1. ブログ マチベンの日々

ブログ マチベンの日々

フルーツ&ソープカービング教室作品展

元依頼者のYさんから、久しぶりに葉書をいただいた。フルーツ&ソープカービング教室作品展(主宰 佐藤朋子さん)のご案内。

早速、Yさんに電話をかけ、7月9日(土)の夕方、見に行かせてもらうことにした。

 

9日は午後2時半過ぎ頃から、すごい雷雨。約束の時間に行かれないかも?と思ったが、ギリギリの時間に運良く雨が上がった。

 

フルーツ&ソープカービングは、タイ王国伝統の技で、小さなナイフ1本で、果物や野菜・石鹸に華やかな彫刻を施すというものである。

Yさんも2年程前から習っているとのこと。

 

これまで、色んな「技」の世界を見聞きし、時には体験もしてきたが、このフルーツ&ソープカービングも間違いなくその1つである。

 

これは、フルーツカービング。「すいか」に描かれている。「すいか」の大きさは小玉すいか位かな。

均等に模様を彫り込んでいくことが難しそう・・・

 

 

 

 

 

 

以下は、Yさんの作品のソープカービング。ソープの大きさは、化粧石鹸と同じくらい。ソープカービング用の石鹸が販売されているとのこと。

こちらも細かい。

 

 

 

 

人間の技はすごい。楽しいひとときだった。

 

2022年7月10日は、参議院選挙の投票日。

今回の参議院選挙は、憲法改悪そして戦争への道の「分岐点」になる選挙だと思う。

 

憲法改正の発議には、衆参それぞれの議院の総議員の2/3以上の賛成が必要である(憲法96条)。

現在、衆議院では既に改憲勢力が2/3を占め、もし今回の参議院選挙で参議院での改憲勢力が2/3以上となれば、確実に憲法改悪へと進んでいくだろう。

与党内では、参議院選挙に勝利すれば、2025年夏の参議院選挙まで大型国政選挙の審判を受けず、好きなことが何でもできる「黄金の3年」となると言われている。

そして改憲勢力の狙いは、もちろん憲法9条だ。

 

2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻がそれに拍車をかけているが、それ以前から、他国(もとよりそれはアメリカ)が行う戦争へ日本も参加していくことが可能となるよう着々と準備がなされてきた。

2015年9月に安保法制が成立し、日本の自衛隊と米軍との共同訓練の範囲がインド洋まで広がり、また、安倍首相(当時)による武器の爆買いが始まった。

そして、今回の選挙での自民党の公約は、防衛費を、現在、対国内総生産(GDP)の現在約1%(約5兆円)を2%以上にすることを念頭に、5年以内に防衛力を抜本的に強化すると明記した。

しかも約11兆円という世界有数の防衛予算に膨らみかねないことに対し、具体的な財源は示されていない。

 

「日々の暮らしが大変だから、憲法なんて関係ない」と思う人もいるかもしれないが、この防衛予算の確保のために、増税や福祉予算切り捨てなどが行われることは明らかで、実は、私たちの生活に密接に関わってくる。

また、例えば、アメリカと中国との対立が激化し、戦争となれば、それによって距離的に近い沖縄が真っ先に攻撃され、日本が戦争に巻き込まれることは明らかである。

 

2度の世界大戦を経て、国民が、戦前戦中を通じて、国から「騙されていた」と感じたことはたくさんあったはず。

現在も、実は「戦前」かもしれない。

メディアがなかなかすべての「真実」を報道しようとしない今、私たち一人ひとりが今日本で何が起こっているのか、きちんとアプローチして知る必要を痛感する。

 

それが、憲法(12条)が国民に求める「不断の努力」ではないだろうか。

 

 

 

岡山家裁倉敷支部に行って来ました

近畿・中国も梅雨入りした6月4日、津島弁護士と二人で、岡山家裁倉敷支部に行って来ました。

事件の尋問があったからです。

京都からは約1時間半。

これまでは、電話会議で弁論準備を行ってきましたが、当事者尋問なので、裁判所の法廷で行われることになります。

 

倉敷は、おそらく20代か30代の頃、観光で1度訪れたことがありましたが、もうほとんど記憶はありません。

 

裁判所は、倉敷駅から徒歩でも行かれる距離にあります。家裁・地裁・簡裁が同じ庁舎内にあります。

 

 

古びた建物でした。

 

午後一杯尋問だったので観光はなし。倉敷土産を購入して、午後6時には京都に帰って来ました。

 

 

悪名高い京都市役所の漆塗りエレベーター

京都市の財政危機が声高に叫ばれています。

2022年度末には8610億円という、とんでもない借金を抱えることになるそうです。

 

そのため、敬老乗車証の年齢引き上げや市バス・地下鉄などの運賃値上げなど、次々に市民生活を悪化させる計画が進行しています。

 

それにもかかわらず、京都市役所内では、エレベーターが改修され、500万円もかけて漆塗りとなりました。

私も先日、市役所近くまで行ったついでに見て来ました。

正面玄関を入って左側のエレベーターです。

 

 

確かに立派なエレベーターですが、区役所ならともかく、どれほどの市民が市役所に出入りするでしょうか。エレベーターを漆塗りにする必要なんてあるのでしょうか。

これには、市民からも批判の声が上がっているそうです。

 

他にも、159億円かけて市議会議場を改修したり、地下道で地下鉄と市役所をつないだり、250万円かけて新たにキャラクターの制作したりもしており、いったい、どこに目が向いているのやら・・・という気がします。

とうてい、子育てしやすい街、高齢者が住みやすい街とは言えません。

 

永田和宏さん(75歳)。京大理学部出身の細胞生物学者、そして歌人。

 

2020年10月14日付け当ブログで、妻で歌人の河野裕子さん(享年64歳)が乳がんで亡くなるまでの壮絶な夫婦の生活を描いた、永田さんの著書「歌に私は泣くだらう」を読んで号泣したことを書いた。

また同年11月3日の憲法集会では、永田さんの「新型コロナが問う日本と世界」という講演も聴いた。

 

そんな永田さんの新著が「あの胸は岬のように遠かった」。

この著書には、河野さんの死後12年経って、これまで開くことができなかった河野さんの実家から見つかった十数冊の日記と2人が交わした手紙を手がかりに、永田さんと、もう1人の男性を同時に愛してしまった河野さんとの赤裸々な青春が綴られている。

 

「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私を攫(さら)って行ってはくれぬか」(河野裕子)

 

昨夜、BS3で柄本佑主演で、永田さんご自身も出演されて、同じタイトルでドラマが放映されたが、本の方が、永田さんの生い立ちや親との確執、心の微妙な動きも書かれていた。

 

永田さんは現在75歳。

もう50年以上も前の結婚前の二人の恋愛や生き様や想いをまるで昨日のことのように振り返り、「私はその絶対的な愛にふさわしかったのか」「河野はほんとうに私で良かったのか」「他にもっとふさわしい選択はなかったのか」「私に満足していてくれたのか」「後悔したことはなかったのか」などと問い続けられていることに、永田さんの非凡さとロマンチストさを感じた。

 

私自身も大学生時代の自分の青春に思いを馳せた。

でも、私にとって、青春時代は遠い過去。

むしろ、そんな青春を経て結ばれた永田さんと河野さん夫妻の最期を書いた「歌に私は泣くだらう」の方が、何倍も共感と悲しみを感じて読むことができた。

もう1度「歌に私は泣くだろう」を読み返してみたくなった。

 

 

 

 

 

斗々屋に行ってきました

前々から買いに行きたいと思っていた「斗々屋」。

 

「斗々屋」は、ホームページによると、2021年7月31日にオープンした、日本初のゼロ・ウェイストのスーパーマーケット。

要するに、客が容器を持参し、量り売りをする店である。容器の貸し出しもある。

ゼロ・ウェイストとは、無駄を最小限にして「ごみゼロ」を目指す取り組み。背景には、ごみの埋め立ての限界、プラスティックごみによる海洋汚染のほか、ごみ処理で発生する温室効果ガスによる気候変動の問題がある。

プラスティックごみだけでなく、あらゆるゴミを減らそうという考え方は、とても共感できる。

 

私が子どもの頃は、八百屋さんで野菜や果物を新聞紙で包んでもらったり、豆腐屋さんで豆腐を持参した鍋に入れてもらったりしていた。上から吊された秤があって、量り売りもあった。

 

店は、河原町丸太町上る東側にある。

事務所からは徒歩圏内だが、通勤ルートではないので、これまで買いに行ったことがなかった。

今日は、斗々屋の近くに用があったので、ついでに寄ろうと決め、自宅から容器も数個持参して、訪れた。

 

旬の野菜や果物はもとより、肉、豆腐、米、惣菜、調味料まで多種多様な食材をすべて量り売りで購入できる。

品数もたくさんあり、聞き慣れない名前の食材があったりして、結構、見るだけでも楽しい。

ただ、食品をあまりグラム単位で考えたことがないので、「100グラム◯◯円」と書かれていても、どのくらいの量が100グラムになるのか、ピンと来ない。

また自然栽培の野菜やオーガニックの調味料なので、どうしても値段はお高めになる。

 

今日は、ナッツバターを109グラム購入した。

生ナッツをペースト状にしたもので、昼食の時トーストに乗せて食べてみた。砂糖が使用されていなくても、甘くて濃厚な味だった。

 

楽しくごみを減らしていくことが大切。これからも時々訪れてみたいと思う。

 

 

 

 

快晴の土曜日の5月28日。

京都弁護士会主催の春のレクリエーションで、雪彦山(兵庫県)に登って来ました。

コロナ禍で2020年・2021年は中止となったので、3年ぶりの春のレクでした。

 

参加は、弁護士5名(事務所からは金杉弁護士も参加)・事務員さん2名の計7名。

実は、雪彦山は、岩登りでも有名な山で、「危険なのでやめておく」と最初から申し込まなかった人や途中で申し込みを取りやめた人もいたようです。

 

雪彦山は、弥彦山(新潟県)・英彦山(福岡県)と共に、日本三彦三の1つです。

今は、大天井岳(おおてんじょうだけ)・三角点雪彦山(三辻山=みつつじやま)・鉾立山(ほこだてやま)の3つを総称して「雪彦山」と呼ぶそうです。

 

登山道は、最初から急登で始まります。

 

 

展望岩からは、最初に登る、岩肌を剥き出しにしてそびえる大天井岳が間近に見えました。

 

 

登山道には巨岩が迫り、鎖やロープが張ってある岩場が何カ所かありました。

 

 

太った人は通れない(?)セリ岩(巻き道がありますから大丈夫)。

 

 

変化に富んだ岩場登りを終えると、大天井岳(884m)に到着しました。

山頂からは素晴らしい展望が広がっていました。ここで昼食。

 

A弁護士が作ってきた看板。

 

 

大天井岳からは少しアップダウンを繰り返して、二等三角点のある三角点雪彦山(三辻山。915m)と鉾立山(950m)へ。

 

 

 

 

鉾立山からは、ひたすら下って、最後は、滝もある川沿いを下りました。

出発する時、A弁護士が「下山は川沿いだからヒルがいるかも」と言ったので、金杉弁護士が持参していたヒル除けスプレーをかけてもらいましたが、幸い、ヒルにお目にかかることはありませんでした。

 

天候にも恵まれ、変化に富んだ岩場登りもあり、とても楽しい山行きでした。

 

 

バラの庭

元京都弁護士会に所属されていた友人Sさんから「庭のバラが満開だから」とお誘いを受けたので、5月22日(日)、Y弁護士と一緒に初めてSさん宅を訪問した。

Sさんとは久しぶりの再会。

 

白い壁の邸宅にバラのアーチやアイアン製の飾りもあって、まるでイングリッシュガーデンのよう。

バラの種類も多く、またバラ以外にもたくさんの花々が咲いており、手入れの行き届いている本当に美しい庭だった。

 

 

 

 

 

 

バラを楽しんだ後は、3人でおしゃべり。久しぶりで話がはずむ。

でも、弁護士というより、オバサン会話。

楽しいひとときでした。

 

Sさん宅から帰り、午後4時に鴨川へ。

京都弁護士会の公害・環境問題委員会の皆さんと一緒にゴミ拾いに参加(私は2回目)。

今回は修習生も多数参加し、ゴミも一杯収拾した。

 

 

 

 

米統治下発行「琉球切手」

米統治下の沖縄で発行された「琉球切手」を本土復帰から50年を機に知ってもらおうと、発行元の日本郵便沖縄支社(那覇市)は、今夏、自社で保管する246種類を初めて一般公開する(2022年5月13日付け読売新聞夕刊)。8月16~21日、県立博物館・美術館(那覇市)での企画展で公開される。

 

記事によると、当時の沖縄は、1946年7月に郵便法が制定され、戦前の日本切手の使用が禁止され、独自の切手が必要となった。

このため、沖縄民政府や、その後、発足した琉球政府の郵政庁などが1948年7月から1972年4月にかけて、248種類の琉球切手を発行した。

琉球切手は国内外の愛好家の人気が高く、復帰決定後はすぐに売り切れたという。

 

私は、この「琉球切手」を数枚持っている。

 

私が幼い頃は、まだ、切手収集を趣味とする人も少なくなく、おそらく私の父もその1人だった。私は父から切手帳をもらい、趣味というほどではなかったが、旅先などで気に入った切手があれば購入し、その切手帳に足していった。

その切手帳の中に、なぜか「琉球切手」が11枚だけ入っており、眺めて楽しむことはあっても、恥ずかしながら沖縄の歴史に思いを馳せることはなかった。

父にもどうやって入手したのか尋ねたことはなかった。

「琉球切手」から、あらためて沖縄の郵政史を知りたくなった。

 

 

更に、記事によると、琉球切手は現在も、切手愛好家の間で根強い人気を集めているとのこと。

琉球切手の図案には地元から多くの画家や写真家が携わっており、質が高く、郷土の懐かしさと異国情緒が混じり、独特の美しさがあるという。

 

なんか「お宝」を発見したようで、ちむどんどんする~

 

なお、1972年に発行された沖縄復帰記念の切手も持っている。

 

 

「ガンになった緩和ケア医」関本剛医師、死去

ちょうど1年前のこのブログ(2021年5月3日付け)で、「ガンになった緩和ケア医」関本剛医師のことを書いた。

その関本医師が2022年4月19日亡くなったことをヤフーニュースで知った。

 

昨年5月3日、憲法記念日記念行事として兵庫県弁護士会が関本医師の「ガンになった緩和ケア医が語る命、家族、仕事」という講演会をZOOMで開催した。

ZOOMが苦手な私だが、この時だけはZOOMで聴取できたことを有り難いと思った。

 

昨年5月3日のブログでも紹介したが、緩和ケアの第一人者である関本医師は、2019年10月、43歳の時に自身がステージ4の肺がんであるとの診断を受けた。

葛藤しつつも、命ある限り仕事と生きることを全力で全うしようと決め、その後、脳にも転移していることがわかったが、緩和ケアのクリニックでガン患者に寄り添う毎日を送った。

 

講演で関本医師は、末期がん宣告という葛藤を乗り越えて決意を新たにされた経緯や必ず訪れる死までの準備についてなど淡々と語られたが、2020年に同じく末期がんで家族を亡くした私は、涙なくして聴けなかった。

 

講演会から1年。あまり早すぎる死。奇跡が起こらなかったことが無念である。

関本医師の生き様は、きっと何らかの形で出版されるだろうと思う。

安らかに。

合掌。

 

 

 

 

これまで原田マハの小説を読んだことがなかったが、友人に原田ファンがいるので、何冊か借りて読んでいる。

そのうちの1冊が「キネマの神様」。

 

「キネマの神様」は、映画の方が有名かもしれない。

映画は山田洋次監督作品で、主人公の予定だった志村けんがコロナで突然亡くなったため、沢田研二が主人公をつとめた。

私もこの映画は観た。

 

小説を読んで、映画とは全くストーリーが違うことを知った。

後でネットを読むと、確かに書いてはあるが、私自身は全く知らなかった。

映画は、山田洋次監督らしい、かつての映画撮影所などを舞台として再現し、ほのぼのとした作品となっていた。北川景子が原節子を思わせるような美しい女優を演じていたことと、沢田研二の声が年齢のわりに若いことが印象に残った。

 

小説は、とても面白かった。

映画阪と同じように、映画と賭け事にしか興味がない老いた父親ゴウや、その友人で名画座の経営者テラシンらは登場するが、1000万円以上の年収を振って国内有数の再開発企業を退職した娘歩(あゆみ)の目線で小説は進んでいく。

ゴウの映画ブログが海外の正体不明な「ローズ・バッド」の「反撃」にあい、その二人の間で往復される映画批評ブログをめぐって、家族の愛や友情などが展開していく。

そして、最後は、映画は映画館で観よう、と思わせるストーリーであった。

 

 

 

 

大津なぎさ公園の芝桜

京都新聞に、滋賀県大津市のなぎざ公園の満開の芝桜の写真が掲載されていたので、4月23日(土)に、なぎさ公園の近くに住む友人に連絡をして、一緒に見に出掛けた。

 

新聞に載ったせいだろうか、普段より人が多く出ているとその友人は語っていた。

やや満開からは進んだかな?と思われたが、それでも、琵琶湖や遠く比良山系の山々や近江富士(三上山)などとのコントラストはとても美しい。

 

 

 

白い花びらの中にピンクの線がある珍しい芝桜もあった。

 

 

素敵な景色を堪能した。

捨てない生き方~電動鉛筆削り~

断捨離ブームに抗するかのように、作家五木寛之さんの「捨てない生き方」がちょっとしたブームになっているよう。

 

でも、断捨離も「捨てない生き方」も決して相反するものではないと思う。

 

ところで、今朝、私が長年愛用し、事務所に置かせてもらっていた電動鉛筆削り器が、突然、動かなくなった。

私は、シャープペンシルより、多少の力も加えても芯が折れない鉛筆の方が断然好きだ。

って、鉛筆削り器は私にとっては必須の物。

 

これが動かなくなった電動鉛筆削り器。

 

 

私が小学校に入学した時に、親が買ってくれた物である。

パナソニックの前身のナショナルの製品で、今と違って、昔の製品ほど長持ちすると言われるように、ン十年以上、いつも私の身近にあって、ずっと動いてくれていた。

 

これも「捨てない生き方」の1つだよね。

鴨川ごみ拾いに参加~プラごみ削減に向けて~

4月17日、快晴の日曜日。

午前中、大文字山に登った後、午後2時から、鴨川の丸太町橋に集合して、初めて、ごみ拾いに参加。

 

つい最近、京都弁護士会の公害対策・環境保全委員会の委員(皆さん、弁護士です)がプラスチックごみ問題を考える中で、毎月1回、鴨川のごみ拾いをしていることを知った。

それで、私は委員ではないが、参加したいと思い、4月から参加することにした。

 

修習生も含め、約10名のメンバーが集まり、まずゴミ袋とごみバサミを渡される。軍手は持参した。

2グループに分かれ、東岸と西岸からそれぞれ丸太町橋から荒神橋の間のごみを拾っていく。

「1時間もすると、袋にゴミが一杯になる」と言われたが、本当に、ドンドンごみが見つかり、アッという間に袋一杯になった。

特に、17日は川の水が少なかったこともあり、川縁の草木の間や水際に、レジ袋、タバコの吸い殻、ペットボトル、菓子袋、マスクなどなど、たくさん落ちたり、流れ着いたりしていた。

 

集めたごみは、事前に京都市まちの美化実践活動として申請しておくと、ごみ袋・軍手が給付され、京都市がごみを回収してくれるシステムになっているとのこと。

 

プラごみがマイクロプラごみとなって、海や川の魚が食べ、魚などを通して人間の身体に入っていくことが知られているにもかかわらず、この美しい鴨川にも大量に潜んでいることは嘆かわしいことだ。

 

地道な活動だが、大勢でするのは、なんとなく楽しい。

折しも、2022年4月1日から「プラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律」が施行されている。

これからも、プラスチック削減に向けて、できることをしていきたいと思う。

 

「弘前城の桜」は、なぜ美しいか

京都市内は、3月下旬から4月上旬、晴天が続いたことで、どこを歩いても、綺麗な桜を観賞することができた。

 

ところで、先日、友人らとの会話の中で、「弘前城の桜はなぜ美しいか」が話題となった。

私は、1度だけ、弘前城の桜を見たことがある。

弘前城の桜がどうしても見たく、1999年4月28日夜、当時、大阪発で走っていた「日本海」という夜行列車に乗って29日朝に青森まで行き、29日は弘前に1泊して30日に弘前城の満開の桜を堪能し、30日夜発の夜行列車に乗って帰京し、5月1日のメーデーに参加したことがあった。

確かに弘前城の桜はとても見事で美しい。

友人の問いに対し、私は、「弘前城の桜が雄大な岩木山を背景にしている景色が素晴らしいからじゃないかな」と答えた。

 

私の答えもまんざらはずれではないと思うが、実は、「弘前城の桜」の美しさには秘密があることがわかった。

2022年4月10日付け読売新聞朝刊で、青森出身の気象予報士奈良岡希実子さんが「弘前城の桜」の秘密に触れていた。

美しさの理由は「ボリューム感」であり、実は、弘前城の桜は、「弘前方式」と呼ばれる管理法が用いられているとあった。それは、リンゴの栽培技術を参考にした、昭和30年代から続く管理法で、これによって花数が多く、ぼんぼりのような形になるとのこと。

やはり、美しくすること、そしてそれを維持することには、人の手による努力が存在するのである。

 

もう1度、弘前城の桜を見に行くことはあるだろうか。

もし機会があれば、その時は、岩木山を借景にして、このぼんぼりのような桜を大いに堪能したいものである。

桜とバインミー

京都市内はどこも桜が満開である。

4月3日(日)はあいにくの雨予報。でも、雨が降り出すのは午後からという予報だったので、早めにお花見散歩に出掛けた。

 

疎水べりの桜も満開。

 

 

昼食は、疎水の近くにできたバインミー専門の店「120gバインミー京都」へ。

午前11時の開店時間に合わせて行ったのに、もう先客が2組。その後も次々と客がやってくる。小さいな店だが、やはり人気がある。

バインミーとは、ベトナムのサンドイッチで、フランスパンに野菜やハムなどがたっぷり入っている。この店は、有機野菜を使い、からだに優しいバインミーが食べられる。

 

 

店内もなかなか素敵。

テイクアウトもできるが、店内だと、ニョクマムなどの調味料をかけることができるので、店内で食べることにした。

 

 

バインミーは数種類からチョイスでき、私は、ハムと野菜たっぷり入った「定番」を注文。

セットメニューは、本日のスープをチョイス。有機ほうれんそうと玄米のスープ。

 

 

ピリ辛の味で美味しい!スープも濃厚。フランスパンも柔らかい。

 

昼食後は鴨川の土手をプラプラと出町柳まで歩き、そこから事務所に戻った。

 

賀茂大橋から見た、賀茂川(右)と高野川(左)。

 

 

事務所に戻ると、ちょうど雨が降り出し、セーフ。

防衛省「反戦デモ」を敵視

今なお停戦に至らないロシアのウクライナ侵攻。

ヨーロッパ各地では、大きな反戦デモが起こっています。

そんな中、2022年3月31日付けの「しんぶん赤旗」の1面を読んで驚きました。

 

防衛省陸上幕僚監部が2020年2月4日、記者を対象とした勉強会に配布した資料の中に、安保法制を発動する事態の1つである、武力攻撃に至らない「グレーゾーン事態」に当たる事例として、テロと横並びで、市民による「反戦デモ」をあげ、敵視していたことがわかりました。

陸自は、参加した記者から「『反戦デモ』の用語は不適切ではないか」と指摘を受け、翌5日に資料を回収し、「暴徒化したデモ」と書き換えて再配布したそうです。

 

政府は「誤解を招く表現」と述べるにとどめ、表現の自由を危うくする不適切な対応であったとは明言していません。

そして共産党の穀田議員が衆院外務委員会で批判したように、いくら書き換えても、「反戦デモ」をいつ暴徒化するかわからないと敵視する認識に変わりありません。

 

今、ロシアでは1枚のプラカードを掲げて「反戦」を訴えても逮捕され、刑罰を科されるかもしれません。

日本がそんな国に近づいていくことを決して許してはなりません。

 

 

 

 

映画「ひまわり」再上映を観てきました

映画「ひまわり」がウクライナ支援も兼ねて全国で再上映されていることを知り、早速、観に行って来た(京都は、京都みなみ会館で4月7日まで上映)。

 

これまでDVDでしか観たことがなく、劇場で観るのは初めて。

夫が亡くなってちょうど2年になるが、夫はこの映画がとても好きで、生きていたら、きっと一緒に観たと思う。

 

映画「ひまわり」は、1970年のイタリア映画で、ソフィア・ローレン演じる主人公が、第2次世界大戦で旧ソビエトに出征したまま終戦後も帰って来ない夫を探すというストーリー。

戦争で引き裂かれた男女の愛と人生をテーマにした反戦映画と言える。

 

主人公が一面に広がるひまわり畑で夫を探す場面が印象的である。

「イタリア兵とロシア人捕虜が埋まっています」「ご覧なさい、ひまわりやどの木の下にも」と地元の人が戦争のむごさや悲惨さを語る。

このひまわり畑は、ウクライナのキエフから500キロ南のヘルソン州で撮影されたという。

また、ひまわりがウクライナの国花でもあることから、日本の配給会社「アンプラグド」が収益の一部をウクライナの人道支援のため日本赤十字社などに寄付しようと緊急上映を計画し、再上映となった。

 

今回の映像は、高解像度修復版(HDレストア)で、最新技術を駆使し、画面上の傷を除去して、明るさや色の揺らぎなどの症状を改善しており、また、音響も最新のノイズリダクション技術で雑音を除去しているとのこと。

 

戦争のシーンもあって、このような惨劇が現時点でウクライナで起こっていると思うと、いっそう許せない思いが強くなる。今、ウクライナの人々には、この映画のように戦争によって人生が引き裂かれるという事態が現実に起こっているのだ。

 

1日も早い平和の実現をただただ願うのみ。

 

 

島田一輝さんのスパイスカレー

カレーライスが大好きで、最近は専らスパイスカレーを作っている。

 

そんな私が、2022年1月31日付け京都新聞で、スパイスカレーを広めるためフードトラックで全国を回り、いずれはアメリカに渡って行列のできるスパイスカレー店を開くことが夢の青年島田一輝さんの記事を読んだ。

 

島田さんは、大阪出身の1993年生まれ(28歳)。同志社大学卒業後、大手証券会社に就職するも、約4年間で退職。アメリカ・カリフォルニアに渡り、そこでフードトラックで販売するカレーに出会う。

島田さんは、コロナでまだ海外へは自由に行き来できないが、まず、日本を一周してスパイスカレーを広め、いずれはアメリカでカレー屋を開きたいという夢を追う。

フードトラックは、クラウドファンディングで資金を集めて購入したとのこと。

 

そして記事では、京都には3月20日に開催される手作り市で出店すると紹介されており、休日でもあり、「絶対に行こう」とその記事を大切に保管していた。

しかし、その手作り市はコロナのため中止となり、島田さんのフードトラックが京都へいつどこに来るかもわからず、あきらめていた。

 

ところが、である。

昨日昼頃、事務所に向かって夷川通りを歩いていたら、マンションの前に、なにやらトラックのようなものが止まって、人だかりができている。

「なんやろ?」「もしかしたら・・・」と思って近づくと、やはり島田さんのフードトラックだった。

「すごい!偶然!」

 

 

 

「3月20日に食べに行こうと思ってたんですよ」と話し、会話もはずむ。

早速、テイクアウトでキーマカレーを注文。

 

 

島田さんは、来週からは九州に行くと言っていた。

事務所に戻り、すぐに近所に事務所があるF弁護士にも電話で紹介しておく。

 

昼食は済ませていたので、スパイスカレーは私の夕食となった。

 

 

かなりスパイスがきいており、とても美味しい味だった。

 

先日、ブログで書いた「猪熊隆之さん」との出会いといい、今年は偶然の出会いがたくさんありそうで、ワクワクする。

 

 

 

 

ウクライナに平和を

ウクライナの戦況は、いつもテレビのニュース報道のトップである。

今、現実に起こっている戦争に心が痛む。

 

京都市は、1971年ウクライナの首都キエフ市と姉妹都市となった。

市役所の前には、キエフ市から贈られた「友好記念碑」があり、3月2日から

献花台が設置されている。

 

 

 

 

1日も早い平和を願う。

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