5月11日(土曜)、滋賀県に住む友人も出品している書展が大津市歴史博物館で開かれていたので出かけた。
前回伺ったのは2015年だったので、4年ぶりだ。
書道の「先生」クラスの方々の作品なので、どれも素晴らしい。
昔は「書」などには全く興味がなかったが、この友人に誘われて「書」を見たことがきっかけで、「書」が芸術であることを知り、また、その技や奥深さに惹かれた。
篆書(てんしょ)やトンパ文字など、日常生活では見られない書体もあって、面白い。
友人の作品2点。
墨をにじませるのも技法の1つのようだ。
赤と黒の紙を使って書かれているのが、お洒落で遊び心があって、目立っていた。
この紙は、中国に行った人からの土産だそう。
結婚されて東京に住む息子さんもパートナーと二人で来ておられた。
あの小さかったKちゃんがすっかりカッコいい大人になって、なんだか私の方が照れくさかった。
快晴の琵琶湖の風がさわやかだった。
ブログ マチベンの日々
昨年11月24日、自転車でこけて左前腕を骨折したことは、このブログにも書きました。
多くの皆さんにご心配いただき、本当に有り難うございました。
12月3日に手術をし、それからリハビリが始まりました。
初めてリハビリというものを体験しました。
腕を固定していたシーネが取れても、左手は前後に動かしたり、ひねったりすることができませんでした。
でも、リハビリを続けていくと、不思議と少しずつ動くようになっていきました。
事故は一瞬で起こりますが、治るのには時間がかかることを痛感しました。
連休前の診察で、主治医から「もう骨はくっついているから、何をしてもいいよ」と言われました。
左手は、まだ完全に右手と同じように動かせるわけではありませんが、日常生活にはほとんど支障はなくなり、同じ日、リハビリも打ち切りになりました。
あとは、自分の努力だけです。
事故以来、自転車には乗っていません。ひたすら歩いてます。
歩く時も、慎重になりました。
でも、事故は忘れた頃にやってきます。
気を付けましょう。
連休に長野県に行き、ルバーブに出会った。
ルバーブは、シベリア原産の野菜で、ヨーロッパでは広く栽培されている。
日本にはまだあまり定着していないようだが、最近、少し栽培する農家も増えているらしい。
見た目はフキやセロリのよう。
煮るとすぐクタクタになるので、ジャムに適しているらしい。
ルバーブという野菜があることは、料理研究家の石原洋子さんの本にジャムの作り方が書かれてあったので、以前から知ってはいたが、近所のスーパーでは見かけないので、買ったり作ったりすることなどないと思っていた。
でも、長野県でたまたま見つけたので、ここで買わないと、ルバーブジャムの味を知らないままになると思い、買ってみることにした。
ジャムの作り方は、いちごやリンゴなどと同じ。
ルバーブを1センチ位に切って、蜂蜜をかける(私はジャム作りに砂糖を使わない)。
数時間放置しておくと、水分が出てくるので、火にかけ、アクを取りながら、約15分位煮る。
あとは、煮沸消毒した空き瓶に入れて、冷蔵庫へ。
最初の写真のように、緑色のルバーブの方が多かったのに、出来上がりは真っ赤なジャムになった。
朝食でトーストに乗っけて食べる。
いちごやリンゴより酸味があって美味しい。
また、「出会い」があれば買ってみよう。
まるで桃源郷のようだった(千年の丘から天空の庭を望む)。
ここは、奈良県吉野郡東吉野村。
あの有名な吉野山の桜ではない。
関西のマッターホルンとも呼ばれる高見山(たかみさん、1248.4M)の近くに、この「高見の郷」の桜がある。
林業の衰退に伴いだんだん荒れていく山の再生を考えて、花好きな母親が県外まで見に行く桜を植え育てることした島崎さん。
全国から約1000本のしだれ桜を集め、2004年に開園した。しだれ桜ばかり1000本というのは大変珍しい。
2019年4月21日(日)。晴天で絶好のお花見日和。
当初の予定では、高見山に登り、その帰りに高見の郷に立ち寄る予定だった。
ところが、8キロ程手前から桜見物の車の大渋滞で、全然前に進まない。
やむなく途中の高見公園で昼食を食べ、渋滞が少しおさまった午後1時30分頃に出発。
高見山登山はあきらめ、高見の郷の桜だけを見ることにした。
高見の郷に近づくにつれ、車道からでも、ピンクに染まった山が見える。感動!
九州のミヤマキリシマを見た時も、山が濃いピンクに染まっていたことを思い出した(2012年6月15日付けブログ。右検索欄に「ミヤマキリシマ」と入力してください)。
やっと、高見の郷に到着。
受付には、たくさんの列。
高見の郷のしだれ桜は山の斜面に植えられているので、展望台である「千年の丘」に行くには、標高差約300Mほど、約800段以上の階段を上がらなくてはならない。
そのため、園内には、無料の送迎バスが走っており、そのバス待ちの人達の列だった。
高見山には登れなかったので、体力が温存されていた私はもちろん階段を上る。
山の斜面のしだれ桜を眺めながら、急階段を上っていく。
どんどん階段を上っていくと、「天空の庭」というフラットな場所に到着。
しだれ桜が、まるでシャワーのよう。
天空の庭では、食べる物なども販売されており、しだれ桜の中の遊歩道を歩いたり、飲食もできる。
天空の庭から、ほぼ水平に遊歩道を歩き、それから更に階段を上って、展望台の千年の丘へ向かう。
(下の写真の道は、無料バスの道路)
千年の丘への遊歩道から天空の庭を望む
そして、千年の丘に到着。
丘から天空の庭を望むと、冒頭の写真のような景色が広がっている。すごい!すごい!
素晴らしい!桜がまるで雲海のよう。
下りも、もちろん階段を下る。
高見山には登れなかったが、階段の上り下りで結構な運動になった。
京都の地域医療・訪問医療の草分け的存在の早川一光(かずてる)医師が昨年6月2日に亡くなられて、もうすぐ1年が経とうとしている。
早川医師のことは、これまで、このブログで2度書いた(2017年3月10日付け、2018年6月5日付け。右検索欄に「こんなはずじゃなかった」と入れて検索してください)。
2016年1月から京都新聞で始まった早川医師の連載「こんなはずじゃなかった」。
早川医師自身がガンにおかされ、寝たきりとなって闘病生活を送る中で、亡くなるまで約2年半続いた。
軽妙な語り口で語る本音は、とても面白く興味深かった。
その連載は、今年2019年の坂田記念ジャーナリズム賞も受賞した。
その早川医師を撮影した写真や収集資料を再構成した展覧会が、現在、京都新聞社2階ギャラリーで開催されている(4月13日~5月12日。午前10時~午後5時)。
早川医師の闘病中の姿、家族、自宅などが大判のパネルで展示されているほか、昭和20年8月15日の終戦の日から、早川医師が亡くなる昨年までの新聞記事が年を追って順に並べられ、その中で早川医師の地域医療のとりくみの歩みや国の医療政策などが紹介されていた。
早川医師は、確実に、京都の庶民の歴史を作ったお一人であったと思う。
2018年7月、タイ北部の洞窟に13人の少年らが閉じこめられた事件はまだ記憶に新しい。
ダイバーたちによって、全員が無事救出された。
そのタイの少年たちのサッカーチームが、2019年4月5日来日し、翌6日、福島県を訪れ、地元のサッカーチームと交流試合をした。
なぜ、福島なのか。
2018年11月21日付け京都新聞夕刊1面の「現代のことば」欄に、立命館大学の開沼博准教授が次のような文を書いておられ、それが、とても感動的な内容だったので、切り抜いて保管していた。
救助活動の苦労の1つに「光の確保」があった。
複雑な構造をした洞窟のため、ライトで照らしても行き先を把握しきれない。
そんな現場に600個の「光る石」が持ち込まれた。
電気がなくても水の中で発光する畜光磁器。
ダイバーはこれを道しるべとして、すべての少年らの救助に成功したという。
そして、実は、この畜光磁器は福島第1原発事故の後、全村避難の対象となった福島県川内村で作られたものだった。
この事件の時、川内村の遠藤村長とこの畜光磁器を製造する企業「コドモエナジー」(本社、大阪)の岩本社長がタイを訪問していたことがこの偶然につながったという。
社会の役に立つものを福島の被災地から発信したいと、原発事故後、川内村に工場が作られ、製造されてきたのだった。
そして、タイの洞窟の中で、その畜光磁器は光輝き、少年らの救出につながった。
あの世界的に注目された事件に、このような日本人の素晴らしい貢献があったのだ。
実は、岩本社長は、否応なく衰退して弱っている地域を応援する事業が必要だと考え、川内村でも工場だけでなく、カフェやイベントで移住や交流人口を増そうとかしているという。
岩本さんの活動が「光」のように輝いている。
今年初めての登山は、香川県のさぬき市と東かがわ市にまたがる山、女体山(にょたいざん、774m)。
女体山を越えると、第八十八番札所「大窪寺」があり、そこが下山の目標地点。
「道の駅ながお」の向かいに「お遍路交流館」があったので、そこに立ち寄り、「大窪寺」まで歩くMAPをもらい教えてもらった。
当初計画していたよりも近道があることがわかった。
最初は、バス通りを歩き、次のバス亭から川沿いの道に入る。
しばらく進むと、「四国のみち」(おへんろの道)と書かれた道標があった。
ちゃんと「大窪寺」も示されている。
最初、道は、ゆるやかな坂道が続く。
途中、何回か、林道を少し歩いては、また山道に入ることを繰り返した。
所々に道標があり、迷うことはない。さすが、お遍路さんの道である。
どんどん進んでいくと、ようやく山らしい急坂の登山道となった。
今年初めての登山なので、まだ身体が登山向きとなっておらず、登山道も突然急坂となり、結構、息が切れる。
山頂直下は、岩場をよじ登り、頂上へ。疲れた~!
山頂は木々に囲まれ、あまり展望はない。
バスの時間に間に合うようにと、おにぎりを1個食べただけで下山開始。
第八十八番札所「大窪寺」に到着。
バスにも間に合った。
女体山までのお遍路道では、誰一人、登山者にもお遍路さんにも出会うことはなかったが、帰りのバスでは、何人かのお遍路さんと一緒になった。
皆、大窪寺へは、女体山を越えてではなく、バス道を歩いて来ているようだった。
そうだよねえ~、こんな山は、なかなかしんどくて登れないよね~
オマケ
帰りに寄った亀鶴公園(きかくこうえん)の前の神社(宇佐神社)の石像は、なんと猫だった。オモロ。
この初登山の後は、太ももの筋肉が痛み、数日間、階段を下りるのに苦労した。
情けな~い!
2019年3月末、今年の初登山とお花見を兼ねて、香川県を旅した。
まず、香川県三豊市(みとよし)へ。
「三豊市ってどこ?何があるの?」と言う人も多いと思う。
私もつい最近まで知らない町だった。
毎週火曜午後8時から、BS朝日で、「三宅祐司のふるさと探訪」という番組が放映されている。
三宅祐司が、毎週1カ所の土地を訪れ、地元の人の「ふるさと自慢」の食べ物や景色を探して歩く。
三宅祐司と地元の人とのふれあいもほのぼのとしており、毎週楽しみに観ている。
三豊市は、この番組を観て知った。
三豊市に入り、まず訪れたのは、「元祖 たこ判」の店「小前(こまえ)」。
「たこ判」は、大判焼きの型で焼く、大きな(直径10センチ位)たこ焼き。
卵たこ判は1個150円。メチャクチャ安い。そして美味しい!
1個で十分お腹がふくれた。
何十個も買う人もいて、その時は、事前に予約した方がよいらしい。
次は、讃岐うどん。だが、番組で登場した店は休み。
やむなく通りがかりの店に入る。
「かけうどん」「釜揚げうどん」「ぶっかけうどん」など種類が一杯あって、うどん通ではない私にはどんなうどんなのか、さっぱりわからん。
店の人に教えてもらい、肉ぶっかけうどんを食べる。
お腹もふくれたので、紫雲出山(しうでやま、352m)へ。
山頂まで徒歩10分の所に駐車場があるので、紫雲出山へは車で行った。
山頂には、吉野山に劣らぬほどの桜のみどころがあるということで訪れたが、桜はまだ開花しておらず、1週間早かったかなあ・・・
山頂展望台から桜の木々と瀬戸内海の島々を望む
山頂には、弥生時代の高地性集落の遺跡館があった。
この日の最後は、最も楽しみにしていた「父母が浜(ちちぶがはま)」。
約1㎞にわたる海水浴場で、「日本の夕陽百選」にもなっている。
夕方、引き潮になると、砂浜にできた潮だまりが水鏡のように人物を映すということで、若者を中心に「インスタ映え」するスポットとして人気の地。
三宅祐司の番組では、確か、あいにくの雨あるいは曇りだったような記憶。
この日は、晴れてはいたが、夕日までにまだ時間があり、しかも風で水面が波打っており、待てど待てど、なかなか水鏡のようにならない。
若者たちが色々ポーズをとっていたので、撮らせてもらった。
水鏡の写真はあきらめ、私も裸足になって海の中に出来た砂浜まで歩いて行った。
素敵な場所だった。
歌手で俳優の、ショーケンこと萩原健一が3月26日亡くなった。享年68歳。
グループサウンズ(GS)全盛時代、私は、ザ・テンプターズのボーカルだったショーケンの大ファンだった。
当時、私は中学生。
GSでは、ザ・タイガースのジュリーこと沢田研二が甘いマスクで圧倒的人気だったが、私は、人なつっこいがどこかクールさがあるショーケンの方が好きだった。
岐阜の田舎で暮らしていた純朴な(?)少女だったため、コンサートに行くとかファンクラブに入るとかなどは、およそ思いもつかなかったが、出演するテレビ番組を欠かさず観ることはもとより、レコードを買ったり、「平凡」や「明星」という当時の芸能月刊誌を毎月買って、写真のページを切り抜いて集めたりして夢中になった。
「お兄さんになって」とファンレターを書いたこともあった。
これほど芸能人に夢中になったことは、この中学生時代だけだった気がする。
でも、人気の頂点にいた当時の彼は、かわいい衣装を着せられ、気に入らない曲を歌わされるのが我慢できなかったらしい。
そしてグループサウンズの全盛が過ぎ、彼が再び俳優としてテレビなどに登場した頃は、私は大学生となり、テレビのない生活を送っていたので、ショーケンが出演していたというテレビドラマは全く観たことがない。
また、当然、私自身の彼に対する熱も冷めていたと思う。
昨年、NHKで放映された「不惑のスクラム」(高橋克典主演)は、なかなか胸を打つドラマだった。
彼は、ヤンチャーズという中高年のラグビー部の重要な役割を演じていた。
ガンで死んでいく役で、久しぶりに観たショーケンはずいぶん年をとったが、いい味を出していた。
ショーケンは、間違いなく私の青春の1コマを飾った歌手だった。
そして彼が出演したドラマや映画を観る機会があれば、私が見逃した彼を感じることができるのになあと思う。
3月24日の日曜日に、高知県四万十市で地域医療に携わる小笠原望(おがさわら のぞみ)医師の姿を追った映画「四万十~いのちの仕舞い~」が上映された会場で、「診療所の窓辺から」という本を買った(発行:ナカニシヤ出版)。
以前から読みたいと思い、新聞の広告記事を切り抜いて持っていた、その本である。
会場では、本の裏に、小笠原医師直筆の川柳がまあるい字で書かれて販売されていた。もちろんサインも。
本によって、何種類かの異なる川柳が書かれてあったので、私は「四万十の風と握手して生きる」という川柳を選んだ。
この本は、朝日新聞購読者向けの月刊誌「スタイルアサヒ」に小笠原医師が連載されたものを抜粋、加筆修正して再構成されたものとのこと。
病気、高齢、介護、在宅医療、看取り・・・どれも重い事柄だが、「ひとのいのちも自然のなかのもの」という小笠原医師の暖かく柔らかい一言一言とそれに呼応する患者さんとのやりとりが、何とも言えず穏やかなのである。
まるで、四万十川の流れのよう・・・
今度は、小笠原医師の話を直接聞いてみたいと思った。
週末は寒かったが、3月24日(日曜)はそこそこの天気だったので、おそらく大学生の時以来となる吉田山をブラブラ歩いてみた。
吉田山は、京都大学の東側に位置し、標高は105M。
登り口はいくつもあるが、今出川通りの登り口から登った。
大学1回生の時の1年間、吉田山のふもとの神楽岡町に住んでいたので、毎朝、この登山口の前を通って大学に通っていた。
山頂までの道は、舗装され整備されている。
でも途中から、舗装なしの山道の方へ入り、その道から山頂に出た。
山頂には、あずまやがあり、二人の老人が、なにやら政治談義をされていた。
山頂は、木々に覆われ、展望はなし。
吉田山山頂
山頂から南方面に下りていく。木々があって、見晴らしはあまり良くない。
更に進むと、子ども達用の園庭があった。
昔、この奥の建物は、学童保育として利用されていた。
司法試験に合格した後、大学卒業までの数ヶ月、学童保育のアルバイトをした懐かしい場所。
当時は、こんな滑り台やブランコはなかったような記憶だが、自信はない。
結局、吉田山の西側に下りた。
京大正門前に近い登り口。ここが吉田神社の参道だと思う。
1時間ほどのウォーキングでした。
新聞に掲載された本の書評や広告で、「読みたい」と思ったものについては、切り抜いて、いつも仕事用のカバンに入れて持ち歩いている。
高知県四万十市で地域医療に携わる小笠原望医師の「診療所の窓辺から」(ナカニシヤ出版)という本もその1つであった。
2019年3月21日(祝)付け京都新聞朝刊の1面下に「診療所の窓辺から」の本の広告が載っており、その中に「本日開催!府民向け映画上映会13:30~16:00、入場無料 主催:京都府医師会」と書かれてあることに気が付いた。
まさか映画が観られるとは思ってもいなかった。
祝日でもあり、午後の予定は特になかったので、すぐに行くことに決めた。
午後1時少し前に会場に到着したが、既に、会場内は人で一杯で、後方の席しか空いてなかった。
知らなかったが、小笠原医師は、一昨年に、同じ京都府医師会の企画で京都で講演されているようだった。
今回は、ビデオメッセージでの参加。
映画「四万十~いのちの仕舞い~」は、溝渕雅幸監督が、地域で在宅医療にとりくむ小笠原医師を約1年間密着して完成させたドキュメンタリー映画である。
日本で最後の清流と呼ばれる四万十川の自然・四季を背景に、小笠原医師と患者さんとの診療の日々、そして、いのちの看取りが描かれる。
小笠原医師と会話を交わすと、病や死の不安から解き放たれるような気がしてくる。
つらく苦しいものを目にしているはずなのに、暖かく、ゆったりした空気が流れる。
それが、小笠原医師の「ひとのいのちも自然のなかのもの」という言葉に表れている。
こんな医師がいるんやなあ。
思いがけず、良い時間を過ごした。
もちろん会場で、「診療所の窓辺から」という本も購入した。
弁護士になって以来、何件もの過労死事件に関わり、深夜労働が人間の生理にいかに反するかを痛感し、あらゆる機会にそのことを訴えてきた。
しかし、「男女平等」と引き換えに、女性までもが深夜労働の制限が大幅緩和され、ついには深夜労働禁止は例外的となってしまった。
かつて「24時間戦えますか」という栄養ドリンクのCMが流行し、また、残業で夜遅く帰宅する労働者にとって、深夜営業のスーパーは「救い」となった。
午前7時から午後11時までの営業時間で始まったセブンイレブンは、いつのまにか24時間営業となった。
そして、あちこちにコンビニが乱立する状態に。
でも、長時間残業や深夜勤務で働く労働者の健康被害や過労死・過労自殺は跡を絶たない。
コンビニ問題で思い出すのは、亡き近藤忠孝弁護士のこと。
多数のコンビニ事件を扱われた近藤弁護士は、コンビニオーナーが過酷な労働で家庭崩壊の犠牲を受け、しかも自分の労働対価分が取得できないにもかかわらず本部に対し毎月高額なロイヤリティを払わなければならない実態をとらえ、これを「現代の奴隷契約」と言われた。
深夜営業が「便利」という裏には、そこに深夜働く労働者たちがいることも私たちは忘れてはならない。
働き方改革が叫ばれている今、それを「かけ声」だけに終わらせないよう、人間らしい働き方を求めたい。
昨日、午前11時55分頃から約40分間ほど、停電があった。
天気も良く、地震もなく、突然のことだった。
子どもの頃は、雷雨や台風の時には、よく停電したが、幸いにもここ数十年、停電したという記憶はない。
昨日付けの京都新聞夕刊によると、中京区の380戸が停電したようだ。
電気が突然切れた時、まず、何らかの原因でブレーカーが落ちた?と思ったが、事務所の外に出ると、マンションの管理人さんや近所の人たちが何が起こったかと確認のため外に出て来ていたので、どうやら停電らしいということになった。
停電すると、私たちの生活が、いかに電気に支配されているかを痛感する。
エアコンはもとより、パソコンそして電話までもが使えなくなる。
ちょうど昼時だったため、食事に出かけたが、事務所から少し離れた場所には何事もなく電気がきているようだった。
停電が解消されても、今度は、事務所のパソコンがサーバーにつながらないという事態が発生し、結局、業者が来て直してくれるまでは、仕事にならなかった。
インターネットで調べると、停電原因として、関西電力が「お客様の設備の不具合の影響」と書いていた。
何これ?
2019年2月24日、沖縄県では、辺野古新基地建設の賛否を問う県民投票が行われた。
歴史的な県民投票と言えよう。
結果は、「反対」が72.15%の43万4273票。昨年9月の沖縄知事選挙で玉城知事がとった39万6632票を大きく超える結果となった。
現在、国土面積の約0.6%しかない沖縄に、全国の米軍専用施設面積の約7割が集中し、沖縄県民は大きな基地負担を負っている。
あの美しい珊瑚礁の海の上を、米軍の戦闘機が耳をつんざくような轟音をたてて飛び交っている。
米軍のオスプレイやヘリの墜落事故、部品の落下事故、米兵による犯罪等も跡をたたない。
なぜ、沖縄県民だけが、かような負担と犠牲を背負わなくてはならないのか。
ニュースのインタビューに応じる沖縄の人達の一人一人の言葉には、それが「賛成」や「棄権」の人であっても、苦悩がにじみ出ている。
辺野古新基地建設問題は、沖縄県民だけの問題ではない。
誰もが、沖縄の代わりに自分が住む都道府県に新基地が建設されることなど絶対に受け入れないだろう。
また、そもそも始まりは、「世界一危険な普天間飛行場の除去」であった。
にもかかわらず、辺野古に基地が建設されない限り普天間飛行場は除去できないという理屈がまかりとおっている。
普天間飛行場の代替施設は、日本の中で押しつけ合うのではなく、アメリカのグアム島に作ったらよいのである。
安倍首相は、口では「沖縄県の民意に寄り添う」と言いながら、あくまで辺野古新基地建設は続行すると言う。
しかし、自国である沖縄県の県民の圧倒的多数が「辺野古に基地建設にNO!」という意思を表明しているのであるから、国の統治者としては、それを前提に、アメリカとあらためて海外への基地移転をねばり強く交渉するのが当然の姿勢ではないだろうか。
「辺野古」を含む沖縄の問題は、日本全体の問題でもあり、私たちも同じ国民として、次の選挙では、はっきりと自分の意思を示したい。
2019年2月18日付けの京都新聞朝刊から、楠木新(くすのき あらた)氏の「いい顔で 人生の後半戦を」というタイトルの連載が始まった。10回掲載予定とのこと。
楠木新氏(注、ペンネームです)のことは、以前にもこのブログで書いたことがあるが、私の大学時代のクラスメートである。
生命保険会社に勤務していた頃から、多数の著作を出版し、退職後は、ますます旺盛に執筆活動をされ、今、書店に行くと、ベストセラーとなった「定年後」など彼の著作が平積みされており、このような有名人と知り合いであるということは少し鼻が高い。
さて、2月18日付け記事は「①長い会社生活の終わり」という内容。
定年退職日に似合うのは、トロフィーや賞状ではなく、家族からの感謝状や花束。
でも定年後は、それまでの会社生活とは違ったものが求められる。自分自身の居場所は自分自身で見つける必要がある。
「定年前後に絡むアレコレを皆さんと一緒に考えていきたい」というテーマのようだ。
私たち弁護士には「定年」がない。
仕事に追われていると、あまり今後のことを考える余裕もないが、時折、ふと、このまま病気になって働けなくなるまで、この仕事を続けるのかなあ、自分自身としてそれでいいのかなあと考えてしまうこともある。
「定年」のない自営業の私たちにも考えさせてくれるような内容だといいなあ。
とりあえず連載を楽しみにしよう。
今年も確定申告が2月18日から始まる。
弁護士は「自営業者」だから、毎年、確定申告をする。
医療費控除は、所得が200万円以上の人は、10万円を超えた分を控除できる(200万円未満の人は、所得の5%を超えた分)。
これまで医療費が「10万円」を超えることなどトンとなく、医療費控除とは無縁であった。
でも、昨年の骨折→入院→手術→通院などにより、今年は医療費控除が使えそう。
調べてみると、医療費控除については、2018年に改定があり、従来のように領収書を提出しなくとも、「医療費通知書」を添付するか、「医療費控除の明細書」に記載すればよいとのこと。
葉書で届く「医療費通知書」は無意識に捨ててしまっていたので、結局、領収書を観ながら「医療費控除の明細書」に書かなければならない。
明細書は、国税庁のホームページからも入手できるとのこと。
また「医療費控除」の「医療」の範囲は、「医療行為に通常かかる費用」で、病気やケガのために購入した市販の医薬品や通院・入院のための交通費は対象となるが、診断書の作成費用や予防接種の費用などは対象にはならないよう。
なお、確定申告書にはマイナンバーを記載しなくても受理される。
昨年、映画「日々是好日」を観たばかりだった頃に、また女優黒木華主演で「ビブリア古書堂の事件手帖」という映画が上映されることを知った。
どんな話なんかなあと思っていた時、家庭裁判所帰りに時々立ち寄る出町柳商店街の中の古本屋に「ビブリア古書堂の事件手帖1~5」が並んでいるのを見つけた。
シリーズが5まであるのか、こんなに話が長いと読めるかなあ・・・とその時は思った。
そこで、試しに「1」のみを買って読んでみることにした。発刊は2011年。
舞台は、神奈川県鎌倉市。
主人公は、小さな古書店の美人店主篠川栞子(しのかわ しおりこ)とそこでアルバイトとして働くことになった五浦大輔(ごうら だいすけ)。
栞子は、若いが、古書に対して豊富な知識を持ち、客が持ち込む古書にまつわる謎を解いていくというストーリー。
少し推理小説のようではあるが、「犯人探し」ではなく、古書をめぐって、それに関わる人達の思いや歴史を紐解いていく。
そして作中に出てくる古書は実在のものだ。
それぞれの古書そのものに関する解説もふんだんに盛り込まれており、末尾の参考文献を読むと、作者が1つのシリーズを書き上げるのに、いかに大量の本を読んで調査研究したのかがわかる。
「1」を読んだだけでどんどん内容に惹かれていき、「2」以降も次々と購入し、骨折して入院してる間にも2冊を読み終えた。
話の展開も、古書にまつわる謎だけでなく、栞子の家族関係や大輔との恋の行方などもあって、読むのが止まらなくなった。
ついに2018年に発刊された「8」も読了。
「8」でも完結していないので、まだ物語は続くようだ。楽しみ!
残念ながら映画は観そびれた。
映画はいつかテレビで放映されるのを待つとしよう。