12月3日は、久しぶりの快晴の日曜となったので、奈良に散策に出かけた。
近鉄奈良線で終点の奈良駅まで。
まず、吉城園(よしきえん)という東大寺近くにある庭園に向かう。
東大寺の近くには、奈良の裁判所があり、その前を通過。
これまで何回か奈良の裁判所には来たことがあるが、裁判所の庁舎が建て替えられてからは来ていない。
綺麗な庁舎になっていた。
吉城園は、興福寺の子院である摩尼珠院があったところらしい。
現在は、奈良県が管理しているようで、入場料も250円と安い。
観光客もほとんどおらず静かに歩くことができた。
庭の紅葉はすっかり散っていたが、その枯れ葉が、庭全体に落ちていて、美しい。
庭には、ツバキ(椿)とサザンカ(山茶花)が咲いていた。
最初は、どちらもツバキと思ったが、受付の女性に尋ねると、白はサザンカだと教えられた。
よく似ている!
帰宅後、ツバキとサザンカの違いを調べてみた。
違いの第1は、花の散り方。
ツバキは花ごと落ちるが、サザンカは花びらがバラバラに落ちる。
違いの第2は、葉。
ツバキの葉はギザギザがないが、サザンカはギザギザが目立つ。
面白い。
吉城園を出て、東大寺に入ると、たくさんの観光客。
それも日本人より外国人の方が多い可と思うほど、各国の言葉が飛び交っている。
若草山を望む。
更に、東大寺から新薬師寺まで歩き、初冬の奈良を満喫した。
結構歩いてクタクタになった。
ブログ マチベンの日々
昨夜、いや、正確に言うと、今日12月4日午前0時47分、月は、今年最大の満月だった。
要するに、地球と月との距離が最も接近したということである。
そのことを知って、昨夜、午後11時半頃に外に出て天空をあおいでみると、月は、ちょうど頭上に。
大きさが最大ということは実感できなかったが、雲1つない夜空に、本当にピカピカとまぶしいくらい輝いていた。
篠井山(しのいさん)に登った翌日の11月5日は、本栖湖畔から竜ヶ岳(りゅうがたけ、1099M)に登った。
本栖湖は、富士五湖の1つで、千円札の裏に描かれているのが、本栖湖から見た富士山だ。
昨日泊まった本栖湖畔のホテルの人からは、今年は周辺の紅葉がすぐに枯れてしまって、全然ダメと聞いた。
この日も快晴の良い天気。
登山口
最初は、登山道をジグザグと登っていく。
道は広くはっきりしている。
しばらく登ると、やがて視界が広がり、富士山が望めるようになる。
そこからは富士山を背に、尾根をまたひたすら登っていく。
本栖湖はもとより、青木ヶ原樹林帯などが展望できる登りであったが、山頂に近づくにつれ、背丈ほどもある笹の中の道となった。
そして急登を上りきると、頂上へ。
頂上は、だだっ広く、大勢の登山者が富士山を眺めつつ、昼食をとっていた。
中には、インスタグラムにでも載せるのだろうか、5-6人の若者らがカラフルな傘をさしながら、色んなポーズを取って、撮影していた。
内心では「私もしたい!」と思ったが、一人だと恥ずかしくて、お茶目なポーズが取れない。
ふざける時は、大人数がいい。
ずいぶん長い時間山頂で富士山を堪能し、下山した。
やはり富士山を眺めることができる登山は、一段と楽しい。
やっと晴れた!
10月は、2週連続の週末台風到来だったが、11月の最初の連休は、ようやく晴天に恵まれたので、富士山を間近で眺め、紅葉を楽しもうと、計画どおり山梨県に向かった。
11月4日は、山梨県南部にある篠井山(しのいさん。1394M)に登る。
奥山温泉という日帰り入浴施設の近くにある山だ。
登山口。
木彫りのクマが出迎えてくれる。
でも、クマが出没するようで、登山道には、クマよけ鈴を持って来ていない登山者のために、何カ所かに鐘が釣ってあった。
また篠井山は、5月から10月にかけては大量にヒルが発生するようだ。
だから、登山が楽しめる時期が限定されている(ヒルの危険をかえりみなければ、限定されないが・・・)。
少し林道を歩き、登山道へ入ると、まもなく滝が見えてくる。明源の滝。
沢沿いの登山道を上り、その後は、樹林帯の中をひたすらジグザグと登っていく。
展望はなく、紅葉もイマイチ。既に枯れ落ちている。
約2時間で、篠井山山頂に到着。
山頂は狭いが、目の前に富士山が!
ただ、雪がない!
富士山の初冠雪はあったが、溶けてしまい、雪なしの富士山だった。
山頂で昼ご飯。
今日は、「山めし」としては、回鍋肉(ホイコーロー)に初挑戦。
「山めし」本に紹介してあったレシピで、豚肉の代わり、車麩を使用。ヘルシー。
でも、やっぱり豚肉の方がおいしいよなあ・・・
下山は、同じ道を下りました。
望月衣塑子(いそこ)さん。東京新聞の新聞記者。
つい、この間まで全く名前も聞いたことがない人だったが、森友・加計学園問題などで菅義偉内閣官房長官へ鋭く執拗に質問する姿に、一躍、時の人となった。
その望月さんの著書「新聞記者」(角川新書)を読んだ。
望月さんが新聞記者をめざした原点は、中学3年の時に母親から「これ読んでみたら」と渡された1冊の本。フォトジャーナリスト吉田ルイ子さんの「南ア・アパルトヘイト共和国」。
遠く離れた異国の地で、黒人が白人と当たり前のように分離され、一人の人間として扱われていないという状況・・・「自分の身の回りだけでなく、世界で何が起きているか常に関心を向けなさい」という母の思いだと感じた。
就職試験では、大手新聞社に軒並み落とされ、内定を得たのが東京新聞だった。
東京新聞というのは、正確には、中日新聞社東京本社が発行する関東地方及び東京都のブロック紙だが、もちろん全国的なニュースも紙面に掲載する。
いま現在にもつながる「森友問題」が初めて表面化したのは、2017年2月9日付け朝日新聞朝刊のスクープ「学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表 近隣の1割か」だった。
取材舞台が大阪だったため、当初は、東京新聞のスタンスは消極的だったが、望月さんが編集局長に進言し、森友問題を追うチームに入ることになった。
そして、またもや朝日新聞の5月17日のスクープで「加計問題」が状況を一変させた。
そんな中で、私が報道で感じた違和感を望月さんも同様に感じていたことがわかった。
いや、「報道」の分野に身を置く望月さんは、私たち以上に違和感を感じたに違いない。
その1つは、NHKが「加計問題」と同時期に、真子さま「ご婚約の見通し」をスクープ報道したことだ。
「婚約」ならともかく、「婚約の見通し」って何?と、その時、私は率直に違和感を感じたが、望月さんも「まるで芸能人のようにスクープとして報じるだけの価値があるだろうか」と書いている。
もう1つの違和感は、5月22日付けの読売新聞「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中 平日夜」の記事。
望月さんが「目を疑った」のは、確たる証拠も何も記されていなかったこと。
二度も望月さんの転職を誘ってくれた、あの読売新聞が・・・・
ただ、前川前文科省事務次官の記者会見にのぞんだ望月さんも、前川さんの出会い系バーへ行ったのは「貧困の実態を探るためだった」という言葉に、それは「さすがに無理がある」「本当に信頼に足る人なのだろうか」と感じた。
そこで、望月さんは前川さんにインタビュー取材をする。
前川さんは、出会い系バーで女性から聞いた高校教育の実態、読売新聞掲載の直前に文科省の後輩から「和泉(内閣総理大臣)補佐官が『会いたい』と言えば、応じるつもりはあるか」というメールが入ったこと、教育基本法を全面的に改正し道徳教育や愛国心が明文化され教育の方針を転換した安倍政権に違和感や疑問を禁じ得なかったこと、などを語った。
そして、望月さんは「もっと前川さんの思いに応えたい」と考えるようになった。
加計問題の背後では官邸の人間が暗躍しているのは、明らか。
毎日マスコミに対応するのは、菅長官しかいない。
しかし、菅長官の定例会見は、おなじみの「ご指摘にはあたりません」「問題ないと思われます」といった木で鼻をくくったような答弁。記者たちは質問を重ねない。
望月さんは思った「これはもう、自分が出席したほうがいいんじゃないか」と。
そこから、望月さんの定例会見での快進撃が始まった。
望月さんの「やらなくては」という思いが強まる一方、今後、望月さんを会見から「排除」する動きも強まる可能性もある。
望月さんの質問に対し、あの表情を変えることなく淡々と話す菅長官がマレに感情的になる場面もあるが、官邸の壁は厚い。
しかし、望月さんが嫌がられながらも頑張って食い下がって質問をしてくれることにより、私たち国民は、今、政治の場で何が起こり起ころうとしているかが、わかってくる。
望月さんが「私は特別なことはしていない」と語るとおり、それが報道の役割だと思う。
しかし、それができていないのが報道現場の現状で、だからこそ、当たり前のことをしている望月さんがテレビなどで取り上げられたりする。
森友・加計問題は、未だ疑惑が山積している。
望月さんが、本書の末尾で引用しているのは、ガンジーの言葉だ。
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」
望月さん、頑張れ!
毎週週末になると、台風が来る。
10月最後の週末も日本列島の南側を台風22号が縦断した。
週末、秋の上高地散策と登山を予定していたが、登山はあきらめ、雨の中の散策となった。
上高地は、北アルプス登山の拠点でもあり、もう何度となく訪れているが、紅葉の時期に来たのは、2度目である。
10月末の週末と言えば、紅葉の上高地を期待して、本来なら多数の観光客も含め大にぎわいというところであるが、台風のため、それほど多くの人はいなかった。
上高地に着いた頃は、雨もまだ小雨だった。
河童橋から見た穂高岳
ガスはかかっていたものの、これもまた幻想的だ。
河童橋から見た焼岳
明神岳
当初の計画では徳沢まで歩くつもりだったが、雨だったので、明神池までを往復した。
上高地の紅葉は、もうほとんど終わったような感じで、鮮やかな赤や黄色に染まった木々はほとんど見ることができなかった。
明神池の手前にある嘉門次小屋でイワナを食べる。
ここのイワナは頭からしっぽまで骨も含めてすべて食べられるほど軟らかい。
おいしい!
イワナを堪能し、明神池から河童橋まで戻る頃には、雨も本格的に降りだした。
そして翌朝の高山は、みぞれまじりの雪となっていた。この辺りは、もう冬に入りつつある・・・
10月22日(日)は、正午から、郷里の岐阜市で同窓会が予定されていた。
高校1年の時のクラス会。
高校の学年全体の同窓会は、これまで何度も開かれているが、1年生の時のクラス会は初めて。
当時、担任だったT先生が85歳になられ、そのT先生も出席されるとのことで、とても楽しみにしていた。
22日が思いがけず選挙の投票日となったため、久しぶりに期日前投票もすませた。
ところが、台風がやってきた!それも超大型!
近畿地方は、22日(日)の夕方から本格的に影響が出始めるとの予報。
23日(月)は東海地方に上陸とも。
行くことは出来ても、翌朝、帰って来られないかも・・・
ずいぶん迷ったが、22日の朝になって、既に京都府全域に大雨警報が出ており、参加を断念することにした。
同窓会開始直前に、参加した友人が電話をくれ、T先生とも少し話をすることができた。
23日は、近畿圏でもJRがあちこちで運休し、高速道路も通行止めだったりして、交通網は大混乱だった。
台風がもう1日、前か後にズレていればなあ・・・・
同窓会にも参加できたし、そうそう、選挙の結果も、もう少し違っていたんじゃないかなあ。
今週の日曜、久しぶりに期日前投票に行ってきた。
今回ほど腹立たしい解散・総選挙はない。
森友・加計疑惑隠しが明らかな衆議院解散であったにもかかわらず、民進党の代表前原は、党を事実上解体して、希望の党に託した。
しかし、希望の党は、どうみても、第2自民でしかない。
安倍首相の演説には、森友や加計についての説明はなく、また最大の争点である憲法改正にもあまり触れられていないと言う。
ネットでは、投票日の翌日には、加計学園の獣医学部が認可されるというニュースも流れている。
いったい、この国は、どうなっていくのか・・・
高校時代の同級生がメーリングリストで書いていた、ドイツの牧師で神学者のマルティン
ニーメラーの言葉が現実のようで怖い。
「ナチが共産主義を襲ったとき、自分はやや不安になった。
けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。
それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。
けれども依然として自分は社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。
さてそれからナチは教会を攻撃した。
そうして自分はまさに教会の人間であった。
そこで自分は何事かした。しかし、そのときにはすでに手遅れであった」
(未来社 旧版p475)
安倍政治はもうイヤ!、憲法改正に反対、原発を再稼働させない、消費税を10%にあげない・・・そういう思いがあるなら、是非、投票に行って1票を投じてほしい。
投票しないことは、結局、安倍政治を支えていることになってしまうのだから。
~梅雨空に「九条守れ」の女性デモ~
これは、さいたま市に住むある女性が、2014年6月、東京銀座で集団的自衛権の行使容認に反対するデモを見て詠み、所属サークルで秀作に選ばれた俳句である。
秀作は、毎月、さいたま市大宮区にある三橋公民館が発行する公民館だよりに掲載されていた。
ところが、公民館は「世論を二分するテーマのため掲載できない」と掲載を拒否。
その後、その理由として「(公民館が)公平中立の立場であるべき観点から好ましくない」と説明した。
女性は、2015年、憲法で保障された表現の自由に反し、掲載を期待する権利を侵害されたなどとして、さいたま市に対し、句の掲載と慰謝料200万円の支払を求めて提訴した。
そして、2017年10月13日、さいたま地裁は、公民館側が「思想や信条を理由として不公正な扱いをした」などとして、市に5万円の賠償を命じた(2017年10月14日付け朝日新聞朝刊)。
判決は、掲載する俳句には句会や作者の名前が併記されることから「公民館が俳句と同じ立場にあるとは考えがたい」として「公民館の中立性や公平性を害するとは言えない」と判断し、不掲載には正当な理由がないとした。
但し、表現の自由の侵害という主張は退け、掲載への期待を「法的保護に値する人格的利益」と位置づけ、これを侵害したと結論づけた。
また判決は、公民館職員らが「『憲法アレルギー』のような状態に陥っていたのではないかと推認される」とも指摘した。
原告女性に損害賠償が認められて当然だと思う。
確かに、憲法9条をめぐっては様々な議論がなされ、とりわけ政府与党は、9条の内容を改変しようとしている。
しかし、憲法に9条が定められ、憲法は国の最高法規であり(98条)、天皇から大臣、国会議員、公務員に至るまで、この憲法を尊重し擁護する義務がある(99条)のだから、俳句の中で、「9条守れ」と詠み、それを公民館がたよりに掲載しても、何ら公平中立に反するわけがないのである。
それを排除するなど、もってのほかだ。
言論や表現の自由が制限される息苦しい世の中は、正に、戦争前夜に近づいているような気がしてならない。
ドキュメンタリー映画「人生フルーツ」を観た。
東海テレビが制作し、これまで数々の賞を受賞した作品である。
いつも優れた作品を上映している京都シネマの最大の大ヒット作らしい(現在も再上映中)。
私は、そのような経緯も、ストーリーさえも、全く知らずに観た。
そして、ほのぼのとしているが、自立した生き方をされている老夫婦の素晴らしい日常の姿に深い感銘を受けた。
映画は、90歳の建築家津端修一(つばたしゅういち)さんと妻で87歳の英子(ひでこ)さんの夫婦の日常を2年間追った。
二人は、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンに二人だけで暮らしている。
修一さんは、高蔵寺ニュータウンの基本設計をした人で、日本住宅公団のメンバーとして、戦後日本の団地やニュータウンを作り続けていたという経歴を持つ。
二人が暮らす家は、約50年前に、修一さんが尊敬するアントニン・レーモンドの自邸をマネて建てたもので、300坪の土地の上に、30畳1間の平屋の丸太作り。
枯れ葉をまいて土を耕した庭で、雑木林を育て、70種の野菜と50種の果物を無農薬で作る。
英子さんは、収穫した野菜や果物を使って、丁寧に手料理を作る。なんでも作る。
土鍋で炊いたご飯、梅干し漬け、コロッケ、ジャム、プリンなどなど、豊かな食卓が展開する。
修一さんは、洗濯をする、土を作る、畑仕事の道具や家の屋根を修理する、木を切る、障子を貼り替える・・・
二人は誰の手も借りず、それぞれが自分の好きなことをして毎日を過ごす。
おもてなしの心を大切にしながら・・・
修一さんは、若い頃は、日本住宅公団の花形の設計士だったが、自然と共生しない、効率優先の建築に失望し、転職し、80年代後半に念願たった自分らしい暮らしを実現する。
ガス湯沸かし器も電子レンジもない。コンビニにも行かない。
便利すぎる今の世の中から離れて、誰にもたよらず、信念を持って、穏やかに暮らしている。
私にとっては、手が届きようもない、理想的な暮らしです。
長野県駒ヶ根にある宝剣岳登山の帰りに、農産物直売所に寄ったところ、ピーナッツかぼちゃを見つけた。
ピーナッツかぼちゃは、原産地は中南米らしく、販売されているのを見つけたのは初めてだったので、買ってみた。1個250円。
かぼちゃの切り方やレシピは、インターネットで検索すると、たくさん出てくるので助かる。
上下を少し切り落とし、縦に2つに切る。
普通のかぼちゃよりは、皮も薄く、切りやすい。
下方にある種とわたを取り、皮をむく。皮はピーラーでもむける。
ネットによると、ピーナッツかぼちゃは、繊維質が少ないので、溶けやすく、ポタージュスープなどに適しているとされていた。
そこで、料理教室で習った、かぼちゃのピリ辛スープを作ってみることにした。
かぼちゃを細かく切って玉ねぎなどと一緒にいためた後、水を入れて、軟らかくなるまで煮る。
マッシャーやブレンダーを持っていないので、かぼちゃが軟らかくなった後、お玉の底で押しつぶすと、簡単にどんどんつぶれていく。
少し実が残ったスープが完成。
割とあっさりした味で、ハロウィンの季節にもピッタリ!
京都に帰ってきたら、京都の店でも見かけたので、最近は、どこでも売られているのかもしれない。
10月の連休を利用して、夏山以来となる登山に出かけた。
目指したのは、長野県駒ヶ根にある中央アルプスの千畳敷カールと宝剣岳(2931m)。
千畳敷カールは、夏はお花畑、秋は紅葉で有名な場所である。
約9分のロープウエイ乗車で、1600mのしらび平から2600mのカールまで一気に上がることができるので、登山者だけでなく、観光客も含め、たくさんの人が訪れる。
宝剣岳は、千畳敷カールから一際目立つ、天空を突き刺すようにそびえる岩山である。
どちらも日本百名山である空木岳(うつきだけ)と木曽駒ヶ岳との縦走路にあり、私も2004年に空木から木曽駒に縦走した時に、登った山だ。
天候は晴れていたが、千畳敷の紅葉はすっかり終わっており、むしろロープウエイの中から見る途中の紅葉が綺麗だった。
千畳敷カールとロープウエイ乗り場
ロープウエイ乗り場から外に出ると、千畳敷カールの上には、宝剣岳がそびえている。
ほとんどの人は、千畳敷カールを周遊するか、木曽駒ヶ岳方面の登山道を登るが、私たちは、極楽平から宝剣岳に登るルートを進んだ。
登山道はとてもよく整備されており、南アルプスを眺めながらの快適な山歩きとなる。
そして、空木岳からの縦走路でもある極楽平に到着。尾根に出ると、風が強かった。
2004年に空木岳から縦走して、極楽平に到着した時には、それまでアップダウンの連続の上、更に、この極楽平から険しい宝剣岳を超えていかなければならないことを知り、私は「地獄平や」と嘆いた。
今回は、千畳敷カールからのラクチン登山だったが、宝剣岳までは、厳しい岩山ルートが続いた。
ルートの印はきちんとつけられ、鎖もあったが、久しぶりの岩上りと体力の衰え(!?)とで、かなり緊張しながら、ゆっくりと、かつ、岩をしっかりホールドしながら登った。
山頂は、とても狭い。
しかも、ガスがかかっている。
山頂の横に立つ他の登山者をパチリ!
2004年に一緒に登ったA弁護士は、この岩の上に立ったことを思い出した。
私は、2004年の時も怖くて、頂上の岩の上まで行くことはできなかった。もちろん今回も。
山頂から、木曽駒ヶ岳方面に下る。
こちらの下りは、全然ラクチン。
宝剣岳山荘で休憩後、千畳敷カール方面に下る。
約3時間の快適な秋の登山だった。
2017年10月5日は、滋賀県大津市で日本弁護士連合会主催の人権シンポジウムが開催されたので参加した。
参加動機は、第2分科会「情報は誰のもの?~監視社会と情報公開を考える~」で、元CIAのエドワード・スノーデン氏がロシアから映像参加することを知ったからだ。
スノーデン氏は、2013年にアメリカが国民や他国首脳の通信を傍受・監視しているという機密文書を暴露したことで知られる。
このブログでも書いたが(右検索欄に「スノーデン」と入力してください)、今年になって、彼の著作を読み、彼をモデルにした映画「スノーデン」を観、そして彼自身が登場するドキュメンタリー映画「シチズンフォー」も観て、アメリカが密かに収集しているメガデータの存在を知って衝撃を受け、是非一度、実際の声や姿を聞いてみたいと思った。
800人以上入るシンポ会場は、ほぼ満員。
第2分科会は、入場の際、同時通訳機を手渡された。
同時通訳機を使うなんて初めて!
アメリカの元自由人権協会の弁護士スティーブ・シャピロ氏の講演の後、スノーデン氏がインターネット中継で映像参加し、弁護士がインタビューするという形式で進められた。
アメリカの監視システムについては、誰のコミュニケーション(電話・メール・ツイッター・フェイスブックなど)にもアクセスでき、その大量のデータを保管・管理でき、しかもアクセスした痕跡を隠すことができると説明した。
そして、日本もその対象になっている可能性にも言及した。
無差別な情報収集は、愛人の動向や政敵、労働組合、イスラム教徒の監視に利用されている。
また、過度な監視社会は民主主義の危機と言わざるを得ず、日本ではプライバイシーを保護する対策が全く取られていないと警鐘を鳴らした。
特定秘密保護法や共謀罪の成立を批判し、プライバイシーを守ることは自由を守ることであり、監視社会の下でプライバシーを守るためには、政府の振る舞いを常に懐疑的に検証することが重要とアドバイスした。
「情報は誰のもの?」というテーマのシンポジウムであったが、報告者も述べていたが、「情報」は、主権者である国民のものに決まっている。
そして、私たちは、憲法で保障されている思想・良心の自由は、正確な情報が与えられなければ形成され得ない。
「監視」によって一握りの権力者が膨大な情報を把握し、自分の都合良く利用する社会など民主主義に反するものであり、それに抗していかなければならないことは自明である。
メディアも含めて、もっと関心を持たなければいけない大切な問題であると痛感した。
Jアラートは、地震や津波などの大規模自然災害や、テロ等武力攻撃の発生などを対象にした、政府の警報システムである。
市民が携帯電話へのエリアメールやスマホのアプリなどでも受信できるほか、市町村の防災行政無線等も自動起動し、屋外スピーカーから警報が流れる。
内閣官房は、度重なる北朝鮮のミサイル発射問題を受けて、弾道ミサイルが日本に落下する可能性がある場合にもJアラートを使用する運用を追加した。
そして、2017年6月23日から7月6日まで、宣伝費に4億円かけてJアラートのCMをテレビで放映した。
8月29日と9月15日のミサイル発射を受けて、日本の特定の地域はJアラートを受信した。
でも、Jアラートが鳴ってからの数分間、「どうすればいいか、わからない」ととまどう人もいれば、普通に過ごす人など、対応は様々。
そもそもJアラートは、日本の上空であれば、高度に関係なく発するという。
8月も9月のどちらも、北海道の上空約550キロと約800キロを通過した。
いずれも日本の領空外である。要するに、地球の外の宇宙空間を飛んだにすぎない。
安倍首相は「日本に向かって」発射されたと述べていたが、そんなことはデタラメで、結局、日本の国家主権が及ぶ領域も領空も侵犯されていなかったのである。
それなのに、直後のテレビ番組は、どのチャンネルも北朝鮮ミサイル特集に変更して報道する。全く異常だ。
政府は、ミサイル落下時に頑丈な建物や地下への避難、近くに建物がない場合には、物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭部を守るよう呼びかけている。
相手はミサイルである。
いったい、どういうケースを想定して、地面に頭を伏せろと言っているのか・・・
しかも、Jアラートが鳴って、逃げるための時間はわずか数分しかない。
8月29日のミサイルは、約14分間で約2700キロ飛行し、北海道上空は約2分間で通過。
2分間でいったい市民に何ができるのか。
また、2度のミサイルはいずれも北海道の上空(と言っても宇宙空間)を通過したのであるが、Jアラートは、東北6県以外、茨城、栃木、群馬、新潟、長野が対象となった。
栃木、群馬、長野が対象で、なぜ東京や千葉が対象とならないのか。これも不思議な話である。
その上、最もミサイルが落下したら恐ろしい原発は、稼働したままである。
全く現実的でない。
単に国民の不安をあおっているだけとしか思われない。
2011年3月の東北大震災の際の支援を通じて、ずっと交流が続いている宮城県気仙沼市のYさん。
お目にかかったことはないが、互いに「もう親戚以上の付き合いですね」と言い合う仲になっている。
そのYさんから、今年もサンマが届いた。
夏にこちらから荷物を送った時にいただいたYさんからの返事の中に、「サンマを送ります」と書かれてあったが、その後、今年も昨年に引き続きサンマは不漁、気仙沼のサンマまつりも中止という新聞報道を目にしたり、京都のスーパーで売られているサンマもすべて北海道産だったりするため、今年はダメかも・・・と思っていた。
それが、数日前、Yさんからサンマが届いた。
嬉しい!
例年より小ぶりのサンマだが、おいしい!
その上、今回は、サンマだけでなく、カツオが1本まるごと入っていた。
で、で、でかい!
ところが、
どうしよう・・・私は魚をさばけない・・・
そんな時、頼もしい助っ人が見つかった。
それも若くイケメンのM弁護士(でも、もう立派な中堅弁護士です)。
なんでも小さい時から両親に教えられて、魚をさばけるとか(偉い親やね)。
「カツオはうろこがないから、おろしやすいんですよ」と言いつつ、
「こんなデカいカツオは、切ったことがないなあ」と頭の骨を切る時は、かなり力を入れてさばいていた。
でも、見事! 30分もかからず解体完了。
さすがの腕前!
その日の夕食は、もちろん新鮮なカツオの刺身。
美味でした。
Yさん、本当に有り難うございました。
国連総会では、北朝鮮に対し各国から厳しい批判が相次いだが、北朝鮮への対応をめぐる各国の指導者の発言内容はかくも違う。
2017年9月22日付け京都新聞朝刊は、「危機的な状況にあるとはいえ、あざけりや対立をあおるのが『偉大な国』の指導者にふさわしいとは思えない」と論評した。
米国トランプ大統領は、就任後初めて国連総会の一般討論で演説を行った。
北朝鮮の金正恩委員長を「ロケットマン」とあざけり、「自国と同盟国が防衛を迫られれば完全に破壊するしか選択肢はなくなる」と警告した。
北朝鮮も挑発的な言葉を発し続けているが、トランプ氏も同じレベルとしか思われない。
安倍首相も、トランプ氏に呼応し、「(核計画放棄のために)必要なのは対話ではない。圧力だ」「『全ての選択肢はテーブルの上にある』とする米国の立場を一貫して支持する」と述べた。
他方、ドイツのメルケル首相は、ドイツの海外向け公共放送のインタビューで次のような発言を行った。
トランプ氏の発言に対し「このような脅しには反対する」と明言し、「ドイツ政府はどのような武力解決もまったく不適切だと判断するし、外交努力と(国連安保理決議の)制裁実現が正しい答えだ」と強調した。
更に、「(北朝鮮をめぐる)紛争はドイツにとっては空間的には遠いがそれでも打撃になる」と懸念を表明し、「だからこそ、われわれは北朝鮮の紛争の平和的解決にまい進する用意がある」とした。
フランスのマクロン大統領も、米CNNへのインタビューで「軍事的解決を選択すれば、多くの犠牲者を生むことになる。私は多国間による交渉を通じて、平和を構築できると信じている」「緊張を緩和し、周辺地域の国民を保護するための適切な答えを探すことが私たちのすべきことだ」と語った。
安倍首相は、国連総会では「脅威はかつてなく重大で、眼前に差し迫ったものだ」と強調しながら、国内では、原発を停止することもなく、衆議院解散によって政治的空白を作ろうとしている。
結局、国民に不安や危機感をあおっているだけにすぎない。
9月17日(日)、台風が西日本を通過する予定だったが、朝から夕方までは、曇り空のまま、雨は降っていなかった。
そこで、思い立って、三条会商店街の中にあるカフェの「10分モンブラン」を食べに行ってきた。
「10分モンブラン」のことは、今年4月にテレビ朝日「LIFE~夢のカタチ~」で放映されて知った。
三条商店街にある「Sweets Cafe KYOTO KEIZO」のオーナーパティシエ西田敬三さんは、他店で洋菓子職人として40年勤め上げ、還暦を迎えてから独立した。
そして、オープン時に目玉として売り出した賞味期限10分という「10分モンブラン」は、そのネーミングも手伝って、大評判となった。
三条会商店街は、それほど遠くないので、食べてみたいと思ったが、行列してまではね・・・
そこで、台風が来そうな日なら、観光客も来ないだろうし、そんなに混んでいないと予想し、9月17日、少しのRUNとあとは歩いて三条会商店街へ行ってみた。
三条会商店街は、堀川通りから千本通りまでの三条通にあるが、店は堀川通りに近かった。
店に着くと、家族連れが1組だけ待っていただけで、すぐに入店できた。
10分モンブランを食べに行ったのだが、店員さんから、季節・期間限定のビスタッチオのモンブランがあると聞いて、それを注文した。
私の順番が回ってくると、店員さんから「作っているところを見ていただけますよ」と声がかかったので、奥の工房を覗かせてもらった。
西田さんが作っている!
3個ずつ、アッという速さでできあがっていく。
いよいよ、テーブルに運ばれてきた。
見た目は普通のモンブラン。
また店員さんが、詳しく説明してくれる。
「5分、10分経つと、食感が変わりますよ」と。
中はこんな風になっている。
中に、メレンゲの固まりが入っていて、それが最初はサクサクで、時間の経過とともに、溶けていってクリーム状になる「構造」のよう。
納得。
でも、食べ終わるまで10分も持たなかったよ。
おいしかった!満足!
9月7日発売の週刊文春を購入した。
別に、山尾志桜里衆議院議員の不倫疑惑記事が読みたかったわけではない。
めったに買わない週刊誌を買ったのは、「楠木新氏が教える『定年後』に輝くための7カ条」という記事が読みたかったからだ。
実は、楠木新氏(注、ペンネームです)は、大学の時のクラスメートである。
大学卒業後は全く交流がなかったが、数年前から毎年開催されているクラス会で再会し、50歳の頃から会社に勤務しながら、「楠木新」という名前で執筆活動をされていることを知った。
「人事部は見ている」(日経プレミアムシリーズ)とか「働かないオジサンの給料はなぜ高いのか」(新潮新書)など、結構、その著書は人気がある。
最近出版された「定年後」(中公新書)という本は、発行部数が20万部を超えたとのこと。
先日、書店に行ったら、この本が平積みしてあったので、やはり人気があると確信した。
今回の週刊文春の記事では、数多くの定年退職者や、中高年以降に会社員から異なる仕事に転身した人たちの取材から、定年後をイキイキと過ごすための行動のヒントが7カ条にまとめられている。
以下は、その要約。
第1条 退職3年前には準備を始める
自分の立場を変える、それまでの世界とは違う「面白いこと」を身に着けるのには、3年程度の時間が求められる。
より早くスタートする方がスムースに進み、選択の幅が広がる。
第2条 お金がもらえる趣味を探す
収入があるということは、誰かの役に立っていることであり、社会的なつながりを持つ活動になる。
また、自分の力量をアップすることにもつながる。
第3条 同窓会で子ども時代の自分を発見
子どもの頃と今がつながっている。
第4条 若い頃は趣味より仕事
40歳位までは懸命に仕事をした人の方が、その後の仕事の選択の幅が広がる。
働いている組織をよく知るためには、一度は仕事にどっぷりとつかった方が良い。
第5条 個人事業主に学ぶ
個人事業主は社会と直接的につながっている。
個人事業主に接触すると、会社員の自分を客観化することができる。
第6条 ロールモデルを探す
会社員から転身した人で、こうなりたいと自分が思う人に近寄り、時間と空間を共有しながら、その人と自分を重ね合わせてみる。
個性も経歴も異なったとしても、自分の歩む道も見えやすくなる。
第7条 自分を変えるのはムリ
自分自身を変えるのは難しい。自分を変えようとするよりも、ありのままの自分をどこに持っていけばよいのかを検討する方がうまくいく。
番 外 挫折や不遇体験は役に立つ
自分の悩みに関わることや、そこから派生することがきっかけで一歩前に踏み出す人が多い。
ここで大切なことは、悩みや挫折から目をそむけないこと。
楠木氏は、60歳の定年後から、他人の支援や介助を受けなくてすむ75歳くらいまでの期間を「黄金の15年」と名付けて、ここが人生後半戦の勝負所だとする。
そして、また、楠木氏は、最後に「顔つきがポイント」と言う。
「発言では美辞麗句を並べることはできても、顔つきだけはごまかせない」「その人の内面の状況をあらわすのは顔つきであるからだ」と。
「自分にとって本当に大事なものや、自分が果たすべき役割に気づいた人は、優しいまなざしをもった穏やかな表情になる」
「定年後は『いい顔』になることに取り組んでみればいいわけだ」と結ぶ。
私たち弁護士は、多くは、上記の個人事業主であり、定年はない。
それがいいか悪いか・・・
なぜかというと、「黄金の15年」をどう生きるのかを考えることなく、これまでと同じようにダラダラと人生を過ごしてしまう「恐れ」もあるからだ。
今のままでいいのか、と常に自問自答している。
最近は、大学のクラスには参加できていない。
来年は参加して、楠木氏と話をしてみたいと思った。
●8月4日 烏帽子岳(2628M)、8月5日 野口五郎岳(2924M)
烏帽子岳から野口五郎岳へという裏銀座縦走コース。
ちなみに、歌手の野口五郎は、この野口五郎岳から芸名を取ったとのこと。
私は、1999年8月にこのコースを歩いたことがあり、今回は18年ぶりに同じコースをたどった。
前夜は、七倉山荘に宿泊。18年前にも宿泊した七倉山荘は、当時は、山小屋と民宿の中間のような雰囲気だったが、とても綺麗に改装され、部屋(個室)にはテレビもあり、浴場には露天風呂もあってまるでホテルのような浴室だった。食事もとてもおいしかった。
朝一番(午前5時半)に東京電力のゲートが開くのと同時にタクシーに乗って、高瀬ダムまで。ここからは、徒歩で行くか、タクシーでしか入れない。
高瀬ダムは、岩を積み重ねたロックフィルダムで堤高は176m、黒部ダムに次いで日本2位の高さ。
ダムの最上部でダクシーを下りる。
トンネルからスタートし、長い吊り橋を渡り沢を渡ると、ブナ立て登山口。
登山口の手前にある沢は、普段は小さな沢だが、雨が降ると、山の上から土石流が流れることがあり、1998年夏には、大学生二人がこの沢で流され、一人が死亡した。
私が前に登った1999年には、亡くなった女子大生の碑があったが、今回、その碑は見あたらなかった。
ブナ立て登山口。
高瀬ダムから烏帽子岳までの登山道は、ブナ立て尾根と呼ばれ、北アルプスの三大急登の1つと言われている。
この登山口から烏帽子小屋の付近までの登山道には、⑫から①までの番号がついた標識が立てられており、目安となる。
三大急登とは言うもののストックが使える程度であるが、この日は、気温が高く風もなく、蒸し暑く、苦しい登りであった。
でも、高山植物もたくさん咲いている。
④は三角点。もうバテバテである。
何度も休みながら、やっと烏帽子小屋に到着。
周囲の山々にはガスがかかって、あまり見えない。
それでも、小屋の前には、たくさんのイワギキョウが群生しており、疲れを癒してくれた。
小屋の前で30分ほど休憩を取った後、烏帽子岳に向かう。
烏帽子岳
烏帽子岳の頂上直下は、かなり急な岩場で、怖かった。
「怖い」という記憶があまりなかったということは、18年前は、軽々登れたのかな・・・・
狭い頂上に立ったものの、ガスで何も見えず、人もたくさんいたので、早々に下山。
小屋に戻る途中、雷鳥と出会う。
翌朝は、午前5時15分に出発し、野口五郎岳に向かう。
起床した時には晴れていたが、すぐにガスが上がってきた。
途中一瞬、槍ヶ岳が見えたが、その後は、ひたすらガスの中を歩く。
野口五郎岳もガスの中。
写真だけを撮って、先に進み、分岐から湯俣温泉方面に竹村新道を下山した。
ただ、これがまた、かなりザレた登山道のハードな下りで、湯俣温泉に着いた頃には、もうヘロヘロになった。
この裏銀座縦走コースは、表銀座コースと異なり、登山者もそれほど多くなく、しかも晴れていれば、すっと槍ヶ岳を眺めながら歩くことができる絶景の快適コースである。
今回は、全くその醍醐味を味わうことができなかったことが、つくづく残念。
もうすぐ8月も終わろうとしており、今年もいくつかの夏山に登った。
しかし、今年は、2017年7月25日付けブログで書いた北海道を始め、どこの山に登っても天候不良で、自分が本当に「雨女」かもしれないと思ってしまう。
田部井淳子さんをはじめ、著名な登山家たちは、その著書などで「雨の日の登山も楽しい」と書かれているが、周囲の山々が何も見えない中を黙々と歩いていくのは、正直つらかった。
●7月23日 仙丈ヶ岳(標高3033M)
仙丈ヶ岳は、南アルプスの山で、日本百名山の1つ。
私は2013年7月に日本百名山を完登したが、100座の山を登ったうち、雨の中を登った山もいくつかあり、仙丈ヶ岳もその1つであった。
仙丈ヶ岳は、花の百名山でもあるので、是非、高山植物が咲く頃に登ってみたかった。
当初の天気予報では晴予報であったが、直前に天候悪化となった。
前夜、北沢峠のこもれび荘(綺麗に改装されていた)に泊まり、翌朝午前5時15分出発。
天候は曇りで、周囲の山々はガスで見えない。
沢沿いの登山道を登る。沢にはまだ所々雪渓が残っていた。
高山植物もたくさん咲いている。
ウサギギク
キバナシャクナゲ
沢から離れ、樹林帯の登山道を少し登ると、馬の背ヒュッテという山小屋が現れた。
しかし、この辺りから雨が降り出す。
馬の背ヒュッテから尾根を歩き、急坂を登って仙丈小屋に到着。
小屋の自炊室で昼食を食べていると、少しだけガスが切れ、仙丈ヶ岳の頂上が見える。
昼食後、登頂。
ガスが取れることを期待して約20分ほど頂上にいたが、結局ガスは取れず、泣く泣く下山した。