1. ブログ マチベンの日々

ブログ マチベンの日々

30日間チャレンジ プランクとスクワット

 
ミニマリストの「ともあん」さんのブログ「こどもとミニマリスト生活」を読んで、「30日間プランク・コントロール」なるものを知った。
ネット検索すると、「30日間でポッコリお腹がペッタンコ」などと書かれてある。
プランクとは、日本語で「板」のことで、下を向いて両腕と両足で身体全体をまっすぐ床と平行に支え、数秒から数分間キープするトレーニング方法である。
これで、腹筋や体幹が鍛えられるとのこと。
 
そろそろ、今年も健康診断が近い。
やってみっか・・・と思った。
 
更に、ネットで検索してみると、30日間チャレンジには、スクワットもあることを知り、どうせならと、プランクとスクワット両方にチャレンジすることにした。
 
開始は、4月19日。
プランクのキープ時間やスクワットの回数は、ネットに載っているものをそのまま使用することにした。
1日目は、プランク20秒間、スクワット50回。
秒数や回数は、毎日少しずつ増えていき、30日目は、プランク5分間、スクワット250回となる。
ただ、筋肉を休めるため、プランクは5日経過する毎に1日、スクワットは3日経過する毎に1日休息日が入っていた。
 
そして、5月18日、見事、計画どおり30日チャレンジを達成した。
実際にやってみての感想は、スクワットの方は、10回とか20回とかを1日細切れに何回もやれば、250回もそんなに苦痛でないことがわかった。
他方、プランクは、私の場合、続けてキープできる時間は1分半くらいが限度で、1分半を超える時間キープするのは、かなりしんどい。そのため、1~1分半行い、1度休んでまたやるという方法で行った。
 
スクワットの方は、明らかに効果があった。
この間、何回か山登りに行っているが、いつもは苦手な上りが、割と楽に歩けるようになった。
でも、プランクの方は・・・?
ポッコリお腹は解消してないなあ・・・
 
さて、これから、どうするか。
30日以降どうするかは、ネットにも書かれていない。
とりあえず、今日からの30日間は、プランク3分間、スクワット150回を続けてみようと思っている。
 

比叡山登山と満開のつつじ

 
先週末は、天気も良かったので、午前中、比叡山に登った。
 
比叡山は、ほとんど毎年春に、山登りの訓練として、登っている。
登りは、いつものように、雲母(きらら)坂から。
最近は、トレランの練習で登山道を走る人も多く、こんなしんどい山道をよく走ることができるなあと感心する。
 
大体いつもどおりのコースタイムでケーブル比叡駅に到着。
そこから、林道を更に上り、スキー場跡を通って少し進むと、広場がある。
見晴らしも良く、昼食を食べるには絶好の場所だ。
京都市内から大原まで見渡せる。
 

 
これまで、この広場には何度も来たが、「つつじヶ丘」という名前だということを初めて知った。
そして、なぜ「つつじヶ丘」と呼ばれるのか、わかった。
 
これまでの比叡山登山は、大体、4月下旬頃に来ていた。
その時期の広場周辺には、山桜がたくさん咲いていた。
でも、今回は、広場周辺には、赤、ピンク、白とたくさんの色とりどりのつつじが満開に咲き乱れており、とても美しい眺めで感動した。
 

 
ちゃんと歩く道があり、つつじの近くまで行くことができる。
 

 
 

 
 
つつじの間を歩いて楽しんだ後、下山は、途中から、初めて「赤山禅院」方面に下りた。
川沿いの登山道で涼しく、秋には紅葉が綺麗だろうと思った。
下山途中、登山道脇に、準絶滅危惧種のクリンソウが1本だけ咲いていた。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

かわいい天使からの贈り物~カーネーション~

 
依頼者Kさんとの打ち合わせに、3歳の娘Jちゃんも着いてきた。
花が大好きだと言うJちゃん。
そんなJちゃんが「はい、先生!」と、私に、母の日用の赤いカーネーションをプレゼントしてくれた。
 

 
「Jちゃんにとっては、私は、おかあさんじゃなくて、おばあちゃんだね」
嬉しかった。
Jちゃん、ありがとう!素敵な女性に育ってね。
 
 

 
「食パンが好きだって言ってたから」・・・そう言って、昨日、下京区に住む友人Sさんが食パンを買って持って来てくれた。
 
アッ、「乃が美」の食パンや!
袋を見て、思わず小踊りした。
 
「乃が美」は食パン専門店で、大阪に店があることは以前から知っていた。
卵や添加物を一切使わず、購入後3日までは「生」でも美味しく食べられる食パン。
ソフトな食パンが好きな者にとっては、魅力的だ。
以前、大丸京都店の催事で、乃が美の食パンが販売された時には、開店前の朝9時半頃には並び、整理券をゲットしたこともあった。
 
その「乃が美」が、今年2月、パン激戦区の京都に店をオープンした。
場所は、西大路七条。
ちょっと遠いなあ。ついでがないと、わざわざ買いには行けないなあ。
 
そんな私の思いなど知らないSさんは、近所に出来た新しい店をたまたま見つけて買って来てくれたので、その嬉しい偶然に、二人とも大はしゃぎした。
 
早速、今朝、「生」で食べる。
本当に、耳までフワフワでおいしい!
普段より多めに食べてしまった。
 
ところで、以前(2015年7月3日付け)このブログで、「トーストを10倍おいしく食べる方法」を書いた。
それは、パンをグリルで焼くという方法なのだが、なかなか火加減が難しく、しばらくして止めてしまった。
 
そんな中、4月13日放映のNHKテレビ「ためしてガッテン」で、オーブントースターでも「サクふわ」トーストができる焼き方を紹介していた。
それは、食パンの耳を切り落として、本体と耳とを一緒にオーブントースターで焼くという方法。
耳を切る手間はかかるが、確かに、この焼き方がこれまでの中では一番おいしい。
おススメです。
 
 
 
 
 

本満寺の牡丹

 
もう4月も終わりに近づいている。
桜は、どこもすっかり葉桜となり、山々の新緑がまぶしい。
 
そんな中、牡丹を見に行った。
場所は、京都家庭裁判所の近く、寺町今出川上るにある「本満寺」。
 

 
2013年3月31日付けブログで、この寺のしだれ桜を紹介したが、実は、牡丹は、そのしだれ桜の真ん前に植えられていた。
 

 
ここだけでなく、寺の奥にも牡丹庭園はある。
 
見事な大輪の花を咲かせていた。
 

 

 
 
 
 
 
 

 
2016年4月11日付けブログで紹介した、「世界で一番貧しい大統領」ホセ・ムヒカ前ウルグアイ大統領。
彼が来日した際に東京外国語大学で講演した要旨が、京都新聞に掲載されていたので、紹介する(2016年4月19日付け朝刊)。
 
スーパーでものを買うことができるが、人生の何年間をそこで買うことはできない。
あなたが何か買うとき、それは人生の一部の時間(を使って得たお金)で払っているのだ。
人生の時間を尊重しなければならない。
人生を享受するための自由な時間が必要だから。
 
人生には愛のために多くの時間が必要であり、他者が必要だ。
貧しい人というのは、コミュニティーを持たない人であり、伴走してくれる人がいない人のこと。
最も大きな貧困とは孤独です。
私は貧しいわけではない。
単に質素が好きなだけだ。
本当にやりたいことをできる自由がある。
物が必要なわけではない。
 
人類がこれほど大きな力を持ったことはなかった。
莫大な軍事費を使いながら、これを止めることができない。
海の汚染を知りながら、なすすべがない。
何と恥ずべきことか。
多くの物を浪費しながら、大切なことに目を向けてこなかった。
生産性は高まったのに、分配の仕方が悪いので、わずかな人が恩恵にあずかり、多くの人が不満を抱えている。
 
民主主義も完全ではない。
社会をより良くするためには闘わなければならない。
 
人生で最も重要なことは勝利することではなく、歩くこと。
転ぶたびに起きあがることです。
そして自分の意志を持って生きることです。
 
 

熊本大地震

 
2016年4月14日以降、熊本県に発生した大地震で亡くなられた方には心よりお悔やみを申し上げるとともに、被災された皆さんにお見舞い申し上げます。
 
マスコミの報道でしか情報がわからない。
1週間たとうとしているのに、まだかなりの余震が続き、今後1週間もそれが予想されるとのこと。
そのため、ボランテイアも入れず、限られた行政の人員で、物資も十分に行き渡らない模様。
続く揺れの中で、眠れない、心が休まらない日々。
自宅があっても、いつ倒壊するかわからない恐れの中で、不安な日々が過ぎる。
 
友人Iさんの弟さんが被災されたと聞いた。
14日の地震では大丈夫だったので、ホッとしていたが、16日の地震で自宅は住めなくなり、現在は、避難所におられる。
 
時期によって、各個人によって、あるいは避難所毎によって、必要な支援内容が異なることは、これまでの震災の教訓でもある。
できる限り正確な情報を得て、支援していきたい。
 
 
 
 

「世界一清潔な空港の清掃人」新津春子著

 
「世界で最も清潔な空港」・・・それは羽田空港。2013・2014年の2年連続で選ばれている。
そして、その羽田空港で働く「世界一清潔な空港の清掃人」・・・それが、新津春子さんだ。
 
新津さんのことは、NHKのドキュメンタリー番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で放映されたようだが、当時、私は、その番組を観ていなかった。
彼女のことは、この本の広告で知った。
「世界一の清掃人」と呼ばれる新津さんの人生や思いを知りたくなった。
 
新津さんは、1970年生まれで、17歳の時、家族とともに、日本に来た。
父親は中国残留孤児の日本人で、母親は中国人。
そのため、中国では、小学生の頃、子どもらから「日本鬼子(リーベンクイズ)!」といじめられ、また、日本で働くようになると「どうせ中国人だろ」と言われたこともあった。
でも、新津さんは、決して負けなかった。
「せっかくこの世界に生まれたのだから、生きているときにめいっぱい、いろんなことをしよう。楽しくしていよう。それが私の考えです。」と語る。
新津さんは、1997年に全国ビルクリーニング技能競技会で1位をとった。
絶対1位になれる予選会では2位に終わったため、悔しい思いが残ったところ、上司から「心に余裕がなければいい清掃はできませんよ」と言われ、それまで、自分とたたかい、自分のために仕事をしていたことを反省し、使う人の気持ちになってもう1度見直すことにした。
そして猛特訓の末、2ヶ月後の全国協議会で優勝。
相手を思いやる気持ちで清掃するようになると、次第に、客から「ありがとう」「ご苦労さま」と声をかけられることが増えたという。
 
この本には、新津さんの素晴らしい生き方がちりばめられている。
あらためて自分の思いをしっかり持ちながら、心に余裕を持って、相手を思いやって、仕事や生活をしていきたいと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

今年の初登山~大文字山~

 
すっかり春らしい気候になったので、4月10日(日)午前、今年初めての山歩きをした。
大文字山を、銀閣寺から山科まで歩く。
2月末に捻挫した左膝。もう普通に歩けているが、それでもまだ正坐することはできない。
 
ダブルストックで大文字山頂上へ。
途中、登山道には、たくさんのミツバツツジが咲いていた。
 

 
山頂までは、昨年と同じペースで登れた。
 
普通なら、下山はストックを使用しないが、不安なので、そのままストックを使う。
下山は、膝が気になって、どうしても慎重となり、普通より10分程長く時間がかかった。
また、膝に軽い痛みも感じた。
 
毘沙門堂の桜を見た後、疎水へ。
 
疎水の桜は、もうほとんど散っていたが、桜と並ぶ名物となっている菜の花は、あざやかな黄色の花が見頃を迎えていた。
菜の花は、疎水の両岸に約300メートルにわたり植えられている。
 

 
実は、疎水の菜の花は、近所に住む田中利広さん(83歳)、舟山俊三さん(78歳)、高木利治さん(78歳)の3人が、観光客に喜んでもらおうと栽培されてきた。
しかし、高齢となり存続が危ぶまれていたが、田中さんが地元の洛東高校に協力を求め、快諾を得た。
洛東高校の生徒たちは、田中さんらの指導を受け、種まきや水やり、苗の植え替え、シカやイノシシの食害を防ぐネットの設置などをしたという。
(2016年3月26日付け京都新聞朝刊)
 
こんな看板が設置されていた。
 

 
若い高校生らの力も借りて、この菜の花畑はもっと大きく広がっていくことだろう。
春に、大文字山を越えて、山科の疎水に来ることが楽しみだ。
 
 
 

京都大学入学式での山際総長の式辞

 
4月7日に行われた、京都大学入学式。
そこで、山際総長から述べられた式辞がネットなどで話題となっている。
「京都大学」のホームページに掲載されているので、読んでみた。
 
●まず、「京都大学の自由の学風」から
 
「京都大学は、その基本理念として自由の学風を謳っている。
それは、フランスの自由思想に基づいており、すなわち、個人の自由と権利を尊重し、社会における個人の自由な活動を重んずる考え方である。
しかし、自由というものは、簡単に得られるものではない。
(フランスのレジスタンス運動家の詩を紹介し)人間にとって決してあきらめてはいけない希望が自由である・・・と聞こえる。
人間の社会には、3つの条件(自由・平等・博愛)が必要。
学問の自由とは何か。
ただ講義を聞くだけでなく、自分で考えるだけでなく、多くの人々と対話するなかで自分の考え方を磨くことを意味し、その上で創造性に満ちた新しい発想を世に出すことが求められている。」
 
●18歳選挙権にも触れて
 
「皆さんは自分の置かれている環境に対し、その是非について、その政治的判断について、自ら票を投じて参加できるひょうになった。
学徒出陣の頃、選挙権は25歳以上の男子と定められており、学徒出陣に参加した学生たちは自分たちの意思ではなく、上の世代によって戦争に駆り出されていた。
皆さんの意思によって、揺るぎない未来を築くために確かな1票を投じてほしい。」
 
歴史の歩みが大きく変わってしまうような現在の日本社会の中にあって、山際総長の言葉の1つ1つがとても意味深く聞こえる。
若い人たちには、自分自身の未来のためにも、個人の自由が真に謳歌できる社会を創っていってほしいと思う。
 
 
 
 
 
 

 
ウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカ氏(80歳)。
2010年3月から2015年2月までの第40代大統領。
4月5日から初めて日本に来日されている。
 
恥ずかしながら、4月5日まで、ホセ氏のことも、またそもそもウルグアイという国が南米のどの辺りにあるかも知らなかった。
たまたま4月5日に友人と食事をした時、その友人からホセ氏の本を紹介してもらい、初めて知った。
そして、その日が来日の初日だった。
 
ホセ氏は、「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれた。
給料(約115万円)の9割近くを社会福祉基金に寄付し、
豪華な大統領公邸には住まず、郊外の農場で妻と生活。
公務の合間にトラクターに乗って畑仕事と養鶏をして暮らしている。
国の指導者は、国民の平均的な生活をすべきと語る。
 
彼の2012年の国連でのスピーチは絵本となり、日本では16万部も売れている。
 
彼の言葉は、その1つ1つに愛情と深みが感じられる。
それは、単に言葉だけでなく、1つ1つが彼の生き方そのものだからだ。
 
●貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。
 
●私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命より高価なものは存在しません。
 
●お金があまり好きな人たちには、政治の世界から出て行ってもらう必要があるのです。彼らは政治の世界では危険です。お金が大好きな人は、ビジネスや商売のために身を捧げ、富を増やそうとするものです。しかし、政治とは、すべての人の幸福を求める闘いなのです。
 
消費主義にドップリつかった先進国の現状を憂い、人間の本当の幸福を説いている。
ホセ氏は言う。少しのもので満足して生きている自分は質素なだけで、貧しくはないと。
 
彼の言葉は、日本の政治家の心にどのくらい届いているのだろう。
 

東北と京都をつなぐ~みんなのカフェ~

 
4月6日(水曜)は、伏見区役所の無料法律相談の担当日。
伏見区役所は、京阪伏見桃山駅で下りて大手筋商店街を通り、途中から北に上った、駅から徒歩圏内にある。
そして、前々から、大手筋商店街に行くことがあれば、是非1度訪れてみたい店があった。
 
それは、「みんなのカフェ」。
 
このカフェは、東日本大震災で福島から京都に自主避難されてきた西山さんが、避難移住者と地元京都の人たちが共に集える場所として、2013年5月オープンされた。
京野菜中心の手作りのメニューや、東北の郷土料理のわっぱめし、「ずんだ」を使った東北スイーツなど、メニューも魅力的。
 
この日、「みんなのカフェ」でランチを食べてから法律相談に行こうと思い、早めに事務所を出た。
店は、京阪伏見桃山駅を西に出て、最初の通りを南に下がった所にあった。
 

 
町屋風の店。
 
まだ午前11時半だったが、既に、ママたちがたくさん集まり、和室でにぎやかに食事をされていた。
テーブル席は、空いていた。
メニューも豊富で迷ってしまう。
 

 
わっぱめしにも心惹かれたが、今日はサービスランチにしよう。
今日のサービスランチのメインのおかずは、ポトフ。
 

 
京都の人向けなのか、薄味でおいしい。
すべての料理の出汁は、昆布と鰹でとり、化学調味料は一切使用されていないとのこと。
春キャベツや新タマネギが柔らかい。
本当にからだに優しい料理だと思った。
 
西山さんは、ここをコミュニティカフェとして、地域に愛される店になっていきたいと語る。
着実に、京都の地に根付いている気がした。
 
大手筋商店街を訪れたら、また来てみたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Angel Kitchenの大阪教室へ

 
4月3日(日)を心待ちにしていた。
 
私が大学時代、京都市左京区田中飛鳥井町に下宿していた当時の管理人さんとその娘さんAちゃんに会える日だ。
実に30数年ぶり。
当時、幼稚園~小学生だったAちゃん。
いつも明るい天真爛漫な少女だった。
今は、岐阜県可児市で、マクロビオテックの料理教室「Angel Kitchen」を開いている。
そして、時々、大阪の実家でも料理教室が開かれる。
 
お母様との年賀状のやりとりを通じて、Aちゃんの料理教室のホームページやブログを知り、いつか大阪教室に参加したいと思っていた。
でも、大阪教室は、ホームページで日程がアップされたことに気が付いた時には、いつも満席。
ところが、今年に入って、偶然「大阪教室 残1名」となっているのを見つけ、すぐに申し込んだ。
 
30数年ぶりの感激の再会だったが、元管理人さんだったお母様は、昔と変わりない明るく屈託ない笑顔で 迎えてくださった。
Aちゃんは、ブログや年賀状で写真を見ているからわかるだけで、もうすっかり大人の女性。写真を見ていなかったら、道ですれ違っても、絶対に気が付かない。
でも、まるで会わなかった歳月が嘘のように、すぐに話がはずんだ。
 
さて、今回の料理教室のレッスンメニューは、韓国屋台料理。
マクロビ教室だけあって、肉や卵を全く使わないで作るというから驚きだ。
 
●韓国風海苔巻き(韓国名はキンパ)
「海苔巻きを作ったことはありますか?」・・・私「1度もありません」
「今日は、巻きすを使わないで、海苔巻きを作ります。今までの生徒さんで失敗した人はいません」・・・
私「エエーッ!」(失敗したら、どうしよう・・)
Aちゃん先生に手伝ってもらいながら、どこの家にでもたいていある「アレ」を使って緊張しながら巻いて、なんとか完成。
 

 
キンパは、普通は牛肉を使うらしいが、この海苔巻きの具はすべて野菜。それでも、肉と同じような食感の食材が入っており、さすが。
 
●スンドゥブ(韓国スープ)
魚介が入っていないのに、出しスープがとってもおいしく、ピリ辛。
 

 
●おからチヂミ
卵なしのチヂミ。
私たち生徒が食べている間、Aちゃん先生自ら何枚も焼いて、アツアツを食べさせてもらった。
端はカリカリ、中はモッチリ。
 

 
●ナッツチュレギ(韓国風グリーンサラダ)
韓国風ドレッシングをかけて食べるサラダ。
 

 
●ホットク(韓国の屋台スイーツ)
初めて食べた、韓国スイーツ。
 

 
もう、オナカ一杯!
帰りには、手作りコチュジャンと、余ったキンパとチヂミまでいただいた。
 
食によって心や身体を元気にするというマクロビオテックには、以前から興味があった。
Aちゃんの料理教室には、自分や家族がガン患者の方も来られているとのこと。
この日1日の料理教室だけで、Aちゃんからたくさん知らないことを教えてもらって、本当に目からウロコだった。
 
これまで化学調味料や農薬などをドップリ摂取してきた私が、この年齢になってから食を変えても遅すぎるのでは?と嘆くと、Aちゃん曰く「人間の細胞は入れ替わっていくものだから、いつでも遅すぎることはありません。」
 
ズボラな私がどこまで実践できるかわからないが、Aちゃんとの再会を機に、少し勉強してみることにした。
 
これからも楽しみ!
 
 

 
今日4月2日は、京都もあちこちで、桜が満開に近くなり、お花見びよりである。
京都の桜の名所と言われる場所には、ほとんど行ったことがあるので、午前中、「穴場」を求めて出かけた。
 
行った「穴場」は、東山にある若王子神社(にゃくおうじじんじゃ)の裏山。
若王子神社は、南禅寺の北側にある。
平安神宮や南禅寺界隈は、すごい人、人、人。
桜もほぼ満開で綺麗。
 
若王子神社に着くと、「桜花苑」と書かれた立て札があった。
 

ここだ!
立て札に従って坂道(山道?)を登っていく。
神社には人がたくさんいたが、ここを登って行く人はいない。
 
 

 
少し登って行くと、目の前がパーッと開け、濃いピンクの桜がたくさん現れた。
これは、あの陽光桜だ。
 

 
3月29日のブログでも書いたように、陽光桜は早咲きのため、既に散り始めており、地面がピンクに染まっていた。
でも、見事な眺め。
 

 
ここまで登って来る人は、まばら。
なんで知ったのか、中国の若い女の子2人が何枚も自撮りしていた。
 
来年は、もっと早く来るぞ!

 
高倉通と間之町通の間の御池通り北側歩道に、2本だけ、早咲きの桜が咲いている。
3月中旬にはもう咲いていただろうか。
枝は空に向かうようにまっすぐに上方に向かって伸び、花はとても濃いピンク。
 

 
これは、何という桜なんだろう・・・
御池通りを通るたびにそう思った。
 
安保法が施行された今日3月29日、偶然、その桜が「陽光桜」という名前で、しかも、平和の象徴であることを知った。
 
陽光桜は、愛媛県出身の故高岡正明さんという方が開発された品種。
高岡さんは、戦時中、軍国教育を行っていた青年学校で教師をされ、日本は絶対に負けないと信じ、教え子を戦場に送り出した。
しかし、教え子が次々と戦死し、終戦直後から「わしが教え子たちを戦地に送り込んでしまった」との自責の念に苦しみ続けた。
そして、「戦争という、二度とこのような悲惨なことを繰り返してはならない。戦死した教え子たちの鎮魂と、世界恒久平和への願いを託して新しい桜を自分の手で作ろう」と生涯を賭けて桜の新品種開発に着手。
高岡さんは、亜熱帯から極寒のシベリアまで各地で命を落とした教え子のため、どんな気候でも咲く桜を創ろうと、私財を投げ打って、不屈の精神で試行錯誤を繰り返し、30年後、ついに桜の新品種登録第一号となる「陽光」を生み出したのであった。
そして、「陽光桜」が完成すると、なんと伸べ5万本にも及ぶ陽光桜を各地で無償で提供した。
世界を平和にするため、外国人にも見てもらおうと、派手な色彩とした。
この実話は、昨年、映画にもなり、各地で上映されたとのこと。
 
 

 
 
桜となった高岡さんの平和への思いは、まさに陽光のように世界を照らしている。
 
先人の思いを胸に、安保法を廃案にさせるまで頑張ろう。
 
 
 
 
 
 

上田正昭京大名誉教授死去

 
2016年3月14日の京都新聞朝刊で、上田正昭京大名誉教授の死去を知った。
3月13日に亡くなられ、88歳とのこと。
 
私は上田先生と個人的には面識はないが、私が京都大学1回生だった頃、1年間、上田先生の講義を受講したので、よく覚えている。
私が入学した当時、京都大学では、1-2回生は、教養部で一般教養を学んだ。
それまで受験勉強しかして来なかった女子学生にとって、大学における様々な分野の専門的な講義はとても刺激的で、必須科目の語学以外に、文化人類学、自然人類学、心理学、教育学など、合格した法学部系以外の講義もたくさん受講した。
 
その中に上田先生の講義もあった。
確か「古代史」という講義名で、内容は「卑弥呼」が中心だったと記憶している。
当時、邪馬台国が、近畿にあったのか九州にあったのかという論争もあり、上田先生の講義は私にとってはとても興味深く、真面目に(?)受講したと確信している。
 
私が大学を卒業した後も、京都新聞などに執筆されている上田先生の記事を頻繁に目にし、たった1年だけ受講した学生にすぎなかった私だが、お元気でご活躍なんだなあと嬉しく思っていた。
 
京都新聞には、上田先生の原点は、学徒動員に駆り出された「戦争」と、高校教師時代に目の当たりにした部落差別や在日韓国人・朝鮮人「差別」だったと書かれてあった。
 
もう1度、上田先生の本を読んでみたいと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 

84歳の依頼者宅訪問

 
現在84歳の依頼者Mさんは、夫を2014年になくし、京都市南区の自宅で一人暮らしをされている。
 
事務所で打ち合わせをする時は、バスに乗り、歩行補助車を押して来所されるが、若い頃はキャリアウーマンだったようで、物事の理解も早く、素敵な人柄だ。
かねてから1度お宅にお邪魔したいと思っていたので、先週、打ち合わせがてら自宅を訪問した。
 
Mさんは、話好きで、子どもはいないが、姪の子どもの写真や動画をスマホで嬉しそうに見せてくれた。
また、近所の美容室の方がとても親切で、何軒かのスーパーの安売り広告品を買って届けてくれたりもするとのこと。
向かいのオウチの方は、「たくさん作ったから」と意って、いつもオカズを作って持って来てくれるそう。
 
Mさんは一人暮らしでも、昔ながらの地域の住民によるコミュニティがあるんだと知って安心した。
さすが、南区やなあ。
マンションが多い地域では、こんなことなかなかできないよなあ。
でも、きっと、Mさんの人柄の賜物でもあるんだろうと思った。
 
 

春を告げる生ワカメ~3.11を忘れない~

 
あの東北大震災から今日で丸5年が経過しようとしている。
テレビや新聞などで特集が組まれているが、5年経った今も多くの人が仮設住宅での生活を余儀なくされているなど、その「復興」の現状にとても厳しいものを感じる。
 
このブログで何度か書いたことがある、宮城県気仙沼市のYさん。
東北震災支援プロジェクトを通じて知り合い、今でも交流が続いている。
 
そのYさんから、今週、突然、ワカメとメカブが届いた。
「春を告げる生ワカメ」
そっか、ワカメって春が旬なんだ。
年中スーパーに置いてあるから知らなかった・・・
 
早速、食べている。
 
納豆とメカブのネバネバ料理。これにとろろ芋も加える。
 

 
きゅうりとワカメと「ほぼカニ」の酢の物
 

 
 
Yさんは、昨年、震災時の住所から移転され、仮設住宅におられた両親と同居された。
Yさんの現住所をグーグルマップで調べても、地名はあるが、番地の記載はなく、新しく開発された地域なのだろうか。
 
私なんか自分ができる、ほんの小さなことしかしていないのに、まだまだ大変な生活の中でのYさんの心使いがとても嬉しい。
震災当時、小学生だった娘さんも、この4月から高校生になる。
 
東北の復興は、東京オリンピックに人手を取られ、ますます遅れるとの報道もある。
はがゆさと怒りすら感じる5年目の3月11日である。
 
 

「おひとりさまの最期」 上野千鶴子著

 
既婚であっても配偶者に先立たれることがあり、子どもがいても同居どころか近くに居住していないこともあり、現代の日本社会は、いやおうもなく、おひとりさま人口が増えるしくみとなっている。
み~んなおひとりさま時代が到来しているのである。
 
この「おひとりさまの最期」という本は、社会学者である上野千鶴子さんが出版した「おひとりさまの老後」「男おひとりさま道」に続くおひとりさまシリーズの第3弾。
 
私が2012年に知り合った柴田由美子さんという女性は、末期ガンのため、2013年1月に亡くなられたが、生前、柴田さんから、上野千鶴子さんとは友人だと聞いていたので、もしかしたら、友人らによるチームケアの中で亡くなった柴田さんのことも、この本の中に書かれてあるかもしれないという思いもあった(注、書かれてありました)。
 
また、以前このブログでも書いたことがあるが、一昨年、私の友人Mさんがやはりガンで亡くなったが、その時、短期間ではあったが、一人暮らしのMさんのため、私も含めた友人らが交替でMさんの日常のお世話をしたという経験を持った。
ただ、もっと私たちにできることはなかっただろうか、地域や行政などの手続きで利用できることはなかったのだろうか、という思いがずっと残っている。
 
この本には、上野さんが在宅ケアに従事されている医師などに同行し、そのシステムや当事者の思いなどが紹介されている。
また、友人などの「チーム」によるケアの実践例も。
つまり、上野さんの「在宅ひとり死」の研究レポートとなっている。
 
印象に残ったのは、次の文章。
「患者」という呼び方そのものが、医療者目線です。
ひとは患者である前に、まずひとりの生活者です。
家では誰もが生活者に戻ります。
・・・在宅では、医療職の想定を超えた「奇跡」がいくつも起きているようです。
 
だが、在宅介護そして在宅死には、いくつかの条件がととのわないと実現しない。
条件の最大公約数は、
①本人の強い意思
②介護力のある同居家族の存在
③利用可能な地域医療・看護・介護資源
④あとちょっとのおカネ
なかなか難しいが、上記の条件から、家族を引き算することはできるかもしれないし、それを実践している地域や人々が存在することもまだ現実だ。
 
自分で自分の死に方をコントロールするのは、とても難しいが、高齢化社会に徐々に足を踏み入れつつある自分自身の問題として、これからも考え続けていこうと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
2016年3月5日付け京都新聞で、一条戻り橋のたもとの河津桜が満開という記事を読んだので、今週の日曜、早速、行ってみた。
 
河津桜は、伊豆の河津町に咲く超早咲きの桜として有名だが、それを京都市内で見ることができるとは知らなかった。
 
一条戻り橋というのは、堀川一条にかかっている橋で、現在の橋は、1995年に架け替えられたそうで、普通のコンクリートの橋である。
 

 
名前の由来は、918年に漢学者の三善清行が死に、紀州熊野で修行していた息子が父の死に間に合わず、一条戻り橋で葬列に出会った。
息子が祈ると、父親は一時よみがえり、父子の対面を果たしたという。
なんか、京都によくありそうな逸話やね。
 
ここの河津桜は、1本だけ。もう満開だ。
この日、京都市内の気温は、20度にものぼる暖かさで、何人もの人が写真を撮ったりしていた。
 

 
河津桜は、花がやや大きく、色も濃いピンクなのが特徴だ。
 

 
1度、河津町に行って、たくさんの河津桜を見たいものだ。
 
京都は、また今週末から寒くなる予報。
でも、春は、確実にもうそこまで近づいている。

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