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ブログ マチベンの日々

八経ガ岳で遭難の女性2人、9日ぶりに救助

この夏、各地の山での遭難のニュースがいくつも報道されているが、八経ガ岳(はっきょうがたけ。奈良県)で女性2人が遭難したのもその1つ。

 

八経ガ岳(1915m)は、奈良県天川村にある山で、日本百名山の1つ。奈良県及び近畿地方の最高峰である。私もこれまで2度(2005年と2022年)登ったことがある。

 

愛知県の61歳と69歳の女性2人は、2022年8月4日、弥山(みせん)小屋で宿泊した後、翌5日に八経ガ岳に登り下山する予定だったが、予約していた宿に来なかったため、捜索されていた。

2人は、山に流れる水を飲み、非常食で空腹をしのぎ、8月14日、9日ぶりに無事、救出された。

 

今のところ、詳細は不明だが、原因は道迷いだろう。

年齢も同年代だし、他人事とは思われない。さぞかし心細く恐怖も感じたことだろうが、想像するに、おそらく二人は登山経験が豊富で、体力を消耗しない工夫をしていたのではないかと思われる。

9日間も生き延び、救出されて、本当に良かったと思う。

 

私も、今年の7月中旬、弥山と八経ガ岳に登った(日帰り)。

八経ガ岳には、オオヤマレンゲという、ここでしか見られない花が6~7月の梅雨の時期に咲くので、その花をどうしても見たく思い、雨が降るかもしれないことを覚悟で行って来た。

あいにく西口登山口へ通じる行者還トンネルが通行止めとなっており、東口登山口からは、1時間半程、余分に登らなければならない羽目となった。

 

西口登山口方面への分岐までは、ひたすら急登の登り。

そこから少しなだらかになるが、弥山小屋直下からはまた急な登りとなる。小屋へ向かう階段状の登山道辺りで雨も降り出した。

やっと弥山小屋に到着。

 

 

弥山小屋から八経ガ岳までは、往復約1時間位。

その登山道脇にオオヤマレンゲの群生地があるはず・・・だった。

しかし、オオヤマレンゲの群生地には、鹿などの動物からの防護金網がはってあったが、なんと咲いていたのは、わずか3輪。おそらく鹿などに食べられてしまったのだろう。

 

 

でも、3輪でも見られて良かった!苦労して登って来た甲斐があった。

全行程約7時間半。こんなに長く歩いたのは久しぶりかも。

 

 

 

「満洲」へのこだわり

現在の中国東北部に旧満州国が建国されて今年で90年がたつという。

戦前、日本の植民地だった旧満洲・・・

 

私には「満洲」に対して特別な思いがある。

 

2021年5月29日付けブログでも書いたように、私の父は、旧満洲で1924(大正13)年に生まれた。父の除籍謄本には、南満洲市が出生地として記載されている。

父は63歳で亡くなったが、生前、満洲での生活のことを多く語ることはなかった。

会ったことのない私の祖父(父の父)は満鉄の社員であったこと、父は学生時代ラグビーをしていたこと、そして数枚の家族写真を見せてくれただけ。

ただ、父が亡くなる前に病床で、旧満洲の地をもう1度訪れてみたかったと言ったことだけが私の記憶に鮮明に残っている。

 

敗戦後の引き揚げの時の壮絶さや悲惨さなどは、父の死後に書物で読んだり、映像で観たりしたが、父はどのようにして引き揚げてきたのだろう、なぜ父は引き揚げ時のことを語らなかったのだろう。そして、成人になった私はなぜ父に満洲のことをもっと尋ねなかったのだろう、その思いがずっといまだに私の胸につっかえている。

 

2022年8月12日付け毎日新聞夕刊には、「旧満州国引き揚げ体験者が語る平和」というタイトルで、山田洋次さん(映画監督)、孫崎享さん(元外交官)、澤地久枝さん(作家)という3人の引き揚げ体験者が戦禍と戦後を語り合うという特集が掲載された。

 

澤地さんは、引き揚げの旅は人生のどん底と言い、父親が満鉄の技師だった山田さんは幼い頃はいい生活だったが、終戦から引き揚げまでは1年半以上かかったという。

また、満洲がふるさととは思えないが、引き揚げた後の日本の土地にも溶け込めない。

そして、最後に3人が平和を築くために必要なこととして語るのは、「憲法9条を持つ日本は停戦の提案をする中心に立てる国」、「命は失われたら取り戻せない。戦争は絶対にしてはいけない。軍隊を持たない、戦争をしないという憲法の本来の意味に立ち返るべき」。

 

1945年8月15日の終戦時、約155万人の日本人が旧満洲におり、このうち約105万人が「ころ島」(現・中国遼寧省南西部)で引き揚げ船に乗船したが、その様子を描いた絵画「一九四六」(王希奇氏作)の展示会が国内各地を巡回中とのこと。

兵庫県立原田の森ギャラリー(神戸市灘区)で、2022年8月31日~9月4日開催。

是非、見に行きたいと思う。

 

 

 

 

 

 

朝ドラ「ちむどんどん」の中の弁護士

NHKの朝ドラ「ちむどんどん」は、相変わらずネット上の評判が悪い。

私も「面白くないなあ」とか「こんなん、ありえん!」などと思いつつ、そういうことが話題となるということは、私も含めて皆、面白くなくても観てるってことやね(笑)。

 

さて、先週の「ちむどんどん」は、主人公暢子が働くレストラン「フォンターナ」に反社会勢力が来て、様々なひどい嫌がらせを繰り返した。

オーナー房子は弁護士に相談したが、弁護士は「明らかな恐喝行為や暴力行為が認められない限り、警察に通報しても経過観察になるんじゃないか」と言ったとのこと。あきさみよー!

ドラマの中のような嫌がらせ行為であれば、明らかな業務妨害で、今なら、弁護士もそして警察も動くに違いない。

 

「これは、弁護士に対して誤解されるような描き方だ!」と怒っている弁護士もいるらしい(みんな、やっぱり朝ドラ観てるんや)。

 

ただ、今とは時代が違う。

例えば、サラ金被害が激しかった時代、サラ金業者が取り立てのため自宅に押しかけたり、玄関に張り紙を貼ったりしても、警察は「民事不介入」として動いてくれなかった。

弁護士は、悪質な業者に対しては、裁判所に取り立て禁止の仮処分等を申し立てたりして、業者に対抗したりした。

その後しばらくして、弁護士会と警察とが民事暴力被害者救済のため連携を取るようになり、現在の民事暴力被害者救済センター設立となった。

「ちむどんどん」の当時、房子に「経過観察」と言う弁護士がいても不思議ではないと思う。

 

ドラマでは、結局、沖縄県人会の会長三郎が、反社会勢力のボス権田をシベリア出兵当時世話をした上司だったということで、水戸黄門的な解決となって、またまた、がっかり・・・だった。

 

 

 

大文字山(火床)でラジオ体操

通常、夏には近くの低山(大文字山・比叡山など)に登らない。

理由は簡単。低い山はただただ暑いからである。日本百名山の1つである伊吹山(1377m)ですら、夏に登った時には、暑さを避け、夜間にヘッドランプをつけて登った。

 

ところが、昨年、登山靴が2足とも壊れてしまい、8月に日本アルプスを歩く予定のため、7月に高山用の新しい登山靴を購入した(これまではずっとマインドルだったが、今回はローバ)。

 

 

とりあえず、アルプスに行く前に、「靴慣らし」をしなければならない

そこで、7月31日(日)早朝、大文字山の火床(340m)まで新しい登山靴で登ることにした。

 

市バスの時刻を調べると、河原町丸太町のバス停午前6時22分発がある。自宅を午前6時に出発。

銀閣寺の登山口に到着したのが、午前6時50分。ここまでで、もう汗びっしょり。

 

 

登山口から火床まで、快調なら約20分で登れるところ、早朝なのに、もう暑くて暑くて、階段で何度も立ち止まって息を整えながら登り、約30分かかった。

 

今日は、火床までと決めていたので、ここで、ゆっくり朝食。コンビニで買ってきたパンを食べる。見はらしは抜群。愛宕山や遠く大阪のあべのハルカスも見える。

 

 

しばらくすると、火床に登って来た高齢者5~6人のグループが、ここでラジオ体操をすると言う。私も加わることに。今朝はテレビ体操前に家を出てきたので、ちょうどいい。ちゃんとラジオも持参されていた。

 

 

後から聞くと、毎週日曜の午前8時前に火床まで登って来て、ラジオ体操をするとのこと。

早朝に大文字山に登ったことがなかったので、こんな大文字山グループもあって、面白い。80歳近い高齢者のオジチャンなのに、皆、元気、元気。

 

これからも参加しようかな・・・

 

 

「再審 法改正実現を」京都弁護士会パレード

7月26日夕方、京都弁護士会は、弁護士や事務員さん、市民の方々と一緒に、パレードを行いました。コロナのため、パレードは3年ぶり。

刑事事件で有罪判決が確定した裁判をやり直す「再審」の法改正や弁護人の取り調べ立ち会いを訴えて、京都弁護士会館前から堀川御池まで約2キロを行進しました。

夕方とは言え、まだまだ暑さが残る中でした。

 

パレードの先頭には、京都弁護士会の鈴木治一会長のほか、再審無罪となった元看護助手の西山美香さんも参加されました。

また、ABC放送の岩本計介アナウンサーも取材に来られていました。

 

 

 

当事務所の金杉美和副会長は、猛暑の中を、浴衣で参加。

勇ましく(?)、ハンドマイクを手に、シュプレヒコールの指揮を取っていました。

 

 

いやあ、それにしても、ムチャクチャ暑かった・・・汗びっしょりになりました。

 

 

「ちょこっと京都に住んでみた」

テレビ大阪で毎週水曜午前0時から放映されている「ちょこっと京都に住んでみた」。

テレビ大阪40周年記念とのこと。これまで第3回まで放映された。

でも、関西だけでなく、先日、名古屋の友人も「観てる」と言っていたので、中部でも放映されているのだろう。

 

放映時間が遅いので、録画して観ている。

これがなかなか面白い。

東京の会社をストレスのため退職した佳奈(27歳。木村文乃)は、ケガをした大伯父(近藤正臣)の住む京都へ。そして、大伯父のお使いや友人らと、自転車で京都のあちこちをめぐる。

ドラマなのだが、出てくる店や店主は俳優ではなく、実在の店と人。

ドラマ仕立ての中で、長年、京都に住んでいても知らない店や場所が登場する。

また、知っている店が登場すると、なんだか嬉しくなる。

 

第3回に登場したのは、「辻和金網」さん(京都市中京区堺町通夷川下る)。

ご近所さん。

 

 

金網を手作業で編んで、ざるなどを作って販売されている。

ドラマでは、トースト用の網とコーヒー用の網が紹介されていた。

ガラス張りの店内をガラス越にのぞくと、いつも店主が左端に座って、作業をされている。

 

 

店の玄関。ドラマのポスターが貼ってある。

 

 

このドラマによって、京都の街歩きがいっそう楽しくなりそう・・・

3年ぶりの祇園祭(2022)

京都の夏の風物詩「祇園祭」は、コロナ禍のため、昨年・一昨年と中止となり、今年は3年ぶりに開催された。

3年ぶりの開催とは言え、わざわざ人混みの中に出掛けるつもりはなかった。

しかし、山鉾巡行が前祭も後祭もどちらも日曜日で、なぜか偶然、買い物に出掛けた折りに、たまたま、烏丸御池近くで、山鉾巡行の最後の2基にでくわした。これも京都に住んでいる特典やね。

 

(前祭の巡行:7月17日)

 

 

 

(後祭の巡行:7月24日)

前祭とは巡行の方向が逆。知らなかった。

 

 

 

さあ、祇園祭も終わった。

例年であれば、祇園祭が終わると、本格的な夏が到来する。今日も暑い!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フルーツ&ソープカービング教室作品展

元依頼者のYさんから、久しぶりに葉書をいただいた。フルーツ&ソープカービング教室作品展(主宰 佐藤朋子さん)のご案内。

早速、Yさんに電話をかけ、7月9日(土)の夕方、見に行かせてもらうことにした。

 

9日は午後2時半過ぎ頃から、すごい雷雨。約束の時間に行かれないかも?と思ったが、ギリギリの時間に運良く雨が上がった。

 

フルーツ&ソープカービングは、タイ王国伝統の技で、小さなナイフ1本で、果物や野菜・石鹸に華やかな彫刻を施すというものである。

Yさんも2年程前から習っているとのこと。

 

これまで、色んな「技」の世界を見聞きし、時には体験もしてきたが、このフルーツ&ソープカービングも間違いなくその1つである。

 

これは、フルーツカービング。「すいか」に描かれている。「すいか」の大きさは小玉すいか位かな。

均等に模様を彫り込んでいくことが難しそう・・・

 

 

 

 

 

 

以下は、Yさんの作品のソープカービング。ソープの大きさは、化粧石鹸と同じくらい。ソープカービング用の石鹸が販売されているとのこと。

こちらも細かい。

 

 

 

 

人間の技はすごい。楽しいひとときだった。

 

2022年7月10日は、参議院選挙の投票日。

今回の参議院選挙は、憲法改悪そして戦争への道の「分岐点」になる選挙だと思う。

 

憲法改正の発議には、衆参それぞれの議院の総議員の2/3以上の賛成が必要である(憲法96条)。

現在、衆議院では既に改憲勢力が2/3を占め、もし今回の参議院選挙で参議院での改憲勢力が2/3以上となれば、確実に憲法改悪へと進んでいくだろう。

与党内では、参議院選挙に勝利すれば、2025年夏の参議院選挙まで大型国政選挙の審判を受けず、好きなことが何でもできる「黄金の3年」となると言われている。

そして改憲勢力の狙いは、もちろん憲法9条だ。

 

2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻がそれに拍車をかけているが、それ以前から、他国(もとよりそれはアメリカ)が行う戦争へ日本も参加していくことが可能となるよう着々と準備がなされてきた。

2015年9月に安保法制が成立し、日本の自衛隊と米軍との共同訓練の範囲がインド洋まで広がり、また、安倍首相(当時)による武器の爆買いが始まった。

そして、今回の選挙での自民党の公約は、防衛費を、現在、対国内総生産(GDP)の現在約1%(約5兆円)を2%以上にすることを念頭に、5年以内に防衛力を抜本的に強化すると明記した。

しかも約11兆円という世界有数の防衛予算に膨らみかねないことに対し、具体的な財源は示されていない。

 

「日々の暮らしが大変だから、憲法なんて関係ない」と思う人もいるかもしれないが、この防衛予算の確保のために、増税や福祉予算切り捨てなどが行われることは明らかで、実は、私たちの生活に密接に関わってくる。

また、例えば、アメリカと中国との対立が激化し、戦争となれば、それによって距離的に近い沖縄が真っ先に攻撃され、日本が戦争に巻き込まれることは明らかである。

 

2度の世界大戦を経て、国民が、戦前戦中を通じて、国から「騙されていた」と感じたことはたくさんあったはず。

現在も、実は「戦前」かもしれない。

メディアがなかなかすべての「真実」を報道しようとしない今、私たち一人ひとりが今日本で何が起こっているのか、きちんとアプローチして知る必要を痛感する。

 

それが、憲法(12条)が国民に求める「不断の努力」ではないだろうか。

 

 

 

岡山家裁倉敷支部に行って来ました

近畿・中国も梅雨入りした6月4日、津島弁護士と二人で、岡山家裁倉敷支部に行って来ました。

事件の尋問があったからです。

京都からは約1時間半。

これまでは、電話会議で弁論準備を行ってきましたが、当事者尋問なので、裁判所の法廷で行われることになります。

 

倉敷は、おそらく20代か30代の頃、観光で1度訪れたことがありましたが、もうほとんど記憶はありません。

 

裁判所は、倉敷駅から徒歩でも行かれる距離にあります。家裁・地裁・簡裁が同じ庁舎内にあります。

 

 

古びた建物でした。

 

午後一杯尋問だったので観光はなし。倉敷土産を購入して、午後6時には京都に帰って来ました。

 

 

悪名高い京都市役所の漆塗りエレベーター

京都市の財政危機が声高に叫ばれています。

2022年度末には8610億円という、とんでもない借金を抱えることになるそうです。

 

そのため、敬老乗車証の年齢引き上げや市バス・地下鉄などの運賃値上げなど、次々に市民生活を悪化させる計画が進行しています。

 

それにもかかわらず、京都市役所内では、エレベーターが改修され、500万円もかけて漆塗りとなりました。

私も先日、市役所近くまで行ったついでに見て来ました。

正面玄関を入って左側のエレベーターです。

 

 

確かに立派なエレベーターですが、区役所ならともかく、どれほどの市民が市役所に出入りするでしょうか。エレベーターを漆塗りにする必要なんてあるのでしょうか。

これには、市民からも批判の声が上がっているそうです。

 

他にも、159億円かけて市議会議場を改修したり、地下道で地下鉄と市役所をつないだり、250万円かけて新たにキャラクターの制作したりもしており、いったい、どこに目が向いているのやら・・・という気がします。

とうてい、子育てしやすい街、高齢者が住みやすい街とは言えません。

 

永田和宏さん(75歳)。京大理学部出身の細胞生物学者、そして歌人。

 

2020年10月14日付け当ブログで、妻で歌人の河野裕子さん(享年64歳)が乳がんで亡くなるまでの壮絶な夫婦の生活を描いた、永田さんの著書「歌に私は泣くだらう」を読んで号泣したことを書いた。

また同年11月3日の憲法集会では、永田さんの「新型コロナが問う日本と世界」という講演も聴いた。

 

そんな永田さんの新著が「あの胸は岬のように遠かった」。

この著書には、河野さんの死後12年経って、これまで開くことができなかった河野さんの実家から見つかった十数冊の日記と2人が交わした手紙を手がかりに、永田さんと、もう1人の男性を同時に愛してしまった河野さんとの赤裸々な青春が綴られている。

 

「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私を攫(さら)って行ってはくれぬか」(河野裕子)

 

昨夜、BS3で柄本佑主演で、永田さんご自身も出演されて、同じタイトルでドラマが放映されたが、本の方が、永田さんの生い立ちや親との確執、心の微妙な動きも書かれていた。

 

永田さんは現在75歳。

もう50年以上も前の結婚前の二人の恋愛や生き様や想いをまるで昨日のことのように振り返り、「私はその絶対的な愛にふさわしかったのか」「河野はほんとうに私で良かったのか」「他にもっとふさわしい選択はなかったのか」「私に満足していてくれたのか」「後悔したことはなかったのか」などと問い続けられていることに、永田さんの非凡さとロマンチストさを感じた。

 

私自身も大学生時代の自分の青春に思いを馳せた。

でも、私にとって、青春時代は遠い過去。

むしろ、そんな青春を経て結ばれた永田さんと河野さん夫妻の最期を書いた「歌に私は泣くだらう」の方が、何倍も共感と悲しみを感じて読むことができた。

もう1度「歌に私は泣くだろう」を読み返してみたくなった。

 

 

 

 

 

斗々屋に行ってきました

前々から買いに行きたいと思っていた「斗々屋」。

 

「斗々屋」は、ホームページによると、2021年7月31日にオープンした、日本初のゼロ・ウェイストのスーパーマーケット。

要するに、客が容器を持参し、量り売りをする店である。容器の貸し出しもある。

ゼロ・ウェイストとは、無駄を最小限にして「ごみゼロ」を目指す取り組み。背景には、ごみの埋め立ての限界、プラスティックごみによる海洋汚染のほか、ごみ処理で発生する温室効果ガスによる気候変動の問題がある。

プラスティックごみだけでなく、あらゆるゴミを減らそうという考え方は、とても共感できる。

 

私が子どもの頃は、八百屋さんで野菜や果物を新聞紙で包んでもらったり、豆腐屋さんで豆腐を持参した鍋に入れてもらったりしていた。上から吊された秤があって、量り売りもあった。

 

店は、河原町丸太町上る東側にある。

事務所からは徒歩圏内だが、通勤ルートではないので、これまで買いに行ったことがなかった。

今日は、斗々屋の近くに用があったので、ついでに寄ろうと決め、自宅から容器も数個持参して、訪れた。

 

旬の野菜や果物はもとより、肉、豆腐、米、惣菜、調味料まで多種多様な食材をすべて量り売りで購入できる。

品数もたくさんあり、聞き慣れない名前の食材があったりして、結構、見るだけでも楽しい。

ただ、食品をあまりグラム単位で考えたことがないので、「100グラム◯◯円」と書かれていても、どのくらいの量が100グラムになるのか、ピンと来ない。

また自然栽培の野菜やオーガニックの調味料なので、どうしても値段はお高めになる。

 

今日は、ナッツバターを109グラム購入した。

生ナッツをペースト状にしたもので、昼食の時トーストに乗せて食べてみた。砂糖が使用されていなくても、甘くて濃厚な味だった。

 

楽しくごみを減らしていくことが大切。これからも時々訪れてみたいと思う。

 

 

 

 

快晴の土曜日の5月28日。

京都弁護士会主催の春のレクリエーションで、雪彦山(兵庫県)に登って来ました。

コロナ禍で2020年・2021年は中止となったので、3年ぶりの春のレクでした。

 

参加は、弁護士5名(事務所からは金杉弁護士も参加)・事務員さん2名の計7名。

実は、雪彦山は、岩登りでも有名な山で、「危険なのでやめておく」と最初から申し込まなかった人や途中で申し込みを取りやめた人もいたようです。

 

雪彦山は、弥彦山(新潟県)・英彦山(福岡県)と共に、日本三彦三の1つです。

今は、大天井岳(おおてんじょうだけ)・三角点雪彦山(三辻山=みつつじやま)・鉾立山(ほこだてやま)の3つを総称して「雪彦山」と呼ぶそうです。

 

登山道は、最初から急登で始まります。

 

 

展望岩からは、最初に登る、岩肌を剥き出しにしてそびえる大天井岳が間近に見えました。

 

 

登山道には巨岩が迫り、鎖やロープが張ってある岩場が何カ所かありました。

 

 

太った人は通れない(?)セリ岩(巻き道がありますから大丈夫)。

 

 

変化に富んだ岩場登りを終えると、大天井岳(884m)に到着しました。

山頂からは素晴らしい展望が広がっていました。ここで昼食。

 

A弁護士が作ってきた看板。

 

 

大天井岳からは少しアップダウンを繰り返して、二等三角点のある三角点雪彦山(三辻山。915m)と鉾立山(950m)へ。

 

 

 

 

鉾立山からは、ひたすら下って、最後は、滝もある川沿いを下りました。

出発する時、A弁護士が「下山は川沿いだからヒルがいるかも」と言ったので、金杉弁護士が持参していたヒル除けスプレーをかけてもらいましたが、幸い、ヒルにお目にかかることはありませんでした。

 

天候にも恵まれ、変化に富んだ岩場登りもあり、とても楽しい山行きでした。

 

 

バラの庭

元京都弁護士会に所属されていた友人Sさんから「庭のバラが満開だから」とお誘いを受けたので、5月22日(日)、Y弁護士と一緒に初めてSさん宅を訪問した。

Sさんとは久しぶりの再会。

 

白い壁の邸宅にバラのアーチやアイアン製の飾りもあって、まるでイングリッシュガーデンのよう。

バラの種類も多く、またバラ以外にもたくさんの花々が咲いており、手入れの行き届いている本当に美しい庭だった。

 

 

 

 

 

 

バラを楽しんだ後は、3人でおしゃべり。久しぶりで話がはずむ。

でも、弁護士というより、オバサン会話。

楽しいひとときでした。

 

Sさん宅から帰り、午後4時に鴨川へ。

京都弁護士会の公害・環境問題委員会の皆さんと一緒にゴミ拾いに参加(私は2回目)。

今回は修習生も多数参加し、ゴミも一杯収拾した。

 

 

 

 

米統治下発行「琉球切手」

米統治下の沖縄で発行された「琉球切手」を本土復帰から50年を機に知ってもらおうと、発行元の日本郵便沖縄支社(那覇市)は、今夏、自社で保管する246種類を初めて一般公開する(2022年5月13日付け読売新聞夕刊)。8月16~21日、県立博物館・美術館(那覇市)での企画展で公開される。

 

記事によると、当時の沖縄は、1946年7月に郵便法が制定され、戦前の日本切手の使用が禁止され、独自の切手が必要となった。

このため、沖縄民政府や、その後、発足した琉球政府の郵政庁などが1948年7月から1972年4月にかけて、248種類の琉球切手を発行した。

琉球切手は国内外の愛好家の人気が高く、復帰決定後はすぐに売り切れたという。

 

私は、この「琉球切手」を数枚持っている。

 

私が幼い頃は、まだ、切手収集を趣味とする人も少なくなく、おそらく私の父もその1人だった。私は父から切手帳をもらい、趣味というほどではなかったが、旅先などで気に入った切手があれば購入し、その切手帳に足していった。

その切手帳の中に、なぜか「琉球切手」が11枚だけ入っており、眺めて楽しむことはあっても、恥ずかしながら沖縄の歴史に思いを馳せることはなかった。

父にもどうやって入手したのか尋ねたことはなかった。

「琉球切手」から、あらためて沖縄の郵政史を知りたくなった。

 

 

更に、記事によると、琉球切手は現在も、切手愛好家の間で根強い人気を集めているとのこと。

琉球切手の図案には地元から多くの画家や写真家が携わっており、質が高く、郷土の懐かしさと異国情緒が混じり、独特の美しさがあるという。

 

なんか「お宝」を発見したようで、ちむどんどんする~

 

なお、1972年に発行された沖縄復帰記念の切手も持っている。

 

 

「ガンになった緩和ケア医」関本剛医師、死去

ちょうど1年前のこのブログ(2021年5月3日付け)で、「ガンになった緩和ケア医」関本剛医師のことを書いた。

その関本医師が2022年4月19日亡くなったことをヤフーニュースで知った。

 

昨年5月3日、憲法記念日記念行事として兵庫県弁護士会が関本医師の「ガンになった緩和ケア医が語る命、家族、仕事」という講演会をZOOMで開催した。

ZOOMが苦手な私だが、この時だけはZOOMで聴取できたことを有り難いと思った。

 

昨年5月3日のブログでも紹介したが、緩和ケアの第一人者である関本医師は、2019年10月、43歳の時に自身がステージ4の肺がんであるとの診断を受けた。

葛藤しつつも、命ある限り仕事と生きることを全力で全うしようと決め、その後、脳にも転移していることがわかったが、緩和ケアのクリニックでガン患者に寄り添う毎日を送った。

 

講演で関本医師は、末期がん宣告という葛藤を乗り越えて決意を新たにされた経緯や必ず訪れる死までの準備についてなど淡々と語られたが、2020年に同じく末期がんで家族を亡くした私は、涙なくして聴けなかった。

 

講演会から1年。あまり早すぎる死。奇跡が起こらなかったことが無念である。

関本医師の生き様は、きっと何らかの形で出版されるだろうと思う。

安らかに。

合掌。

 

 

 

 

これまで原田マハの小説を読んだことがなかったが、友人に原田ファンがいるので、何冊か借りて読んでいる。

そのうちの1冊が「キネマの神様」。

 

「キネマの神様」は、映画の方が有名かもしれない。

映画は山田洋次監督作品で、主人公の予定だった志村けんがコロナで突然亡くなったため、沢田研二が主人公をつとめた。

私もこの映画は観た。

 

小説を読んで、映画とは全くストーリーが違うことを知った。

後でネットを読むと、確かに書いてはあるが、私自身は全く知らなかった。

映画は、山田洋次監督らしい、かつての映画撮影所などを舞台として再現し、ほのぼのとした作品となっていた。北川景子が原節子を思わせるような美しい女優を演じていたことと、沢田研二の声が年齢のわりに若いことが印象に残った。

 

小説は、とても面白かった。

映画阪と同じように、映画と賭け事にしか興味がない老いた父親ゴウや、その友人で名画座の経営者テラシンらは登場するが、1000万円以上の年収を振って国内有数の再開発企業を退職した娘歩(あゆみ)の目線で小説は進んでいく。

ゴウの映画ブログが海外の正体不明な「ローズ・バッド」の「反撃」にあい、その二人の間で往復される映画批評ブログをめぐって、家族の愛や友情などが展開していく。

そして、最後は、映画は映画館で観よう、と思わせるストーリーであった。

 

 

 

 

大津なぎさ公園の芝桜

京都新聞に、滋賀県大津市のなぎざ公園の満開の芝桜の写真が掲載されていたので、4月23日(土)に、なぎさ公園の近くに住む友人に連絡をして、一緒に見に出掛けた。

 

新聞に載ったせいだろうか、普段より人が多く出ているとその友人は語っていた。

やや満開からは進んだかな?と思われたが、それでも、琵琶湖や遠く比良山系の山々や近江富士(三上山)などとのコントラストはとても美しい。

 

 

 

白い花びらの中にピンクの線がある珍しい芝桜もあった。

 

 

素敵な景色を堪能した。

捨てない生き方~電動鉛筆削り~

断捨離ブームに抗するかのように、作家五木寛之さんの「捨てない生き方」がちょっとしたブームになっているよう。

 

でも、断捨離も「捨てない生き方」も決して相反するものではないと思う。

 

ところで、今朝、私が長年愛用し、事務所に置かせてもらっていた電動鉛筆削り器が、突然、動かなくなった。

私は、シャープペンシルより、多少の力も加えても芯が折れない鉛筆の方が断然好きだ。

って、鉛筆削り器は私にとっては必須の物。

 

これが動かなくなった電動鉛筆削り器。

 

 

私が小学校に入学した時に、親が買ってくれた物である。

パナソニックの前身のナショナルの製品で、今と違って、昔の製品ほど長持ちすると言われるように、ン十年以上、いつも私の身近にあって、ずっと動いてくれていた。

 

これも「捨てない生き方」の1つだよね。

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