1. ブログ マチベンの日々

ブログ マチベンの日々

鴨川ごみ拾いに参加~プラごみ削減に向けて~

4月17日、快晴の日曜日。

午前中、大文字山に登った後、午後2時から、鴨川の丸太町橋に集合して、初めて、ごみ拾いに参加。

 

つい最近、京都弁護士会の公害対策・環境保全委員会の委員(皆さん、弁護士です)がプラスチックごみ問題を考える中で、毎月1回、鴨川のごみ拾いをしていることを知った。

それで、私は委員ではないが、参加したいと思い、4月から参加することにした。

 

修習生も含め、約10名のメンバーが集まり、まずゴミ袋とごみバサミを渡される。軍手は持参した。

2グループに分かれ、東岸と西岸からそれぞれ丸太町橋から荒神橋の間のごみを拾っていく。

「1時間もすると、袋にゴミが一杯になる」と言われたが、本当に、ドンドンごみが見つかり、アッという間に袋一杯になった。

特に、17日は川の水が少なかったこともあり、川縁の草木の間や水際に、レジ袋、タバコの吸い殻、ペットボトル、菓子袋、マスクなどなど、たくさん落ちたり、流れ着いたりしていた。

 

集めたごみは、事前に京都市まちの美化実践活動として申請しておくと、ごみ袋・軍手が給付され、京都市がごみを回収してくれるシステムになっているとのこと。

 

プラごみがマイクロプラごみとなって、海や川の魚が食べ、魚などを通して人間の身体に入っていくことが知られているにもかかわらず、この美しい鴨川にも大量に潜んでいることは嘆かわしいことだ。

 

地道な活動だが、大勢でするのは、なんとなく楽しい。

折しも、2022年4月1日から「プラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律」が施行されている。

これからも、プラスチック削減に向けて、できることをしていきたいと思う。

 

「弘前城の桜」は、なぜ美しいか

京都市内は、3月下旬から4月上旬、晴天が続いたことで、どこを歩いても、綺麗な桜を観賞することができた。

 

ところで、先日、友人らとの会話の中で、「弘前城の桜はなぜ美しいか」が話題となった。

私は、1度だけ、弘前城の桜を見たことがある。

弘前城の桜がどうしても見たく、1999年4月28日夜、当時、大阪発で走っていた「日本海」という夜行列車に乗って29日朝に青森まで行き、29日は弘前に1泊して30日に弘前城の満開の桜を堪能し、30日夜発の夜行列車に乗って帰京し、5月1日のメーデーに参加したことがあった。

確かに弘前城の桜はとても見事で美しい。

友人の問いに対し、私は、「弘前城の桜が雄大な岩木山を背景にしている景色が素晴らしいからじゃないかな」と答えた。

 

私の答えもまんざらはずれではないと思うが、実は、「弘前城の桜」の美しさには秘密があることがわかった。

2022年4月10日付け読売新聞朝刊で、青森出身の気象予報士奈良岡希実子さんが「弘前城の桜」の秘密に触れていた。

美しさの理由は「ボリューム感」であり、実は、弘前城の桜は、「弘前方式」と呼ばれる管理法が用いられているとあった。それは、リンゴの栽培技術を参考にした、昭和30年代から続く管理法で、これによって花数が多く、ぼんぼりのような形になるとのこと。

やはり、美しくすること、そしてそれを維持することには、人の手による努力が存在するのである。

 

もう1度、弘前城の桜を見に行くことはあるだろうか。

もし機会があれば、その時は、岩木山を借景にして、このぼんぼりのような桜を大いに堪能したいものである。

桜とバインミー

京都市内はどこも桜が満開である。

4月3日(日)はあいにくの雨予報。でも、雨が降り出すのは午後からという予報だったので、早めにお花見散歩に出掛けた。

 

疎水べりの桜も満開。

 

 

昼食は、疎水の近くにできたバインミー専門の店「120gバインミー京都」へ。

午前11時の開店時間に合わせて行ったのに、もう先客が2組。その後も次々と客がやってくる。小さいな店だが、やはり人気がある。

バインミーとは、ベトナムのサンドイッチで、フランスパンに野菜やハムなどがたっぷり入っている。この店は、有機野菜を使い、からだに優しいバインミーが食べられる。

 

 

店内もなかなか素敵。

テイクアウトもできるが、店内だと、ニョクマムなどの調味料をかけることができるので、店内で食べることにした。

 

 

バインミーは数種類からチョイスでき、私は、ハムと野菜たっぷり入った「定番」を注文。

セットメニューは、本日のスープをチョイス。有機ほうれんそうと玄米のスープ。

 

 

ピリ辛の味で美味しい!スープも濃厚。フランスパンも柔らかい。

 

昼食後は鴨川の土手をプラプラと出町柳まで歩き、そこから事務所に戻った。

 

賀茂大橋から見た、賀茂川(右)と高野川(左)。

 

 

事務所に戻ると、ちょうど雨が降り出し、セーフ。

防衛省「反戦デモ」を敵視

今なお停戦に至らないロシアのウクライナ侵攻。

ヨーロッパ各地では、大きな反戦デモが起こっています。

そんな中、2022年3月31日付けの「しんぶん赤旗」の1面を読んで驚きました。

 

防衛省陸上幕僚監部が2020年2月4日、記者を対象とした勉強会に配布した資料の中に、安保法制を発動する事態の1つである、武力攻撃に至らない「グレーゾーン事態」に当たる事例として、テロと横並びで、市民による「反戦デモ」をあげ、敵視していたことがわかりました。

陸自は、参加した記者から「『反戦デモ』の用語は不適切ではないか」と指摘を受け、翌5日に資料を回収し、「暴徒化したデモ」と書き換えて再配布したそうです。

 

政府は「誤解を招く表現」と述べるにとどめ、表現の自由を危うくする不適切な対応であったとは明言していません。

そして共産党の穀田議員が衆院外務委員会で批判したように、いくら書き換えても、「反戦デモ」をいつ暴徒化するかわからないと敵視する認識に変わりありません。

 

今、ロシアでは1枚のプラカードを掲げて「反戦」を訴えても逮捕され、刑罰を科されるかもしれません。

日本がそんな国に近づいていくことを決して許してはなりません。

 

 

 

 

映画「ひまわり」再上映を観てきました

映画「ひまわり」がウクライナ支援も兼ねて全国で再上映されていることを知り、早速、観に行って来た(京都は、京都みなみ会館で4月7日まで上映)。

 

これまでDVDでしか観たことがなく、劇場で観るのは初めて。

夫が亡くなってちょうど2年になるが、夫はこの映画がとても好きで、生きていたら、きっと一緒に観たと思う。

 

映画「ひまわり」は、1970年のイタリア映画で、ソフィア・ローレン演じる主人公が、第2次世界大戦で旧ソビエトに出征したまま終戦後も帰って来ない夫を探すというストーリー。

戦争で引き裂かれた男女の愛と人生をテーマにした反戦映画と言える。

 

主人公が一面に広がるひまわり畑で夫を探す場面が印象的である。

「イタリア兵とロシア人捕虜が埋まっています」「ご覧なさい、ひまわりやどの木の下にも」と地元の人が戦争のむごさや悲惨さを語る。

このひまわり畑は、ウクライナのキエフから500キロ南のヘルソン州で撮影されたという。

また、ひまわりがウクライナの国花でもあることから、日本の配給会社「アンプラグド」が収益の一部をウクライナの人道支援のため日本赤十字社などに寄付しようと緊急上映を計画し、再上映となった。

 

今回の映像は、高解像度修復版(HDレストア)で、最新技術を駆使し、画面上の傷を除去して、明るさや色の揺らぎなどの症状を改善しており、また、音響も最新のノイズリダクション技術で雑音を除去しているとのこと。

 

戦争のシーンもあって、このような惨劇が現時点でウクライナで起こっていると思うと、いっそう許せない思いが強くなる。今、ウクライナの人々には、この映画のように戦争によって人生が引き裂かれるという事態が現実に起こっているのだ。

 

1日も早い平和の実現をただただ願うのみ。

 

 

島田一輝さんのスパイスカレー

カレーライスが大好きで、最近は専らスパイスカレーを作っている。

 

そんな私が、2022年1月31日付け京都新聞で、スパイスカレーを広めるためフードトラックで全国を回り、いずれはアメリカに渡って行列のできるスパイスカレー店を開くことが夢の青年島田一輝さんの記事を読んだ。

 

島田さんは、大阪出身の1993年生まれ(28歳)。同志社大学卒業後、大手証券会社に就職するも、約4年間で退職。アメリカ・カリフォルニアに渡り、そこでフードトラックで販売するカレーに出会う。

島田さんは、コロナでまだ海外へは自由に行き来できないが、まず、日本を一周してスパイスカレーを広め、いずれはアメリカでカレー屋を開きたいという夢を追う。

フードトラックは、クラウドファンディングで資金を集めて購入したとのこと。

 

そして記事では、京都には3月20日に開催される手作り市で出店すると紹介されており、休日でもあり、「絶対に行こう」とその記事を大切に保管していた。

しかし、その手作り市はコロナのため中止となり、島田さんのフードトラックが京都へいつどこに来るかもわからず、あきらめていた。

 

ところが、である。

昨日昼頃、事務所に向かって夷川通りを歩いていたら、マンションの前に、なにやらトラックのようなものが止まって、人だかりができている。

「なんやろ?」「もしかしたら・・・」と思って近づくと、やはり島田さんのフードトラックだった。

「すごい!偶然!」

 

 

 

「3月20日に食べに行こうと思ってたんですよ」と話し、会話もはずむ。

早速、テイクアウトでキーマカレーを注文。

 

 

島田さんは、来週からは九州に行くと言っていた。

事務所に戻り、すぐに近所に事務所があるF弁護士にも電話で紹介しておく。

 

昼食は済ませていたので、スパイスカレーは私の夕食となった。

 

 

かなりスパイスがきいており、とても美味しい味だった。

 

先日、ブログで書いた「猪熊隆之さん」との出会いといい、今年は偶然の出会いがたくさんありそうで、ワクワクする。

 

 

 

 

ウクライナに平和を

ウクライナの戦況は、いつもテレビのニュース報道のトップである。

今、現実に起こっている戦争に心が痛む。

 

京都市は、1971年ウクライナの首都キエフ市と姉妹都市となった。

市役所の前には、キエフ市から贈られた「友好記念碑」があり、3月2日から

献花台が設置されている。

 

 

 

 

1日も早い平和を願う。

「猪熊隆之さん」

山の気象予報を専門とする会社「ヤマテン」の代表者で、その活動等は、山の雑誌はもとより、テレビでも何度も取り上げられている。最近では、工藤夕貴主演のテレビ「山女日記」にも「俳優(?)」として登場されていた。

 

猪熊さんのことは何回かこのブログでも書いたことがある(過去のブログは、検索欄に「猪熊」と入力してご覧ください)が、2001年5月、私がマレーシアのキナバル山(4095m)登山ツアーに参加した時のツアーガイドをしてくれた(当時は)青年。

その後は年賀状のやりとりだけだったが、数年前に、私が、山形県の西吾妻山の冬山で行方不明となって遭難した青年の危難失踪宣告申立事件を担当した時、気象について知りたいことがあり、猪熊さんにメールなどで連絡を取って教えてもらったことがあった。

 

猪熊さんの会社ヤマテンは、八ヶ岳の麓にある。

以前、彼のドキュメンタリー番組がテレビで放映された時に、彼が時々訪れる、八ヶ岳を展望できるカフェ「花ファクトリー」が紹介された。

素敵なカフェなので、私も、2018年以降、八ヶ岳方面に行った時には、必ず立ち寄っていたが、ここ2年程はその機会がなかった。

 

3月11~13日、山仲間のA弁護士に誘われ、総勢4人で、八ヶ岳の麓にスノーシューハイクに出掛けた。

最終日の13日、ランチを食べるために、彼らを「花ファクトリー」に案内した。

まだ午前11時頃だったので客はおらず、私たちだけだったが、すぐに1人の男性が奥のテーブルに座り、パソコン作業を始めた。

 

「あっ!猪熊さんや!」なんて偶然なんだろう。

 

すぐに気がついた私は、猪熊さんの席まで行って挨拶をした。実際にお目にかかったのは、キナバル登山以来だから約20年ぶり。猪熊さんも覚えてくれていたようで、しばらく会話がはずんだ。

 

以前から、猪熊さんから天気の講習を受けながら登山をするというツアーに1度参加してみたいと思っていたので、その情報も得ることができた。

 

こんな偶然ってあるんやね。

 

 

 

3月8日は国際女性デー

今日3月8日は、国際女性デー。国連が1975年に制定した記念日である。

きっかけは、1908年3月8日にアメリカ・ニューヨークで女性の参政権を求めてデモが起こったこと。それはヨーロッパ各国に広がった。

制定から47年経過した今の日本の現状はどうだろう。

 

今朝の朝刊に、興味深い記事が掲載されていたので、紹介する。

 

1つは、京都府大山崎町の人気のコーヒー豆焙煎所の経営者である中村あゆみさんと中村佳太さん「妻夫」(朝日新聞掲載)。

共同経営者である2人は、取材を依頼するメディアに次のような依頼文を渡すという。

●「店主」は2人であり、どちらか一方が代表しているわけではない。

●名前の掲載順は「中村あゆみ・中村佳太」の順で。

●取材中は「ご主人・旦那さん」「奥様・奥さん」といった呼び方は控え、名前で。

●メディアはジェンダーバランスを。

これは、2人が共同経営者であるにもかかわらず、これまで「夫である中村佳太さんがメインの経営者」ととらえられることがあまりに多かったから。

 

まだまだ日常的に「よくある話」だ。

2人は「できることからやっていこう」と今回の対応を決めたという。

身近なところから、変えていくことは大切なこと。

 

2つ目は、選択的夫婦別姓制度がなかなか実現しない中、東京都八王子市に住む32歳の2人は、離婚・結婚を繰り返し3年おきに姓を交代する「選択」を行っている(毎日新聞)。

そんな中、2021年4月東京地裁は、アメリカで法律婚をした日本人夫婦が日本国内でも婚姻関係にあることの確認を国に求めた訴訟で、判決では請求は棄却されたが、「婚姻自体は有効」と認められた。

この判決が出て、7月に姓を変更するタイミングがくる2人は、海外で別姓のままで法律婚をすることも考えている。

 

男女平等、ジェンダーフリーと言っても、現実の社会には、慣習の壁そして法の壁などが根強く残っている。それを少しずつ変えていくのが、こうした取り組みなんだろうと思う。

 

 

 

 

 

「カフェ奏」のコンサート

時々、ランチを食べに行く「カフェ奏(かなで)」(堺町通丸太町下る)。

日替わりメニューがあって、結構、おいしい。

 

「奏」という店名が象徴するとおり、この店の店主(女性)は音楽好きで、コロナ前は店で色んなジャンルのコンサートを開いていたとのこと。

2月23日(祝日)夜、久しぶりにコンサートを開くということでお誘いがあり、フラメンコ曲もあると聞いて参加することにした。

 

今回は、ギタリストの筒井裕之さんとパーカッションの高岡正明さん。

お二人とも大阪を中心に活動されているとのこと。

約20席の客席はほぼ満席状態。

 

筒井さんはフラメンコギターで、ブラジルを始めとする南米の音楽やジプシーキングス、フラメンコ曲など幅広いジャンルの曲を弾く。

高岡さんは、筒井さんの曲に合わせて、カホンなど多種の楽器を使い分けてコラボ。

 

 

ドリンクに付いていた「おつまみ」がとても美味しかった。

楽しいひとときだった。

 

映画「テレビで会えない芸人」

今年に入って、2回目の劇場での映画観賞(ちなみに1回目は「ドライブ・マイ・カー」)。

「テレビで会えない芸人」=松元ヒロさんを鹿児島テレビ放送が密着したドキュメンタリー映画。

 

2022年2月4日付け毎日新聞夕刊に「タブーに挑む姿 地方局が密着」という記事が大きく掲載されていたのを読み、すぐに「観たい!」と思った。

鹿児島テレビで放映されたこの番組は日本民間放送連盟賞最優秀賞を受賞したが、タイトルからもわかるように、この映画がテレビで放映されることは、まずないだろうから。

 

私は、松元さんの芸をコント集団「ザ・ニュースペーパー」の時代から何回か観たことがあった。

権力を握る今の政治家を鋭く風刺する芸風で、とても面白い。

政治や社会などの時事ネタを題材にしない昨今の漫才やコントには、興味が持てないし、面白くない。

その点、松元さんは、落語家の故立川談志さんから「今テレビに出てる芸人をサラリーマン芸人という。テレビでクビにならないようなことしかやってない。昔はお前みたいに他の人が言えないことを代わりに言うのが芸人だった。だから俺は今日からお前のことを芸人と呼ぶ」と言わしめた人物だ。

 

しかし、年間120本をこなす松元さんのライブは大人気でチケットが入手困難であるにもかかわらず、そんな芸風ゆえに、今の日本のテレビは松元さんを放映しない。

テレビ業界の「忖度」・・・。

 

映画は、ネタ作りの苦労や家族とのかかわりなど、松元さんの日常や舞台を追い、彼の人としての「優しさ」も含めて撮し出していた。

そして松元さんが20年以上演目として語り続けるのは「憲法くん」。

2016年に他界した永六輔さんからの遺言は、「ヒロくん、9条を頼む」。

 

テレビで松元さんの芸を観ることができる日が来ることを待っている。

NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」を毎日録画をとって観ている。

 

親子3代がラジオ英会話講座でつながっていくドラマかと思いきや、そうではなさそうな気配。

でも、展開が早く、結構面白い。

ドラマの中で流れる「カムカムエヴリバディ」の歌は、懐かしい。中学校の時に英語の授業で習い、今でも歌うことができる。子どもの頃の記憶というのは恐ろしいものだ。

 

今週から、舞台は京都になった。

見慣れた鴨川や大文字山の景色が撮し出されるのがいい。

これからも見逃せない。

 

 

雪が降り続いています

今朝は雪が降り続いています。

道路や屋根にも雪が積もっています。

昼頃までという予報です。

 

 

2022年初登山は大文字山~kincoさんと初登山

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。

 

1月4日、今年の初登山は大文字山。

 

前日までは登るつもりは全くなかったのだが、朝、京田辺のカフェ「kincoーya」の店主きんこさんのブログを読むと、なんと、4日、東京の二女家族と一緒に大文字山に登ると書かれていた。

昨年は、きんこさんと何度か大文字山に登る約束をしたが、なぜか、その日に限って、雨が降ることが多く、実現しなかった。

「じゃあ、私も登りに行こう」と決めた。

しかし、4日の朝も時折小雨がパラついたりしており、また、きんこさんの連絡先は知らないので何時に登るのかわからない。

どこかで出会えれば、ラッキー!

 

午前9時50分頃に銀閣寺登山口から登山開始。

寒い!寒い!鼻水が出まくり。

大の字に到着。きんこさんの姿はない。

空は曇り、遠くの山々にはガスがかかっているが、京都市内の展望はある。

 

 

15分程待ったが、来る気配がなかったので、とりあえず山頂まで往復することにした。

 

 

 

山頂から再び大の字まで戻り、少し待つも姿は見えず、あきらめて下山することに。

いつもなら鹿ヶ谷方面に下山するのだが、万一会えるかもと銀閣寺登山口に向かって下山。

時間はもう昼近くとなり、登って来る人もまばら。

 

もう少しで銀閣寺登山口という場所で、「あっ!あれは、きんこさんや!」

運命のご対面。

大の字まで登るというきんこさんそして二女家族と一緒に、私も再度、大の字まで登る。

下山は、法然院登山口へ。この登山道は初めての道。

 

下山後、一緒にランチを食べる。

駐車場横の「おめん」は有名な店で、行列が出来ていた。

寒かったし、お腹もすいていたので、行列に並ぶことはやめて、やはり駐車場横の「銀福」という店で「にしん丼」を食べる。お初。

にしん蕎麦」は京都で有名だが、「にしん丼」って?

 

ちょっと味つけが濃いなあ・・・

 

新年早々、きんこさんにも偶然会えて、今年はツイテるかも!!

 

※きんこさんも1月5日付け「きんこのブログ」で大文字山登山のことを書かれています。

 

 

 

 

DIY(4回目)~チラシ・スタンド~

4回目のDIY教室では、チラシ・スタンドを作りました。

 

小さな作品なので、簡単かなと思っていたら、逆に作業が細かくて難しかったです。

斜めになった部分は、初めてノコギリで切り落としました(キンチョー!)。

板が薄く、ビスを打つ時にまっすぐ打たないと木が割れたりするので、またまた緊張しました。

表側からではわかりませんが、裏から見ると、やや失敗しました。

それで、来月、再度、同じ作品に取り組むことにしました。

何事も勉強です。

 

 

事務所の受付の、事務所ニュース入れに使ってもらっています。

 

 

 

 

紅葉の涸沢カールへ

今、京都市内は、どこも紅葉が見頃となり、コロナの緊急事態宣言が解除されたこともあって、どこの観光地もたくさんの観光客でにぎわっている。

 

他方、北アルプスなどの2000~3000m級の山々の紅葉の最盛期は9月末から10月初め頃である。

今年は、夏山に行けなかった分、いくつかの秋山を思う存分楽しむことができた。

 

その1つが涸沢カールの紅葉。

涸沢カールは、北アルプスの北穂高岳や奥穂高岳など3000m級の山々に囲まれた、氷河によって削られた円形の地形で、とりわけ紅葉は日本一と言われている。標高は約2300m。

上高地から約6時間ほどで行くことができ、上高地から横尾まではほぼ並行歩き、横尾から涸沢までの登山道もよく整備されている。

前に秋の涸沢カールを訪れたのは、もう約20年ほど前。

久しぶりに涸沢の紅葉を見てみたかったことと、2021年5月26日付けブログに書いたが、北穂高岳登山中に行方不明になり危難失踪宣告が認められたSさんの骨が発見されたということもあり、その追悼の意味も込めて、再び行ってみたいと思った。

 

10月10日は徳沢ロッジ泊、翌11日はSさんも宿泊された涸沢ヒュッテ泊。

紅葉はやや見頃が過ぎているかなと思われたが、それでも快晴の空の下、ナナカマドやダケカンバの黄色や赤色が美しい。

 

 

下の写真は、Sさんが向かった北穂高岳の登山道。

このどこかでSさんは眠っている。合掌。

 

 

 

 

12日午前の下山は予報どおり雨に降られたが、紅葉の涸沢を満喫できた。

 

帰宅してしばらくして、新聞で、10月初めに涸沢カールに行ったという70歳の女性の投稿記事を読んだ。

彼女は、涸沢カールで連泊し、1日目は北穂高岳を、2日目は奥穂高岳は、それぞれ日帰りで登ったと書いていた。

う~ん、すごい体力!私もまだまだ負けていられない。

「行動する文学者」瀬戸内寂聴さんの死を悼む

2021年11月11日、瀬戸内寂聴さん死亡(9日逝去)の報が流れ、少なからぬ人が衝撃を受けたと思う。ネットニュースで体調不良は伝えられていたものの、何事もなかったかのように快復されて、来年5月には満100歳の誕生日を迎えられるものと思っていた。

 

このブログでも、過去3回、瀬戸内さんのことを書いており、私にもそれなりの思いがある(検索欄に「瀬戸内寂聴」と入力してください)。

 

ご存知のとおり、瀬戸内さんは、京都の嵯峨野に住んでおられた。

残念ながら法話を聞いたことはなかったが、「憲法のつどい」などの講演会で話を聴く機会はあった。

東北大震災の被災地訪問・原発反対・安保法制反対・平和を守る取り組みなど、80代90代の高齢になっても、ハンガーストライキや国会前の座り込みに参加されるなど、常に自らを闘いの場に置き積極的に発言されてきた。

信念を貫いた、本当に頭が下がる生き方だった。

瀬戸内さんが原発反対の集会で語った「すぐに政府が変わるとは思わない。それでも集まらなければいけない」という言葉があらためて心にしみる。

 

ところで、以前に所属していた事務所(京都リバティス法律事務所)があった同じ堺町通りに、瀬戸内さんの別宅「羅紗庵」がある。

丸太町通りをはさんで、ちょうど京都御所の堺町御門の真向かいだ。

瀬戸内さんは、毎年、葵祭の日には必ずここに来て、家の中から祭りを見物すると、以前、京都新聞に書いておられた。

 

 

 

 

この「羅沙庵」の裏には、時々ランチを食べに行く店「奏」(かなで)がある。

今日は、瀬戸内さんを偲ぶという気持ちで、「羅紗庵」の前を通って「奏」に行った。

ランチを食べながら、若い女性店主と話していると、なんと店主は「羅紗庵」の内部を見せてもらったことがあると言っていた。

庵の中は、かなり手のこんだ造りとなっているらしい。

 

左が「羅紗庵」の南側、右が「奏」。

 

 

 

主を失い、この「羅紗庵」もどうなるのだろう・・・

 

 

 

 

 

中国人は「麻雀」がわからない!?

最近の若者は麻雀などしないのでは?と思っていたら、東大卒業・元弁護士の新進作家新川帆立さん(女性)はプロ雀士というから驚きである。

 

私たちが大学生の頃の男子学生の遊びは専ら麻雀だった気がする。

他方、私も含めて女子学生は麻雀はしなかった。

でも、私の両親は私が小学生の頃、時々、近所の知人と麻雀をしたりしており、家にも麻雀パイがあった。正月などは家族麻雀をしたこともあり、私も並べ方はおおよそ知っているので、司法修習時代には同期の麻雀初心者の修習生らと一緒に遊んだこともあった。

 

話は変わるが(ここからがメイン)、麻雀が中国伝来の遊びであることは公知の事実である。

でも。その中国人が「麻雀」がわからない、ということを今朝のHNKテレビの中国語講座で初めて知った。

実は、中国では、麻雀という単語を使わないのだ。

テレビでは、中国人が日本で「麻雀」の看板を見て、なぜ日本人は雀を売っているのだろうと思ったところ、実は「麻雀」屋だったというストーリー。

中国語では、麻雀は「麻将」と言う。

麻雀はアメリカ人バブコックが海外に広めたとのことで、当時は、中国でも「麻雀」「麻将」などいくつかの言葉が使用されており、バブコックが「麻雀」という言葉を使ったため、日本では「麻雀」となった。

 

日本では、脳の老化防止として、カルチャーにおいて「健康麻雀」教室が開かれ、熟年の女性受講者も多く人気のよう。

私の元依頼者女性は70代で「健康麻雀」教室の講師をしていると言っていた。

最近の若者はスマホゲームにはまっているようだが、古くからある麻雀というゲームは、あらためて考えると、よくねられた、すぐれたゲームだと思った。

 

 

 

 

 

 

DIY(3回目)~ファイルケース~

今月もDIY教室に参加。

今回は事務所で使うファイルケース制作を希望。

 

1ヶ月に1回の参加なので、手順をすぐに忘れてしまう。

そのため、前回先生から教わった手順をメモに残していた。

それでも細かいことは、やはり忘れてしまっている(汗)。

 

今回、特に気を遣ったのは、電動ドリルによるビスの打ち方。

よく空回りして大きな音を立てていたので、ゆっくり押し込むように打つことを心がけた。

 

完成したら、好きな色で色つけをする。

今回は、ハチミツ色。なかなかこの色いいね!

 

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盛岡家裁に行って来ました

先週、岩手県の盛岡家裁に行って来ました。

現在、係属中の事件について、裁判官との面談があったからです。

裁判所からは「代理人弁護士は遠方だから電話会議でもいいですよ」と言われましたが、やはり直接出向くことにしました。

京都を午前9時頃発の新幹線に乗り、午後1時半前には盛岡駅に着きました。

東北も近くなりました。飛行機が嫌いなので、私にとっては有り難いことです。

 

 

盛岡家裁は、盛岡駅から車で10分位の場所にありました。

盛岡地裁などと同じ建物でした。

 

 

裁判所の前庭には、天然記念物の「石割桜」がありました。珍しい物を見ることができました。

 

 

 

 

担当裁判官との面談は1時間半にも及びました。

裁判官が何に着目されているか理解でき、やはり盛岡まで来て良かったと思いました。

 

盛岡も結構まだ暑かったです。

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