1. ブログ マチベンの日々

ブログ マチベンの日々

DIY(2回目)~スパイスラック~

2回目のDIY教室に参加した。

前回の初挑戦から1ヶ月が経っているので、もうほとんど忘れている😢。

 

今回は2回目なので、作品は自分で好きに選ぶことができる。

作品が紹介されているリーフには、星の数によって作品制作の難度が示されてあった。

私は、前回帰る時に、2回目の作品として、「★1つ」のスパイスラックを選んだのだが、その時、先生が「これ、★1つかなあ・・・?でも、なんとかするわ」と仰った。

 

今回参加して、先生が「★1つかなあ・・・?」と言われた意味がわかった。

ラックの棚と背の部分ががやや斜めになっているので、ビスを打つ場所の印つけ(すみつけ)が難しいのである。

でも、先生が印をつける箇所の図面を別に準備してくださっていたので、なんとか、それを見ながら、印をつけた。

 

次に、棚と背の部分の板を側面の板にビスで留める作業も結構難しかった。

斜めに取り付けるので、両方の取り付ける板をしっかり手で固定していないと、本来の位置からズレてしまうのである。

ズレたら、ビスを抜いて、やり直し。失敗が経験である。

 

なんとか時間内に完成。割と素敵なスパイスラックが出来上がった。

 

 

 

 

 

「日本の切り絵 7人のミューズ展」へ

2021年9月28日まで、大丸京都店で開催されている「日本の切り絵 7人のミューズ展」へ行って来た。

 

 

私がいかに切り絵好きかは、このブログの右側の検索欄に「切り絵」と入力して、過去のブログを読んでいただければわかると思う。

今回の「ミューズ展」にも出品されている「レース切り絵」作家の蒼山日菜さんのことをテレビ番組で知ったのがもう10年以上前。

これまでの「切り絵」の概念が良い意味で大きく崩れた出会いだった。

その後、当時、京都で活躍されていた切り絵作家の佐川綾乃さんの教室に何度か参加して、実際に切り絵を教えてもらい作成したほど、一時期は切り絵にはまっていた。

また、山梨県「富士川・切り絵の森美術館」で蒼山さんを始め、何人かの切り絵作家の作品に触れ、「切り絵」にも手法が様々存在することも知った。

 

そして今回の「7人のミューズ展」も圧巻だった。

7人の女性作家が皆、それぞれの個性的な作風と手法で、「なぜ、人間にこんなことができるのだろう」と思わず、その「技」に見入ってしまうほど、どの作品も素晴らしいものばかりだった。

美術館かと思わせるくらい作品数もたくさんあって、あらためて切り絵の世界に魅了された。

 

地震と登山

9月も後半になると、高い山では紅葉が美しい季節となり、天候が良いと、大勢の登山客が訪れる。

 

2014年9月27日の御嶽山の噴火はそんな季節に起こったが、昨日(2021年9月20日)も北アルプス槍ヶ岳の北鎌尾根で地震による落石で登山者が身動きがとれなくなったという報道があった。

 

噴火も地震も、いつどこで起こるかわからないので、登山中ということも十分あり得るのである。

 

槍ヶ岳のニュースを見た依頼者の方から「先生が登っていないか心配になった」とのメールをいただいた。

報道された槍ヶ岳の北鎌尾根は、登山地図上には登山道が書かれていない上級者コースなので、私が行けるような場所ではない。

でも、最近、長野と岐阜県境では地震がたびたび起こっており、北鎌尾根以外でも落石が発生する(発生している)可能性は高い。

 

実は、私も登山中に地震にあったことがある。

2007年7月16日、日本百名山の1つ越後駒ヶ岳(新潟県)を登っていた。

午前10時13分、頂上に足を1歩かけた途端、地面が大きく揺れた。

後で、これが新潟地震であることがわかった。

山頂には1人だけ登山者がいて「今、地震でしたよね」と声をかけた。

その後は、揺れることはなかったが、ラジオなど持参しておらず、当時はスマホを持っている人もいなかったので、地震の規模はわからなかった。

ただ、下山の時、登山道の崩落が心配されたが、幸い、登山道に影響はなかった。

 

その後、街中に戻り、マグニチュード6.8の大地震であったことを知った。越後駒ヶ岳のある魚沼市もマグニチュード5であった。

新潟空港に向かうため高速道路に入ったが、パトカーが時速60㎞で先導しゆっくりしか走行できず、しかも途中で高速道路から下りて一般道を走行せざるを得なくなり、予約の飛行機に乗れるかどうかヒヤヒヤしたが、なんとか間に合った。

 

登山中もこのような危険が起こるということを肝に銘じなければいけない。

 

 

目からウロコ 「ブドウ3大ミステリー」

9月15日に放映されたNHK「ためしてガッテン」は、「ブドウ3大ミステリー 知ればおいしさ別次元」というテーマで、ブドウのあれこれ。

 

ブドウの粒を大きくする方法や種なしブドウを作る方法など、今まで全く知らなかったことばかりで、ブドウ農家さんの日々の努力・苦労が感じられた。

 

そして、目からウロコは、こうやったらブドウがもっと甘く食べられる・・・

 

1つは、皮のむき方。

粒にある穴とは反対の方向から、薄皮を残すようにむく。この残した薄皮により甘くなる成分があるとのこと。

 

2つ目は、実は、種なしブドウよりも種ありブドウの方が甘いということ。

枝から養分が種にいくので、より甘くなるとのこと。番組では、栃木県の生産地近くに住む住民らはこぞって種なしぶどうを購入していた。しかも、「種なし」ブドウの方が人気があるため、「種あり」ブドウの方は市価が3割程「種なし」より安いとのこと。

安くてしかも甘いんだから、これはイイ!

 

番組終了後、もう午後8時15分を回っていたが、「種あり」ブドウを買いに、すぐにスーパーフレスコに行ってみた。

ところが、なんと「種あり」ブドウがない!

売り切れたわけではなく、そもそも売っていないのである。

 

それでも、せっかく外に出たのだからと、次は「八百一」へ。

「八百一」では、1種類だけ「種あり」ブドウを売っていたので、購入。

同じ品種同士じゃないと、甘さの比較はできないので、真偽のほどは不明。

でも、とりあえず「種あり」ブドウを見直した次第である。

 

 

 

 

 

DIYに初挑戦

色んなことをやってみたい、いや、少しだけかじってみたい、というのが私の性格かもしれない。

 

「作る」ということについては、「料理」は好きなものの、なぜか、亡母が得意としていた「洋裁」については、やってみようという意欲も、ましてや才能もなく、いつも友達まかせ。

 

でもDIYは、ずっと前から1度やってみたいと思っていた。

そこで、思い切って、先日、カルチャー教室に参加してみた。

色んな作品のキットがあり、1回目は飾り棚2個を制作する。ドキドキ。

キットなので組み立てれば良いだけなのだが、完成した時の前後・左右の印付けから始まり、設計図を見ながら釘を入れる位置を鉛筆でつける、ニカワを塗る、電動ドライバーを使って穴をあけて釘を入れて組み立てていく、そして最後は色を塗る。

 

すべてが初めての体験だった。

 

これが完成品。事務所の資料コーナーに置かせてもらい、グリーンなどを飾りました。

 

 

なかなか面白かった。もう少し続けてみようと思う。

 

 

 

なんだか「屋根の上のバイオリン弾き」のようなタイトルだが、京都を舞台とした、ほんのり心温まる、そして最後は涙する小説。

第一回京都文学賞優秀賞を受賞した作品とのこと。

 

2001年、兄に命じられて、京都で一人で暮らす89歳のおばあちゃん「ゑい」に会いに行った失業中の孫の哲郞34歳。デジタル化の中で、東京での現像の仕事を半年前にリストラされていた。

玄関先で、屋根の上から哲郎にバケツの水を浴びせかけたのがおばあちゃん。それが27年ぶりの再会だった。

その夜、おばあちゃんは倒れて入院することに。

物語は、1930年代の「ゑい」と2001年の「哲郎」の姿が交錯しながら描かれる。

親が亡くなり、天涯孤独の身となって一人で丹波から京へやって来た19歳の「ゑい」。

三条室町の呉服屋に奉公することになり、その呉服屋を飛び出しサイレント映画の活動弁士となったもののトーキー映画の時代となって切り捨てられた長男良一と関わり、やがて結婚する二人。

八百屋を始めた二人だったが、映画への思いがあきらめきれない良一は太秦撮影所に入り浸る。

1941年戦争が始まり、そんな良一にも赤紙が。最後の晩に、良一がゑいに託したのは1巻きのフィルム。それは良一が最後に撮った映画だった。そして良一は戦死。

2001年、おばあちゃんも退院し、哲郎はたまたま冷蔵庫の中から、おじいちゃんのフィルムを見つける。そして哲郎は、フィルムの修復の仕事をしている源田の助けを借りて、おじいちゃんのフィルムの修復に成功する。

その映画に撮されていたものは・・・・

 

最後は、涙、涙。

機械の発達に翻弄され自暴自棄になりながらも、再生していく、おじいちゃんの良一と孫の哲郎。

おじいちゃんの心を奪った映画が「恋がたき」だったが、人生の最後にやっと愛おしく思うようになったゑい。

 

文明の流れには抗しきれないが、それでも変わらずに残る古き良きものと新たな再生をほのぼのと感じさせる作品であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の若い人は・・・

自分の周囲に、10~20代の若い人がいないので、最近の若者の「生態」は全く知らない私である。

 

2021年7月26日夕刊1面の「現代のことば」欄に、狂言師茂山千之丞さんが「娯楽の速度」というタイトルで、最近の若者の行動パターンを紹介していた。

 

それを読むと、私にとっては、目が点になるようなことばかりが書かれてあり、驚きの連続であった

 

まず、「若年層のテレビ離れ」。

これは、あちこちで言われていることなのであるが、「20代以下のひとり暮らしの若者で家にテレビがないと言う人は確実に増えてきている」「10代以下の子供達も今はテレビより携帯やタブレットばかり見ている気がする」。

 

帰宅すると、ほぼテレビ漬けの私には信じられないことだ。

テレビは大画面化し、映像も鮮明で美しくなっているに、なぜ、あの小さな画面の携帯なんだろうか・・・

もっと驚いたのは、「動画の視聴方法の大きな変化」。

「若い世代では映画やドラマを1.5倍速や2倍速で視聴するのが当たり前になって来ている」。

「作品の良さをじっくり味わって楽しむことより、なるべく短い時間で多くの情報を手に入れることが良いとされてきている」。

更に節約したい人は「まとめ動画」で済ませることも。

 

映画やドラマは、途中のちょっとしたセリフや所作が、後々の伏線になっていたりするのに、倍速で観たらあかんやろ~と突っ込みたくなる。

 

茂山さんは、「今後とも世界的に娯楽の更なる高速化は止まらないだろう」と書かれていた。

 

他方、自分はと言えば、年を重ねるにつれ、スローな思考・行動になっているような気がするし、それを心がけている自分もいる。

スピーディーな思考・行動は、しようとすると、どこか「忘れ」や「欠落」「失敗」が生じる可能性が高い。

 

もはや「最近の若者」とは生態自体が違うのだろうな。

 

映画「83歳のやさしいスパイ」

8月5日まで京都シネマで上映されている「83歳のやさしいスパイ」。

夕刊各紙に映画の紹介がされており、すぐに「観たい!」と思った。

 

スパイ映画ではあるが、アクションや悪者はない。

舞台は南米チリ。83歳のセルヒオという名前のおじいちゃんが主人公。

新聞広告を見て応募し、見事スパイとして採用された。

しかもフィクションではなく、ドキュメンタリー。

ある老人ホームに虐待がないかどうかを潜入捜査する役割のスパイ。

ホームの許可を得て、セルヒオがスパイであることを明かさず3ヶ月撮影したとのこと。

そんな設定が面白い。

 

セルヒオが相談相手となる美しいおばあちゃん。1年以上家族の面会もなく「孤独」を訴える姿は他人事とは思えない。

 

私の元依頼者の何人かは老人ホームに入所されていたことがあり、遺言作成などのために面会に訪れたことが何回かあった。

深くその気持ちを聞いたことはなかったが、家族は事情があって離れており、おそらく寂しさを感じられていたのではないだろうかと思った。

 

ほのぼのとした映画であるが、老人の悲哀も感じさせるものであった。

セルヒオは、間違いなく、世界一やさしいスパイである。

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりの観劇と公演

コロナ禍、その前は家族の看病などで、1年半以上、映画や劇や公演を観ていなかった。

もとより文化芸術に関わる職業の人達は、観客を伴う企画の開催自体が止められていたので、経済的な苦労等は、想像を超えるものがある。

 

7月12日以降、東京は非常事態宣言下であり、既に第5波が始まっていることは間違いないだろう。

他方、京都は7月11日でまんえん防止法の発令が解除され、現時点では、日々のコロナ感染者数も50人を割っている。

 

そんな中、この1週間の間に、久し振りに、劇と公演を観る機会を得た。

 

1つは、南座での松竹新喜劇。NHKの朝ドラ「おちょやん」で子役を演じた毎田暖乃(まいだのの)ちゃんが特別出演するということで、新聞各紙が取り上げていた。

1部は「一休さん」(新作)、2部は「愛の子守歌」。

1部は、藤山寛美の孫藤山扇治郎と渋谷天外が中心の舞台で、藤山直美のような大スターはいなかったが、扇治郎の頑張りと暖乃ちゃんの可愛らしさと芸達者さが印象的だった。

 

2つめは、7月16日、金一志(きむいるち)韓国伝統芸術院定期公演。

本来は3月に公演予定だったのが、3回の延期を経て、やっとの開演となったとのことだった。

金さんは京都在住で、何度も公演を開催されているが、私が観たのは今回が初めてだった。

想像していたよりは静かな舞踊で、日本の白拍子の舞を想像させた。

 

久し振りに文化芸術に触れ、やはり人間にとって生活に潤いをもたらすもので、なくてはならないものだと感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沈黙してはいけない「五輪中止を」

「五輪中止 それしか道はない」

2021年6月6日付け朝日新聞朝刊の読者欄に作家赤川次郎さんが、一般読者として、上記のタイトルの文章を投稿した。

 

この出来事が2021年7月15日付け毎日新聞夕刊「特集ワイド」で大きく報じられ、私は、この毎日新聞記事を読んで、赤川さんの読者欄への投稿を知った。

 

朝日新聞の読者欄は500字という字数制限があるようで、「何度も文章を削り、短くするのが大変でした。自分の小説でも、ここまでしませんよ」と赤川さんは語る。

 

なぜ読者欄だったのか。

「特別な立場ではなく、一市民としての意見を載せたかった」

 

なぜ「五輪中止」を投稿したのか。

赤川さんは戦後生まれだが、戦争による貧しさを味わい、あの時なぜ戦争に反対しなかったのだろうと素朴な疑問を持った。

現在の五輪開催判断はとにかくやり遂げるという精神論で、科学的な根拠が感じられないだけに神頼みに近い、と赤川さんは語る。

敗戦の後悔を五輪に当てはめ、同じことは繰り返すまいと考えた、と。

沈黙してはいけない。

それで赤川さんは500字の投稿を書いた。

「(中止によって)賠償金を払わねばならないのなら払えばいい。経済は取り戻せても、人の命は取り戻せないのだ」。

 

京都でも、15歳の男子高校生が五輪中止を求め、一人でサイレントスタンディングをしている。

 

他方、メディアは、もう、オリンピックありきで、観客を何人入れるかに話題は移り、メダルの数予想まで行っている番組もある。

 

しかし、国によってコロナ感染状況やその対策が異なる中で、選手をとりまく環境も平常とは大きく異なっているはず。国の経済格差がコロナ対策格差を生んでいることは、既に明らか。それは選手にとってフェアなのだろうか、そんな状況でメダルを取って本当に喜べるのだろうか。

そして、何より、人の命は何ものにも変えがたい。

 

安倍前首相は、五輪反対を言う人を「反日的」と語った。

戦時中に戦争反対を言う人を「アカ」と言ったのと同じだ。

 

沈黙してはいけない。

一人ひとりのやり方で「五輪中止を」訴えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手作り「マリトッツオ」

今、世の中では「マリトッツオ」がブームらしい。

つい先日まで、私も全く知らない物だったが、「マリトッツオ」とは、ブリオッシュ生地に生クリームをたっぷりはさんだスイーツである。

イタリア・ローマでは朝食にも食べられるらしい(知らんけど)。

 

先日、友人宅に遊びに行った時、たまたま「マリトッツオ」の話題となり、「じゃあ、作ってみよう」ということになった。

要するに、パン(今回はコッペパンを購入)に生クリームをはさむだけ。

ネットで、生クリームと砂糖の分量を調べ、生クリームは動物性と植物性を半分ずつ混ぜる方が美味しいと書かれてあったので、豆乳生クリームも購入した。

最も時間がかかるのは、生クリームを泡立てる作業。角が立つくらいまで。

それもブレンダーがあれば、簡単。

あとはパンに出来上がった生クリームをたっぷりはさみ、冷蔵庫で30分ほど寝かせれば、出来上がり。

 

完成!!

 

 

美味しい!悪魔のスイーツやね。

作るの簡単やし、手作りの方が断然安い。

しばらくはまりそう・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナワクチン接種が始まり、地域や会場によってはワクチンが余っているため、政府は企業にもワクチン接種を行うようにした。

そして、その対象は、企業内で働く人、出入りする関係者、それら家族になっているという。

 

他方、医療従事者は最も早くワクチン接種を行うことが出来たが、対象者は病院で働く職員と出入りする関係者に限られ、家族は入っていなかったとのこと。

家族は、政府が決めた接種の順番を待っているのである。

テレビや新聞では、医療従事者の子どもが保育園に行かれなかったり、医療従事者自身が家族に感染させないためにホテル住まいをしたりなど、頑張っている医療従事者の過酷な実態が報道されている。

なぜ、企業の場合は家族も可能で、医療従事者は家族が除外されるのだろう。

優先されるのは、企業よりも、医療従事者の家族ではないだろうか。

 

医療と関係のない家族が医療従事者の家族より早く接種でき、そのような企業のために、病院が集団接種に医療従事者を派遣する。

そんな不条理が起こっている。

 

そんな国のやり方に怒ったある病院では、病院として職域接種を申請することとしたところ、県からは国に聞いてくれと言われ、国に申請書を出すと、家族接種が認められ、3000人の家族の接種ができるようになったとのこと。

これで、医療従事者自身のモチベーションも上がるのではないだろうか。

 

政府も、次は、医療従事者の家族が優先的に接種する方針を早急に出すべきだろう。

 

 

 

2021年5月28日付け京都新聞朝刊に、京都府長岡京市在住の童話作家あまんきみこさんの絵本「あるひあるとき」の原画展(原画は、ささめやゆきさん作)が向日市の絵本書店で開催されていることが載っていた。

 

なんと翌29日までって!

 

実は、あまんきみこさんの絵本「あるひあるとき」(のら書店)は、2020年7月初版なのだが、私が大人になって買った数少ない絵本の1冊だ。

 

あまんさんは、1931(昭和8)年旧満洲(現中国東北部)で生まれ、少女時代である戦中そして敗戦後を旧満洲で過ごし、1947(昭和22)年3月に日本に引き揚げてきた。
あまんさんは、平和への思いを込め、戦争に翻弄される子どもや家族を書いてきたが、長年、満洲については書くことができなかったという。
それは、日本が中国の人たちの土地に土足で踏み込み、中国人が大量虐殺され、他方、敗戦後には多くの日本人が難民収容所で亡くなったという、悲惨な歴史を知ったからだ。
でも、そんなあまんさんが、やっと自身の幼少期を絵本「あるひあるとき」にした。「幼い子どもたちの身一杯の喜びと悲しみを届けたい」と。

 

私自身も「満洲」に「こだわり」がある。
なぜなら、亡き父も1924(大正13)年に満洲で産まれた引き揚げ者だったからである。
父は満洲時代のことを語ることはほとんどなく、私も尋ねることはなかった。
しかし、63歳で亡くなる直前には、「もう1度、旧満洲に行ってみたい」と言ったことがあり、父の思いを叶えてあげられなかったことや父から満洲時代の生活について何も聞かなかったことへの後悔の念が私の満洲の「こだわり」になっている。

 

5月29日朝、向日市の書店「ワンダーランド」を訪れた。
「ワンダーランド」はJR向日町駅の目の前にあった。
入店した時には他に客がいなかったので、店主の女性とゆっくり話をすることができた。
もしかしたら、あまんさんに会えるかも、という淡い期待を持っていたのだが、コロナ禍の下、あまんさんも高齢なので、来るのは控えておられるということだった。
絵本の原画19枚が飾られていたが、印刷された絵本の絵よりも、膨らみがあって良かった。
絵本というのも、なかなかいいもんだなあと改めて思った。

新幹線には運転手が一人しかいない!

2021年5月16日に、東海道新幹線の運転士が走行中トイレに行きたくなり、操縦する資格のない車掌に頼んで、新幹線を時速約150㎞で走行させたまま3分22秒の間、運転席を離れたことが問題となり、ニュースとして報じられた。
 
規定では、どうしてもトイレが我慢できない時など体調不良の場合には、指令所に報告の上、運転資格を持つ車掌や別の運転士と交代するか、新幹線を停車することになっていたとのこと。
でも、今回のような場合に、「停車」できるような雰囲気が社内にあったのだろうか。
 
 
この「事件」で驚いたのは、新幹線の運転士が一人しかいないこと。
知らんかった・・・
今回は停止という判断もできた事案だが、脳や心臓などの病気で突然意識不明になることも十分あり得ること。
車掌に連絡する間もなく・・・
どんなことが起こっても、人命優先・安全優先の走行にしてほしいと思う。

琵琶湖にもマイクロプラスティック

プラスティックゴミの海洋流出には、本当に脅威を感じている。

海に漂うマイクロプラスティックごみをプランクトンが食べ、そのプランクトンを魚が食べ、その魚を動物や人が食べる。
人体に影響がないわけがない。

今朝(5月19日)の京都新聞朝刊には、滋賀県が琵琶湖のマイクロプラスティック調査に乗り出し、調査結果を発表したことが掲載されていた。
それによると、日本近海よりは少なかったが、琵琶湖にも存在しており、レジ袋などに使われるポリエチレンだけでなく、洗濯ばさみや人工芝に多用されているポリプロピレンが多かったとのこと。

琵琶湖の水は、水道水として、京都も取水している。

このプラごみ問題について、はがゆいのは、家庭からのごみも多いのに、あまりにも世の中にプラスティック製品があふれ、出来る限り使わない買わないよう心がけてはいるものの、その多くを断ち切ることができないことである。

とりあえず、常に問題意識を持って、できることをやっていくしかない。



シュクメルリ

「シュクメルリ」って何?と思われる人も少なくないだろう。

シュクメルリは、現役力士「栃ノ心」の母国として知られるようになったジョージア(グルジア)の郷土料理の名前である。

私も、昨年末にテレビ番組の「家事ヤロウ」を観ていて初めて知った。
その番組では、「2020年話題の簡単おうちレシピベスト20」が放映され、「シュクメルリ」を観たとき、食べたい!と思った。
「シュクメルリ」は、にんにくとチーズが入った鶏肉とサツマイモの煮込み料理である(レシピはネットで検索できる)。

テレビでは、大手牛丼チェーン「松屋」の限定メニューで評判だったことから人気に火がついたことも紹介されていた。
そこで、確か2021年2月頃だったと思うが、松屋がこの「シュクメルリ」を季節限定で扱っていることを知り、まず、どのような味か食べてみたいと思い、初めて「松屋」に食べに行ってみた。
近所に新しく出来たホテルの1階に「松屋」が入っている。

熱々で濃厚でとても美味しかったので、これなら作ってみようと思った。
そして、実際に作ってみて、とても満足した。
以来、ことある毎に、友人に紹介している。

ところで、2021年5月14日付け毎日新聞夕刊に、思いがけず「シュクメルリ」が取り上げられていた。
同記事は、福岡市の調味料メーカー「松原食品」がレトルト食品を開発して2020年7月に売り出したところ半年で約1万1000個を売り上げたが、この商品開発には、同社専務とジョージア駐日臨時大使の物語があったという内容だった。
こんな裏話があったのね。

この記事を読んで、「シュクメルリ」は鶏肉をニンニクやクリームソースなどで煮込んだ料理で、サツマイモやチーズを入れたのは松屋のアレンジであることも知った。

松原食品のレトルト「シュクメルリ」は、スーパーや通販で購入できるとのこと。
1度食べてみたいものだ。











葉山椒ご飯

事務所のF弁護士から、自宅の庭で育てている葉山椒をいただいた。
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以前から、葉山椒ご飯を作ってみたいと思っていた。

2019年7月に尾瀬に行った時に、前夜に宿泊した旅館の夕食時の最後に饗されたのが、葉山椒ご飯だった。
その時、初めて食べたのだが、香りも風味も口いっぱいに「さわやか」に広がり、とても美味しいと思った。

1度作ってみたいと思っていたが、葉山椒には時期もあり、手に入れることがなかなか出来なかった。

それがやっと実現した。

ネットで、以前食べた葉山椒ご飯に一番近いと思われるレシピを選び、作ってみた。
尾瀬の旅館の葉山椒ご飯には入っていなかった「じゃこ」も入れた。


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冷凍ご飯を解凍して混ぜこんだので、ややベチャとなったが、風薫る5月にピッタリの「さわやか」な味で満足できた。









深田久弥の最初の山と最後の頂の山

 
「日本百名山」の著者で有名な随筆家・登山家の深田久弥は、1971(昭和46)年3月26日、山梨県の茅ヶ岳(かやがたけ、1704m)の山頂近くで脳卒中のため亡くなった(享年68歳)。
今年で没後50年になる。
茅ヶ岳の登山口には、直筆の碑「百の頂に百の喜びあり」がある。
しかし、深田は茅ヶ岳の山頂に達する前に亡くなったようで、最後に頂を踏んだ山は茅ヶ岳ではない。
 
深田が最初に登った山、そして最後に頂を踏んだ山はあまり知られていない。
私も、茅ヶ岳で亡くなったことは知っていて登ったことがあるが、それらの山のことはつい最近初めて知ったので、登りに行って来た。
 
1、最初の山~富士写ヶ岳(942m)~
 
富士写ヶ岳(ふじしゃがたけ)は、深田の出身地である石川県にある。
深田が小学校6年(11歳)の時に初めてこの山に登り、以来、登山を愛好するようになったという、きっかけの山だ。
 
5月のGW前後には、登山道にはシャクナゲが満開に咲く。
ブナ林も素晴らしい。
しかし、いくつかある、どの登山道も急登で、しかも土が粘土質で滑りやすい。
 
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富士写ヶ岳山頂
 
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山頂にある深田久弥のレリーフがついた山頂方位盤
 
 
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雪を冠した白山が美しく見える
 
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この山の近くに深田が産まれた場所があり、また深田久弥の「山の文化館」がある。
 
富士写ヶ岳に登った後、「山の文化館」に立ち寄り、深田の最後の頂が「蛇峠山(じゃとうげやま)」であることを知った。
「蛇峠山」は長野県の山「阿智セブンサミット」の1つ。
 
2、最後の頂の山~蛇峠山(1667m)~
 
蛇峠山の標高は1667mと高いが、治部坂高原(約1180m)に駐車場があり、標高差は500m位なので、簡単に登ることができる。
 
武田信玄が狼煙を上げた山でもあるという。
 
山頂手前には、NTTdocomoのアンテナや雨量レーダーなどがいくつか立っている。
 
深田は、1971年正月にこの雪山に登り、南アルプスまで見える晴れた素晴らしい展望を楽しんだという。
私が登った日は、晴天予報であったにもかかわらず、山頂に着いた頃には風雨の中。
1時間程で雨は止んだものの、アルプスまでの展望は実現しなかった。
 
 
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それでも、1週間のうちに、深田久弥の最初の山と最後の山に登ることができ、大いに満足した。
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 

「がんになった緩和ケア医」関本剛医師の講演

5月3日(月・祝)は憲法記念日。
コロナ禍の折り、各地でZOOMによるオンラインで憲法集会が開催されていたと思う。

兵庫県弁護士会では、憲法記念日記念行事として、「がんになった緩和ケア医が語る 命、家族、仕事について」と題して、関本剛医師の講演をZOOMで行った。
ZOOMが苦手な私だが、関本医師の話がどうしても聴きたくて申し込んだ。
この日だけは、ZOOMがあって良かったと思った。

関本医師は、緩和ケア医の第一人者で、在宅ホスピス「関本クリニック」(神戸市灘区)の院長である。
医師として日々活躍していたところ、2019年10月に自身がステージ4の肺がんであるとの診断を受けた。当時43歳だった。
関本医師は、葛藤しつつも、命ある限り、仕事そして生きることを全力で全うされている。

私の家族は、約2年間の抗がん治療の末、昨年3月に亡くなった。
私は、家族の闘病中そして死後も、がんに関するたくさんの本を読んだ。
がん宣告後も生きようとする力を目の当たりにしたが、やがて緩和ケアを宣告された後、その苦しみやつらさ、悲しさを言葉でぶつけられることはなかった。

どんな思いだったのだろう・・・
1年が過ぎた今も、私も頭の中に時折湧き上がってくる、もどかしさがある。

関本医師が末期がん宣告という葛藤を乗り越えて、決意を新たにされた経緯については、「覚者のことば」をいくつか紹介された。例えば、
   柏本哲夫 「人は生きてきたように死んでいく」
   関 牧翁 「良く生きることは良く死ぬことなり」
   Alfons Decken  「自分でどうにもコントロールできないことを心配しても仕方が無い

また、必ず訪れる死までの準備として、経済的な準備・家族との交流・葬儀の準備・自分が生きた証を残すなどの項目を掲げられた。

淡々と語られたが、涙なくしては聴けなかった。
強い人だと思った。
そしてこのような緩和ケア医に出会うことができれば、人生の最期も少しは心安らかになれるかもしれないとも思った。

奇跡が起こることをただただ祈るばかりである。











低山ハイクの危険性

コロナ禍の下、「三密」を回避しようと、低山ハイクをする人が増えているらしい。
確かに、京都近郊の山も結構な人数の登山者でにぎわっている。

しかし、低山ということで気楽に登ると、かえって危険性がある。

なぜなら、低山は、北アルプスや南アルプスなどの2000~3000m級の山々と比べると、道案内(標識)がない所や不鮮明な所が少なくなく、「道迷い」しやすいからだ。
テープが貼ってあっても、木の所有を示す「明認方法」のこともある。
遭難の原因で最も多いのは例年「道迷い」で、全体の4割を占める。

「道迷い」という点からすると、私には、北アルプスより、比良山系を歩く方が怖い。

だから、低山であっても、必ず地図を持参し、現地で、道が分かれていたり、目印のテープが見えなくなったら、その都度、地図を確認した方が良い。
最近は、登山GPSアプリもあるので、便利になっている。

4月25日(日)の朝のNHKテレビのニュースでも低山ハイクの危険性を報じていた。

そのテレビ報道があった日、晴れていたので、私は、銀閣寺登山口から大文字山に登り、山頂から京都一周トレイルを蹴上(けあげ)に向かって歩いていた。

大文字山山頂から蹴上までのちょうど半分位の地点だっただろうか、一人の中高年の男性が蹴上方面から北に向かって歩いてきた。
そして、私とすれ違う時に、「清水寺に下りる道はご存知ですか?」と聞かれた。

「えっ?なんで清水寺?」
蹴上は三条通で、清水寺は五条だから、清水寺は蹴上より南にある。
ということは、彼は、清水寺とは逆の北方向に歩いてきたのだから、この地点で「清水寺に下りる道はどこか」という質問などあり得ない。

「清水寺に行くなら、方向が間違ってますよ」と答えたが、彼は「そうですか」と言いながら、清水寺に行くのはあきらめたのか、大文字山の方へ歩いて行った。

方向感覚が間違っている。
こういう人が道迷いするんだよね、きっと。

私も「道迷い」の経験はある。決して他人事ではない・・・









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