどん通ではない私にはどんなうどんなのか、さっぱりわからん。
店の人に教えてもらい、肉ぶっかけうどんを食べる。
 
お腹もふくれたので、紫雲出山(しうでやま、352m)へ。
山頂まで徒歩10分の所に駐車場があるので、紫雲出山へは車で行った。
 

 
山頂には、吉野山に劣らぬほどの桜のみどころがあるということで訪れたが、桜はまだ開花しておらず、1週間早かったかなあ・・・
 
山頂展望台から桜の木々と瀬戸内海の島々を望む
 

 
山頂には、弥生時代の高地性集落の遺跡館があった。
 

 
この日の最後は、最も楽しみにしていた「父母が浜(ちちぶがはま)」。
約1㎞にわたる海水浴場で、「日本の夕陽百選」にもなっている。
 
夕方、引き潮になると、砂浜にできた潮だまりが水鏡のように人物を映すということで、若者を中心に「インスタ映え」するスポットとして人気の地。
三宅祐司の番組では、確か、あいにくの雨あるいは曇りだったような記憶。
この日は、晴れてはいたが、夕日までにまだ時間があり、しかも風で水面が波打っており、待てど待てど、なかなか水鏡のようにならない。
 
若者たちが色々ポーズをとっていたので、撮らせてもらった。
 

 
水鏡の写真はあきらめ、私も裸足になって海の中に出来た砂浜まで歩いて行った。
素敵な場所だった。

ショーケンは、青春の1コマ

 
歌手で俳優の、ショーケンこと萩原健一が3月26日亡くなった。享年68歳。
 
グループサウンズ(GS)全盛時代、私は、ザ・テンプターズのボーカルだったショーケンの大ファンだった。
当時、私は中学生。
GSでは、ザ・タイガースのジュリーこと沢田研二が甘いマスクで圧倒的人気だったが、私は、人なつっこいがどこかクールさがあるショーケンの方が好きだった。
岐阜の田舎で暮らしていた純朴な(?)少女だったため、コンサートに行くとかファンクラブに入るとかなどは、およそ思いもつかなかったが、出演するテレビ番組を欠かさず観ることはもとより、レコードを買ったり、「平凡」や「明星」という当時の芸能月刊誌を毎月買って、写真のページを切り抜いて集めたりして夢中になった。
「お兄さんになって」とファンレターを書いたこともあった。
これほど芸能人に夢中になったことは、この中学生時代だけだった気がする。
 
でも、人気の頂点にいた当時の彼は、かわいい衣装を着せられ、気に入らない曲を歌わされるのが我慢できなかったらしい。
そしてグループサウンズの全盛が過ぎ、彼が再び俳優としてテレビなどに登場した頃は、私は大学生となり、テレビのない生活を送っていたので、ショーケンが出演していたというテレビドラマは全く観たことがない。
また、当然、私自身の彼に対する熱も冷めていたと思う。
 
昨年、NHKで放映された「不惑のスクラム」(高橋克典主演)は、なかなか胸を打つドラマだった。
彼は、ヤンチャーズという中高年のラグビー部の重要な役割を演じていた。
ガンで死んでいく役で、久しぶりに観たショーケンはずいぶん年をとったが、いい味を出していた。
 
ショーケンは、間違いなく私の青春の1コマを飾った歌手だった。
そして彼が出演したドラマや映画を観る機会があれば、私が見逃した彼を感じることができるのになあと思う。
 
 
 

 
3月24日の日曜日に、高知県四万十市で地域医療に携わる小笠原望(おがさわら のぞみ)医師の姿を追った映画「四万十~いのちの仕舞い~」が上映された会場で、「診療所の窓辺から」という本を買った(発行:ナカニシヤ出版)。
 
以前から読みたいと思い、新聞の広告記事を切り抜いて持っていた、その本である。
 

 
会場では、本の裏に、小笠原医師直筆の川柳がまあるい字で書かれて販売されていた。もちろんサインも。
本によって、何種類かの異なる川柳が書かれてあったので、私は「四万十の風と握手して生きる」という川柳を選んだ。
 

 
この本は、朝日新聞購読者向けの月刊誌「スタイルアサヒ」に小笠原医師が連載されたものを抜粋、加筆修正して再構成されたものとのこと。
 
病気、高齢、介護、在宅医療、看取り・・・どれも重い事柄だが、「ひとのいのちも自然のなかのもの」という小笠原医師の暖かく柔らかい一言一言とそれに呼応する患者さんとのやりとりが、何とも言えず穏やかなのである。
まるで、四万十川の流れのよう・・・
 
今度は、小笠原医師の話を直接聞いてみたいと思った。
 
 
 

ブラリ、吉田山

 
週末は寒かったが、3月24日(日曜)はそこそこの天気だったので、おそらく大学生の時以来となる吉田山をブラブラ歩いてみた。
 
吉田山は、京都大学の東側に位置し、標高は105M。
登り口はいくつもあるが、今出川通りの登り口から登った。
 
 

 
大学1回生の時の1年間、吉田山のふもとの神楽岡町に住んでいたので、毎朝、この登山口の前を通って大学に通っていた。
 
山頂までの道は、舗装され整備されている。
でも途中から、舗装なしの山道の方へ入り、その道から山頂に出た。
山頂には、あずまやがあり、二人の老人が、なにやら政治談義をされていた。
山頂は、木々に覆われ、展望はなし。
 
 
吉田山山頂

 
 
山頂から南方面に下りていく。木々があって、見晴らしはあまり良くない。
 

 
 
更に進むと、子ども達用の園庭があった。
昔、この奥の建物は、学童保育として利用されていた。
司法試験に合格した後、大学卒業までの数ヶ月、学童保育のアルバイトをした懐かしい場所。
当時は、こんな滑り台やブランコはなかったような記憶だが、自信はない。
 

 
結局、吉田山の西側に下りた。
京大正門前に近い登り口。ここが吉田神社の参道だと思う。
 

 
1時間ほどのウォーキングでした。
 
 

 
新聞に掲載された本の書評や広告で、「読みたい」と思ったものについては、切り抜いて、いつも仕事用のカバンに入れて持ち歩いている。
高知県四万十市で地域医療に携わる小笠原望医師の「診療所の窓辺から」(ナカニシヤ出版)という本もその1つであった。
 
2019年3月21日(祝)付け京都新聞朝刊の1面下に「診療所の窓辺から」の本の広告が載っており、その中に「本日開催!府民向け映画上映会13:30~16:00、入場無料 主催:京都府医師会」と書かれてあることに気が付いた。
まさか映画が観られるとは思ってもいなかった。
祝日でもあり、午後の予定は特になかったので、すぐに行くことに決めた。
 
午後1時少し前に会場に到着したが、既に、会場内は人で一杯で、後方の席しか空いてなかった。
知らなかったが、小笠原医師は、一昨年に、同じ京都府医師会の企画で京都で講演されているようだった。
今回は、ビデオメッセージでの参加。
 
映画「四万十~いのちの仕舞い~」は、溝渕雅幸監督が、地域で在宅医療にとりくむ小笠原医師を約1年間密着して完成させたドキュメンタリー映画である。
日本で最後の清流と呼ばれる四万十川の自然・四季を背景に、小笠原医師と患者さんとの診療の日々、そして、いのちの看取りが描かれる。
 
小笠原医師と会話を交わすと、病や死の不安から解き放たれるような気がしてくる。
つらく苦しいものを目にしているはずなのに、暖かく、ゆったりした空気が流れる。
それが、小笠原医師の「ひとのいのちも自然のなかのもの」という言葉に表れている。
こんな医師がいるんやなあ。
 
思いがけず、良い時間を過ごした。
もちろん会場で、「診療所の窓辺から」という本も購入した。
 
 
 
 

京都御所の梅

 
もう3月も中旬になってしまった。
今年は、まだ梅を見に行っていないことに気づき、まだ間に合うかなと思いつつ、3月9日(土)、晴天のもと、京都御所に行ってみた。
 
京都御所の南西側に梅園がある。
もう花をつけていない木がほとんどだったが、何本かには、まだ満開の梅が咲いていた。
 

 

 
梅園の北側には桃林がある。
梅と桜の間は、桃。でも、まだチラホラ。
 

 
おまけは、下御霊神社の紅梅。
3月10日(日)は同神社の梅和祭(うめなごみのまつり)。
雨の中をお茶会が催されていた。
 
そして見事な紅梅。
 

 
 
 
 
 

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