先々週11月5日の司法研修所の同期会に続き、先週11月12日、中学の学年同窓会が地元の岐阜市内で開かれた。
毎週連続になるので、どうしようかなあとギリギリまで迷っていたが、仲が良かった友人や恩師とも連絡を取り合い、皆、参加するということだったので、私も日帰りで参加することにした。
私の出身中学は、岐阜市内の中心地から離れ、むしろ関市に近い所にあった。
有名人で言うと、マラソンの高橋尚子や俳優の綾野剛の出身地でもある地域の子どもたちが通っていた。
1学年4クラスしかなく、150名前後の生徒数だったと思う。
当日は、同窓会開始前に、仲が良かった3人で女子会をしようということになり、京都駅午前7時45分発の新快速電車に乗った。
岐阜駅には、午前9時36分に到着予定だったが、大垣駅手前で、愛知県で人身事故が発生したというアナウンスが入り、大垣駅の直前で電車は停止したたまま、なかなか出発しない。
結局、ダイヤは乱れ、大垣駅からは臨時電車が出て、岐阜駅に着いたのは、午前10時20分頃。
こういう時、携帯電話は役に立つ。
友だちとはリアルタイムで連絡を取り合った。
やっと岐阜に着いた後は、喫茶店に入り、オバサン3人で女子会。
コーヒーを注文すると、店員さんから「モーニングもつけましょうか?」と尋ねられた。
「さすが、岐阜だね!」と言って、同窓会が始まればすぐに食事になることはわかっていたが、「同じ値段なら、頼みます」と言って、モーニング付きコーヒーとなった。
3人は、おそらく15ー6年ぶりの再会だったが、そんな空白など何ら感じず、近況を報告し合う。
話に花が咲き、アッという間に、同窓会開始時間となったので、会場のホテルへ。
参加者は、約50名。
最初は顔と名前が一致しなくても、「誰?」って尋ねて名前がわかると、不思議に中学生当時の顔と重なってくるから不思議。
恩師は4名中、2名が亡くなり、お元気な2名が参加してくださった。
私の中3の時の担任のY先生も参加され、その変わらない風貌には驚き。
若さの秘訣は?という質問が殺到していた。
思い出話というよりは、近況の話で盛り上がった。
中には、自分のつらかった人生をこっそり打ち明けてくれた友人もいて、皆、色んな人生の波を乗り越えて、ここにいるんだなと実感した。
参加して良かった・・・
ブログ マチベンの日々
11月4日、司法研修所34期の同期会が名古屋で開催され、全国から、約240名が集まった。
当時は、約500名余り修習生がいたので、約半数が集まったことになる。
私たちの時代は、司法試験に合格した翌年4月から2年間司法研修所に入り、その2年間の最初と最後の各4ヶ月を東京で勉強し、それ以外は、全国各地に配属され、裁判所・検察庁・弁護士会で実務修習を行っていた。
研修所を卒業すると、裁判官・検察官・弁護士などそれぞれの道に進み、同期会は、各期毎に10年目、20年目と開催され、その後は5年おきに開かれている。
今回、私たちは35年目。
司法試験に合格した時の年齢が様々なので、もちろん現在の年齢も異なるが、若くして司法試験に合格した人でも、35年目というと、公務員や会社員であれば、定年年齢に達している。
しかし、集まった面々は、引退ムードなど全くなく、様々な分野で活動し、困難な事件に取り組み、更には若い法律家の育成にも力を注いでいた。
客観的には、髪の色も量も、顔のしわも、からだつきも、35年前と異なっているにもかかわらず、「変わらないねえ」と互いに言い合うのは、どこの同窓会も同じ。
また、裁判官・検察官・弁護士などの立場を離れて、屈託なく話ができるのは、こんな場所だけだろう。
数年前にガンの手術を経て、「皆に顔を見せに来た」と遠方から参加してくれた友人もいた。
とても刺激的な1日だった。
40周年も、是非、多くの仲間が元気で集えることを心から願っている。
近畿にも木枯らし1号が吹いた。ついこの前まで、暑かったのに・・・
夏が終わればすぐに冬・・・秋が短いことを実感。
10月30日(日)は、久しぶりの快晴予報だったので、比良山登山へ。
目指すは、蓬莱山(1174M)。
琵琶湖側から登るのが一般的だが、今回は、裏側の鯖街道の葛川坂下町の登山口から。
京阪出町柳駅から朝7時45分発の朽木行きのバスは、2台とも登山者で満員。
1時間程バスに揺られて着いた「下坂下」のバス停で下車したのは、我々のみ。
集落の中のアスファルト道を進み、橋を渡って、登山開始。
なんだ、この登山道は!荒れている!
道迷いしないよう、注意深くテープを確認しながら、進む。
道幅は狭く、急登が続く。
風が吹くと、耳が冷たいので、持って来ていた毛糸の帽子をかぶる。
やっと、小ピークに着く。
比良山系は、色づき始めているが、あまり鮮やかな紅葉はない。
赤や黄色に色づく前に枯れてしまっている木も多い。
鮮やかな色の木を1本だけ見つけて、パチリ!
小ピークからは、少しアップアダウンを経て、小女郎ガ池に到着。
ここまで、誰一人、出会わなかった!マイナーなルート。
小女郎ガ池周辺は、琵琶湖側から登ってきた登山者で一杯。
池畔で昼食。
メニューは、定番の焼き肉と焼きそば。
蓬莱山を眺めながら食べる。至福のひととき。
昼食後は、蓬莱山へ。
一般の人も、蓬莱山へはゴンドラで打見山まで上がり、そこからリフトで来られるので、山頂は人で一杯。
快晴で360度の展望。
琵琶湖も周囲の山々も、とても綺麗だった、
我々は、もちろん下山も足で。
途中、マムシグサが咲いていた。
2016年10月22日付け京都新聞朝刊に、こんなタイトルで記事が載っていた。
藤原紀香が水素水にはまっており、結婚式の引き出物は水素生成器だったとか・・・
近年、芸能人による愛用も話題となり、健康ブームの中で、「水素水」が注目されている。
私が通っているスポーツクラブにも、1年程前から、水素水の機械が設置され販売されている。
スーパーマーケットでも手軽に購入できるが、結構、値段は高い。
そんな中、国立健康・栄養研究所が水素水の有効性に疑問を示す見解を発表したというのが、冒頭の新聞記事。
水素水とは、同研究所によると、「水素分子(水素ガス)の濃度を高めた水」。
ブームに至る流れは、2007年、水素分子が動物実験で「治療効果のある抗酸化物質として作用した」とする論文が発表されたことという。
しかし、今年6月、同研究所は、「ヒトでの有効性について信頼できる十分なデータが見当たらない」との見解を発表した。
市販の水素水は「カテゴリーは単なる清涼飲料水。水分補給にしかなりません。体調が良くなったというのは、思い込みでしょう」と一蹴した教授もいる。
国民生活センターも、広告の数値にまどわされないようにしましょうと警鐘を鳴らしている。
ブームに飲み込まれないことが大切。
ちなみに、私は、専ら、近くの神社の地下水をいただいている。
先週の土曜日(10月22日)のニュースで、登山家の田部井純子さん(77歳)が死去されたことを知った。
田部井さんは、憧れの女性の一人だ。
最近では、田部井さんが出演されるテレビ番組は、ほとんど必ず観ていた。
郷里の福島県にロッジを持っておられることを知り、是非1度、行ってみたいと思っていたところだった。
田部井さんは、1975年、35歳の時に、女性として初めてエベレストに登頂し、1992年には女性で世界初の7大陸最高峰登頂を果たした。
そのような輝かしい記録は、「女性初」という称号は与えられたものの、現実には、世間で多くの偏見や非難があったことは想像に難くない。
田部井さんは、その意味で、女性の登山に道を開いてくれた人であった。
でも、私がもっと心惹かれたのは、2012年に腹膜ガンで余命3ヶ月と告知されたが、医師から「普通の生活を送りなさい」と言われ、「私にとって普通の生活とは山に登ること」と、抗ガン剤治療の間も山に登り続けたこと。
東北大震災の被災者を元気づけうようと、福島県内の山や富士山を登り、一歩一歩前に進めば、必ず頂上に到達することとその喜びを体験する活動を続けて来られたこと。
そんな前向きな生き方に深く感銘を覚えた。
死去の報に接し、昨日、田部井さんが2008年に出版された著書「田部井淳子の実践エイジング登山 いつでも山を」と読み返した。
山は「競争じゃないし、特別な才能もいりません」
「60歳からでも70歳からでも始められます」
「どうせ払うお金なら、病院にではなく山に使いましょう」
「恐れず新しいものに取り組んでいきたい」と語った田部井さん。
後進のために、たくさんの生きる力や楽しみ方を与えてくれた田部井さん。
これからも、そんな田部井さんの言葉や姿勢を人生の糧として生きていきたい。
10月10日は、Aちゃん主宰の料理教室「Angel Kitchen」に参加。
前回が6月だったので、4ヶ月ぶり。
顔なじみになったメンバーに、今日は、バレリーナをされている新婚のEさんも参加。
今回は、ハロウィンのかぼちゃづくしメニュー。
キッチンに1歩足を踏み入れると、もう、そこはハロウィンの世界。
Aちゃんのお母様が作られたクロスステッチ。
今回は、たくさんのハロウィンメニューがあって、本当にこんなにたくさん作れるんだろうかと思ったけど、Aちゃん先生は、説明しながら、複数のメニューを同時にテキパキと段取りよく進めて行く。
●ポコポコパンプキン(=かぼちゃのちぎりパン)。
「いづみさん、パンを作ったことありますか?」
「1度もありません」(おそらく、これからも・・・)
砂糖やバター、牛乳なしで、塩と豆乳とオリーブオイルだけ。
でも、あま~い。
●ハロウィンスープ。
これは、おいしい!今回のメニューの中では、私のイチオシ!
かぼちゃのスープはよく作るが、これは、ココナッツミルク入りで、少しピリ辛の濃厚味でおいしい!
●ハロウィンかぼちゃライス。
今回のメイン料理?
坊ちゃんかぼちゃをレンジで加熱した後、中身をくり抜いて、器を作り、その中にピラフを詰める。
周囲にサラダを敷いて、Aちゃんが作ってくれたハロウィン用の蒸し人参をトッピング。
●まだまだ、あります。かぼちゃとキノコの豆乳グラタン。
これもメイン?
かぼちゃ、炒めたじゃがいもや玉ねぎなどの具材の上に、米粉の豆乳ホワイトソースをかけ、それに更にハーブパン粉をふりかけ、オーブンで焼く。
●デザートは、パンプキンマフィン。
北欧紅茶と共に。
もう、食べきれませ~ん!残りはお土産に。
食事して、おしゃべりしていたら、もう夕方。
Aちゃん先生からは、メッセージつきのハロウィンクッキーをいただく。
その上、サプライズで、Aちゃんのお姉さんのA子ちゃんとも約40年ぶりの再会。
楽しい1日でした。
最近、街中を歩くと、ハロウイン一色。
近所のスーパーにまで、かぼちゃの置物が飾ってある。
ハロウィンとは、ヨーロッパの祭りで、秋の収穫を祝ったり、悪霊を追い払うというような宗教的意味合いのある祭りと言われている。
数年前までは、ハロウインなんて外国の祭りでしかなかったが、今や、日本でも、商業ベースですっかり定着している感がある。
さて、この連休、私は、ハロウィンづくしだった。
昨年来このブログで何度か書いたことがある、京都在住の切り絵作家佐川綾野さんの切り絵教室。
今年は、日が合わず、1回も行けていなかった。
昨年参加した教室で、他の参加者が切っておられた「ハロウインの猫」のデザインがとても気に入って、私も是非切ってみたいと思っていた。
10月9日、約1年ぶりに教室に参加。
やり方、覚えてるかなあ・・・緊張!
まず、佐川先生から下絵をいただく。
「猫の顔の部分が難しいから、慎重にね」と先生。
切りすぎてしまわないよう、特に細かい部分は、慎重にカッターで切り進めて行く。
集中、集中。
ふぅー、やっと切り終える。
これから、和紙を裏から貼って色をつけていく。
佐川さんの切り絵は、色遣いに和紙を使われているのが特徴の1つ。
色選びだけでなく、和紙のぼかし模様をどこに持っていくかなど難しい。
完成!
静かなひとときが過ぎた。
京都府や京都市などでつくる「KYOTO地球環境の殿堂」運営協議会は、2016年10月5日、第8回殿堂入りに、「世界で最も質素な大統領」として知られるウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカ氏ら3人を選んだと発表した(2016年10月6日付け京都新聞朝刊)。
「地球環境の殿堂」は、温暖化防止のための京都議定書が生まれた京都で、地球環境保全に貢献した人をたたえている。
2009年度に創設され、過去7回で国内外15人が殿堂入りしている。
もう亡くなられてしまったが、水俣病に取り組んでこられた熊本の医師原田正純先生も殿堂入りされている。
ムヒカさんは、以前このブログでも書いたが、今年4月に日本に来日した「世界で最も質素な大統領」。
2012年ブラジルで開かれた会議のスピーチで、グローバリズムや大量消費主義に警鐘を鳴らし、地球環境保全に向けた世界的な合意形成に力を尽くした。
また、2人目は、アフガニスタン支援を行うペシャワール現地代表の医師中村哲さん。
医療活動にとどまらず、戦禍や干ばつにあえぐ現地で、環境保全につながる井戸や水路の整備、農村の復興にも努めている。
3人目は、フランス国立社会科学高等研究院教授のオギュスタン・ベルクさん。
この人のことは、これまで知らなかった。
それにしても、ムヒカさんのことを思い出すたびに、その質素だが心豊かな生活ぶりと、最近の議員の政務活動費の不正流用との落差に腹が立つ。
ジュスカ・グランペールという男性デュオをご存知だろうか。
2007年にデビューした、ギターとバイオリンのアコースティック・インストゥルメンタル・デゥオ。
私は、たまたまラジオで彼らのことを知り、ギターとバイオリンの絶妙なハーモニーに惹かれた。
以来、1度、彼らの音楽を生で聴いてみたいと思っていたが、2016年10月1日(土)、それがやっと実現した。
2016ピースライブ。
ジュスカとは、フランス語で「~まで」、グランペールは「おじいさん」。
二人が共におじいさんになるまで一緒に音楽やろうって、なんて素敵なんだろう。
実は、彼らの楽曲は私たちの身近に流れている。
化粧品SK2のCM曲や月9テレビドラマの挿入曲など多数。
毎朝7時45分からのNHK総合テレビ「おはよう関西」の冒頭で流れるテーマ音楽が「いいなあ」と思っていたら、実は、彼らの楽曲だったこともこの日わかった。
ジプシースイングJazz、タンゴ、フラメンコ、ラテン、クラッシックそして和のエッセンスを取り込んだサウンドは、聴く者に、本当に音楽っていいなって思わせる。
久しぶりに、音楽を1時間たっぷり楽しんだ。
私が、初めて「ミニマリスト」という言葉を知ったのは、昨年9月の京都新聞の記事。
ちょうど1年が経過する。
以来、折りにふれ、「ミニマリスト」ブログをネットサーフィンしている。
しかし、私自身は、ミニマルライフに憧れながらも、日々、物を捨てられない生活の中で暮らしている。
昨日朝のNHKあさイチは「ミニマルライフ特集」。
ビデオを撮っていたので、昨夜ゆっくり観てみた。
「ミニマリスト」と言っても、生活の中で何をミニマル化しているかは人によって様々。
あさイチで初めて知った、稲垣えみ子さん。
稲垣さんは、元朝日新聞記者で、現在はジャーナリスト。
東日本大震災における原発事故を機に、電化製品をできるだけ使わない生活に。
掃除機なし、テレビなし、エアコンなし、冷蔵庫なし。
お風呂もなく銭湯へ。
電気代は、なんと月158円。
こんな人がいるんやなあ・・・
とてもマネはできないけど、物がなくても、自分で工夫すれば生活できることがわかった。
この1年で、私が実践した生活のミニマル化=やめたもの・捨てたものは、
①キッチン・洗面所・トイレのマット(これはスッキリ!して正解)
②バスタオル(入浴後は、スポーツタオルかフェイスタオルで身体を拭いてます)
③食器少々
また、ミニマリストの影響で始めたことは、
①余ったタオルを半分に切って、ウエスを作る
②キッチンのシンクを毎晩最後にウエスで拭く
まあ、1年でこれだけ。
でも、自分的には1歩前進です。
安保法制が昨年9月19日に成立してから1年が経過した。
憲法違反の状態は何ら解消されていないどころか、政府は、アフリカの南スーダンに国連PKOとして派遣されている陸上自衛隊に、今秋以降、駆け付け警護など新たな任務を負わせ、武器使用の拡大に足を踏み出そうとしている。
全国各地で様々なとりくみがなされているが、京都弁護士会は、2016年9月22日の祝日、昨年に引き続き、円山野外音楽堂で、「違憲なものは違憲!安保法制を廃止し、立憲主義の回復を求める京都大集会」を開催した。
あいにく、すぐにも雨が降ってきそうな天候ではあったが、約2100名の参加者があった。
まず、京都弁護士会の歴代会長が登壇し、その前で、現会長の浜垣弁護士が開会の挨拶。
メインの講演は、各地で紛争処理や武装解除に関わってこられた伊勢崎賢治東京外国語大学教授。
伊勢崎さんは、講演時間があまりないことから、南スーダンの問題だけに触れられた。
今の南スーダンは内戦状態で、PKO5原則が守られているような状態ではないこと、しかし、国連や国際人道主義との関係では自衛隊がもはや撤退できない状況にあることなどをわかりやすく説明された。
講演の頃から、雨が降ったり止んだりし始めた。
続いて、政党関係者や各界からのスピーチがあり、その後、集会アピール採択。
集会終了後は、京都市役所前までパレード。
この頃には、大雨となったが、頑張って歩いた。
とりわけ南スーダンの自衛隊員が一人も命を落とさないことを強く願って・・・
100歳以上の高齢者は毎年増加の一途をたどり、今年は6万5692人。
また65歳以上の女性は、女性全体の3割を占めるという。
古来、長寿はめでたいと言われてきたが、少子化と日本の貧困な福祉政策の中、老人にとって手放しで喜べない現状がある。
2016年9月17日付け朝日新聞朝刊の別刷「be」の「フロントランナー」のコーナーでは、NPO法人ほっとプラス代表理事の藤田孝典さんを取り上げていた。
昨年6月「下流老人」(朝日新書)という刺激的なタイトルで著書を出して大きな反響を呼び、本はベストセラーになった。
前々から読んでみたいと思っていたので、朝日新聞の藤田さんの記事を読み、すぐに本を買いに行った。
下流老人とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、またはその恐れがある高齢者」と定義する。
現在、600~700万人と推測し、近い将来は高齢者の9割がそうなると警告する。
「今のままの社会だと『下流化』はだれにでも起こりうる」
それは、「本人がどれだけ努力しても、貧困に陥る社会構造がある」ということ。
この本を読んで、本当にだれにも起こ得ると確信した。
第1に、予期せぬ病気や介護あるいは交通事故などで、高額な医療費や介護費、療養費が必要になることがある。
当たり前だが、高齢期は想像以上に病気に冒されやすい。
「年金+就労収入」で暮らしていけるという生活設計は、あくまで「健康であること」を前提にして成り立つもの。
これらは、昔からあったことだが、昔は、家族や地域社会のセーフティーネットが機能していた。しかし、現代は、核家族化が信仰し、経済的困窮により子どもを頼れないケースが増えている。
第2に、高齢者介護施設に入居できない現実がある。
「特別養護老人ホーム」は入所までに3~5年待ちということはザラで、自立生活が困案になって入ろうと思っても、受け入れてくれる施設がないという状況も十分にあり得る。
金がなければ、まともな介護も受けられない。
第3に、子どもに親の介護が期待できないばかりか、子どもがワーキングプアや引きこもりで、成人以降も子どもを養わなければならない高齢者が増えている。
第4に、熟年離婚。
慰謝料や財産分与、未成年の子どもの養育費の支払い、年金分割などによって、これまでの生活レベルを下方修正せざるを得ない。
第5に、認知症でも周りに頼れる家族がいない。
そのため、オレオレ詐欺などの犯罪や消費者被害に巻き込まれて下流化してしまう。
NHKの「老後破産」は、これら下流老人の実態を浮き彫りにしていたが、今後の対策や展望というところの掘り下げは不十分で、不満が残った。
藤田さんは、現状を紹介するだけでなく、政府の政策の不備や、安らかな老後を迎えるための自己防衛策まで言及する。
自己防衛策の中で、とりわけ「幸せな人と不幸せな人との違いは明らかに『人間関係』にある」との指摘は、私の経験からもうなづけるところだ。
しかし、彼は、心の問題だけにせず、きちんと政策提言も行い、最後には、「人間が暮らす社会システムをつくるのはわたしたちである」として、私たちは、共に考え、想像し、行動していくことを、願いたいと結んでいる。
非常に勉強になった。
藤田さんは、最近、今度は、若者世代の貧困に焦点を当てた「貧困世代」という本を出版された。こちらも是非、読んでみたい。
2016年9月17日(土)から19日(月・祝)まで、ウイングス京都や京都文化博物館及びその周辺で、京都アートフリーマーケットが開かれている。
京都にゆかりのある若手作家や職人らが発信する作品に出会うことができる。
私が大好きな切り絵作家佐川綾野さんも出展されることをブログで知り、17日の夕方、チャリに乗って出かけてみた。
佐川さんのブースの場所は、京都文化博物館の表側にあった。
あらかじめインターネットで調べていたので、すぐにわかった。
佐川さんの切り絵教室には、昨年4回通ったが、今年は日が合わず、1度も行くことができていない。
それでも、佐川さんは、私と目が合うと、「いやあ、こんにちわ!」と覚えていてくださったので、感激した。
佐川さんのブースには、彼女の切り絵をデザインしたイヤリングやペンダント、絵はがきなど可愛らしい作品がたくさん並べてあった。
お客さんが何人もおられたので、少しだけおしゃべりして、他のブースを見に行った。
陶芸、組みひも、木工、竹工芸、金工、アクセサリーなどなど、手作りの可愛い作品がたくさん出展されていた。
それを作った作家や職人と直接交流もできるし、作品を買うこともできる。
このような企画は、きっと若手作家や職人への応援になっているだろう。
少し、ほっこり。
昨日と今日は、台風の影響で雨。今日が最終日。
外のブースの人は大変だろうなあ・・・。頑張って!
9月中旬になって、やっと少し涼しくなってきたが、秋の気配は、まだあまり感じられない。
このブログでも何度か書いているが、2011年3月に起こった東日本大震災をきっかけに知り合い、交流が続いている宮城県気仙沼市のYさん。
復興の状況が気がかりだ。
そのYさんから、今年も、サプライズで、突然、気仙沼産のサンマが送られてきた。
報道によると、昨年に続き、サンマは不漁とか。
原因は、海水温の上昇や、サンマが日本の沖合に来るまでに海外の国が公海で捕獲してしまうらしい。
そのためか、スーパーの店頭に並ぶサンマは、例年よりやや高く、小ぶりだ。
送られてきた気仙沼のサンマは、大きくて、脂がのっている。美味しい!
秋の味覚を存分に味わっている。感謝!
ペーパードライバーです。
8月が誕生日で、今年が更新時期でした。
これまでは、誕生日の少し前に手続きに行っていました。
京都市伏見区羽束師にある京都府運転免許試験場まで、京阪電車で中書島まで行き、そこからバスに乗り継いで・・・。遠い!
でも、今回は、9月1日に、京都駅前に新しく京都駅前免許更新センターがオープンしました。
七条警察の跡地です。
優良運転者は、ここで更新手続きを受けることができるので、当然、こちらへ。
地下鉄1本なので、ラクチン。
午前8時40分頃にセンターに着くと、既に、長蛇の列。
でも、日曜はもっとたくさんの人だったと係のオッチャンが言ってました。
手続きの流れは、いつもと同じ。
最近、メガネが少し合わないなあと視力検査が心配でしたが、無事クリア。
そして午前9時20分から9時50分まで講習。
新しい免許証をもらって終了。
私にとって、免許証は、専ら身分証明書の役割しかありません。
そろそろ返納も考えようと思います。
子ども達に無料や定額で食事を提供し、地域で居場所の役割を果たす「子ども食堂」。
6人に1人が相対的貧困状態と言われている「子どもの貧困」を背景に全国で取り組みが広がっている。
これまで新聞で、京都でも「子ども食堂」がいくつか出来ていることを知り、とても関心を持っていたが、そのような活動を支援するセカンドハーベスト京都という団体が、初めて京都で子ども食堂のシンポジウムを開くことを知り、9月4日(日)、参加した。
場所は、京大構内。京大を訪れるのは久しぶりだ。
会場に到着すると、既にたくさんの人が来られており、最終的には約120名の参加者となったようだ。
基調講演は、NPO法人山科醍醐こどものひろばの村井琢哉理事長。
「こどもたちとつくる貧困とひとりぼっちのないまち」。
「山科醍醐こどものひろば」は、36年も前から、地域で、社会環境や文化環境がより良くなることを目的として様々な活動を展開しているとのことで、山科に住んでいないせいか、全く知らないことだった。
村井さんの話の中で印象に残ったのは、子ども食堂というのは、子どもの貧困の「貧」ではなく、「困」に焦点をあてているということ。
「貧」を解決するには時間がかかる。でも、子どもらが貧しくても、「今」、困らないよう、「困」に向き合う。
また、貧困家庭において、絶対的貧困ではないのでとりあえずの衣食住は存在するが、それが不十分であり、外からは見えにくい。
しかし、その子ども達の「困」に気づけるのは、そこに住む町の人である。
村井さんの講演に続いて、京都や大阪の地域で子ども食堂を運営されている方々によるパネル討論。
食を通じて、地域の人達に寄り添おうとしている人達がこんなたくさんいることを知り、とても嬉しく思い、また感動した。
パネラーの一人、飲食業に携わっていた林さんが運営するのは、子どもでもおとなでも誰にでも開かれている「ファミごはん」(左京区浄土寺)。
彼女が食堂を始めたきっかけは、キャンプの調理班にボランティアとして参加するうちに、飲食業では得られない喜びを感じるようになったことと語った。
お金を介さない何らかの関係があり、皆で一緒に過ごしてご飯を作って食べ、次第に親しくなり、家庭とも店とも違った関係があり、生き甲斐とも言える充実感がそこにあったと言う。
とても勉強になったし、本当に参加して良かったと思えるシンポジウムだった。
京都にある、いくつか子ども食堂のことを知ることが出来たし、1度、食べに行ってみようと思う。
そして、何らかの形で、このような活動に関わることができれば、と思った。
先週、細見美術館で開催されている「生誕300年記念 伊藤若冲~京に生きた画家~」展に行って来た(9月4日で終了)。
京都に住んでもう40年以上になるが、ほんの数年前までは、伊藤若冲(じゃくちゅう)という京都出身の江戸時代の絵師のことなど全く知らなかった。
幼なじみのshocoさんが若冲の絵が大変好きで、彼女から、彼の絵が御所の北にある相国寺承天閣美術館に展示されていると聞いて、初めて見に出かけたのが2011年のことだった。
今年は、若冲の生誕300年ということで、NHKを始め、いくつかのテレビ番組で彼の絵の技法や観察力などが詳しく紹介され、あらためて彼のすごさに驚くとともに、また、彼の絵を見てみたいと思うようになった。
細見美術館は、岡崎にある割とこじんまりとした美術館で、訪れたのは初めて。
色のある絵は少なかったが、墨だけで描かれた絵でも、やはり圧巻だった。
水墨画にはほど遠いが、以前、少しだけ「墨絵」というものを習ったことがあった。
私は、もともと絵を描くことは好きだったので、「墨絵」も簡単に描けるものと思っていたが、これが大きな間違いだった。
「墨」1つで濃淡を出し、様々な線や面を描く。思い通りの絵が描けず、悪戦苦闘し、結局、「墨絵」は挫折した。
でも、墨絵を習ったおかげで、墨だけで絵を描くことの難しさが多少なりともわかるようになったことは間違いない。
若冲が数十羽の鶏を飼って何年も観察したことは有名であるが、彼の鶏の水墨画は、墨によって濃淡だけでなく、質感や量感、羽毛の柔らかさなどが見事に描かれていることがわかる。
また「筋目描き」という墨を重ねることによってその境に白い線が出る技法にも目をみはった。
相国寺承天閣美術館では、12月4日まで、「生誕300年記念 伊藤若冲展」が開催されている。
そちらの方にも是非、行ってみようと思う。
とてもショッキングな報道である。
米国の退役軍人省は、2016年8月3日、退役した米兵の自殺に関する報告書を発表し、2014年時点で、1日平均20人が自殺していることを明らかにした。
退役軍人省は、緊急電話相談窓口の設置や精神疾患を患う元米兵を治療する医師の増員などを行っている。
この報告書は、アメリカで同時多発テロが起きた2001年から2014年の動向をまとめもの。
アメリカがアフガニスタンやイラクを侵略し占領した時期である。
すべての州の、1979年から2014年にかけて退役した米兵5500万人以上の記録による。
報告書は、自殺の原因には明確に触れていないが、戦地での恐怖体験によるPTSDなどに苦しんで自殺に追い込まれる人が多いと言われている。
わが国でも、3月施行の安全保障関連法で可能になった自衛隊の「駆け付け警護」について、南スーダンでの任務付与が検討されている。
肉体のみならず、精神まで壊されていく危険性のある戦場に自衛隊を送ってはならない。
今朝(8月26日)の京都新聞朝刊の中の「みやこのアーツ&クラフツ」という欄に、京都在住の切り絵作家佐川綾野さんのことが紹介されていた。
佐川さんのことは、このブログでも何度も紹介し、私自身も彼女の切り絵教室に、過去4回参加させてもらった。
2015年にテレビ番組「LIFE~夢のカタチ~」で取り上げられてから、一躍、京都の有名人となった。
彼女の切り絵の魅力は、まるで、絵本や物語の1ページが描かれているようで、ほのぼのとした柔らかさがある。
また、和紙を使って色づけしていくところも、優しい風合いをかもしだしている。
京都や大阪以外でも切り絵教室を開催したり、展示会開催や、大垣書店での彼女の本の特設コーナー設置など、最近では、ますます活動の幅を広げられている。
日がなかなか合わず、最近は、切り絵教室には行けていないが、是非、また、行って、静かな時間を過ごしたいと思っている。
2ヶ月程前の京都新聞夕刊に、3回にわたり、「米国 取材現場から 死刑と向き合う」というタイトルの特集記事が掲載された。
(日本は絞首刑だが、)アメリカでの死刑方法が薬物注射によるものが多いこと、死刑の場には記者や弁護士・家族などの立ち会いが認められていることなど、これまで知らなかったことが書かれており、とても興味深く読んだ。
そんな折り、8月24日、京都弁護士会主催で、この記事を書いた共同通信社記者佐藤大介さんを招いての講演会が開かれるという案内をもらったので、昨日、参加した。
佐藤さんは、きさくな人柄の記者で、講演の内容も、とても具体的でわかりやすく、勉強になった(下の写真の右側が佐藤さん)。
アメリカは、州によって、死刑を廃止している所、存続している所と異なっているが、総じて、死刑は減少傾向にある。
その背景には、冤罪・死刑執行のトラブル・仮釈放のない終身刑の導入などがあり、また死刑判決自体も減少しているとのこと。
佐藤さんは、テキサス州である死刑囚と面会したことを第2回の記事に書いているが、収容施設にメールで面会を申込み、本人が了解したので、すぐに実現の運びとなった。
日本では、原則、死刑囚の面会は限られた人しか許されておらず、ましてマスコミの人間が面会することなどあり得ないが、アメリカでは、何のコネも使わず、いとも簡単に実現したとのこと。
また、死刑執行がされる時には、記者や弁護士、死刑囚の家族、被害者の家族らが立ち会うことが認められている。
佐藤さんは、400人近くの死刑執行に立ち会ってきたAP通信記者との面談も第1回の記事に書いているが、その記者から、日本では法務省からの発表だけで、「本当に死刑が執行されたのかは、どうやってチェックするのか」と問われたと言う。
アメリカでは、インターネットで、執行された死刑囚の情報は公開されており、誰でも観ることができる。
佐藤さんの話を聞いて、アメリカと比べて、日本が死刑について、いかに国民に情報を公開していないかがわかった。
国が一人の人間の命を抹殺するのに、どうして、その情報が主権者に公開されないのか・・・
死刑制度の是非については、人それぞれ意見が異なり、日本では、おそらく存続という意見が多数ではないかと推測する。
しかし、死刑について議論するには、まず、死刑執行などについての情報が開示されることが、議論する大前提であることを痛感した。
なお、佐藤さんの記事は、インターネットのサイト「よんななニュース」の検索欄に「死刑」と入れると、読むことができます。