世界文化遺産に登録されるということで、予想どおり、このGWは多くの観光客が富士山5合目や周辺観光地におしかけているよう。
前回のブログで、富士山のゴミや環境のことに少し触れたが、もう1つ忘れてはならないのが、富士山のすそ野には自衛隊の演習場があるということだ。
静岡県側には東富士演習場、山梨県側には北富士演習場がある。
東富士演習場では、米軍と自衛隊とが訓練を繰り返している。
戦車が広大な土地を荒らし、実弾射撃によって穴があいた山すその無惨な姿。
登山をしていると、ド~ン、ド~ンと砲弾の音が響いてくるので、この美しい富士山との不調和がイヤでも実感される。
オスプレイの配備も計画されている。
富士山は「聖なる山」ということで世界文化遺産に登録されるのに、そのすそ野では外国の軍隊と一緒に戦争の練習がされているなんて・・・・
ゴミ問題よりも何よりも、このような軍事の場は、富士山には最もふさわしくない。
ブログ マチベンの日々
富士山の世界文化遺産への登録が実現することになったようで、今朝の新聞各紙や朝のNHKニュースでもトップニュースとして報道されていた。
私が富士山に登ったのは2010年8月末。
夏休み最後の土日なら、少しはすいているだろうと思って出かけたが、甘かった。
毎年30万人以上の人が登る富士山。
まず、車で向かう5合目までが大渋滞。駐車場に入りきれない車が道路の片側に違法駐車されているため、車が離合できず遅々として進まない。
予約していかなかったため7~8合目付近にある宿泊用の山小屋も満員。
ご来光をおがむため、早い人は午前2時頃から小屋を出発するが、山頂まで続く登山道は、人、人、人で新年初詣状態。
そしてやっと山頂に到着すると、そこは銀座並みの人混み。
もともと富士山は、登る山ではなく、眺める山だと思っていた。
富士山が「日本百名山」の1つなので「百名山登頂」のため登ったが、「登る山でなく、眺める山」という思いは実際に登った今も変わらない。
理由は人の多さだけではない。
木や花が生えているわけでない、すべりやすいザレた登山道をひたすら登るだけで、景色もほとんど変わらず、山登りとしては面白くない。
また清掃活動などの苦労によって支えられてはいるものの、マナーの悪い登山者のゴミが目立つ。
世界文化遺産に登録されると、入山料の徴収とか入山人数の規制などの可能性もあるようだが、富士山を守るためなら、やむを得ないと私は思う。
色んな顔を持つ富士山を外から眺めて楽しみたい。
「美魔女」ならぬ「美文字」・・・
中塚翠涛さんが書いた「美文字のすすめ」(セブン$アイ出版)を読んだ。
私の字・・・・丁寧に書けば読みやすい字だとは思うが、とうてい「整った字」とは言い難い。
まして、筆ペンなどで芳名帳に名前を書く時なんかは恥ずかしくて緊張しまくりである。
これまで習字は習ったことがない。
中学2年の時、生徒会の書記をしていた。当時はまだガリ版印刷で、マス目の中に鉄筆でまんまるい字を一生懸命書いた。だからなのか、今でも、私の字の形は丸くて子どもっぽい。
美文字は私の憧れである。
中塚さんは言う。
「その人らしさと、その人の想いがにじみ出て、相手に伝わる”その人だけの文字”こそ、『美文字』と呼べるのではないでしょうか。」
でも、読む相手のことなどお構いなしに、個性だけにまかせた独りよがりの字はダメ。
自分の個性を大切にしつつ、読む相手を思いやり、読みやすいように線や形、バランスを意識して丁寧に書くことは、とても重要だと強調されている。
また、中塚さんは言う。
自分の字は一生変わらないと思うのは大きな勘違い。
ちょっと字を意識するだけで(本には8つのエッセンスが紹介されている)、字は変わる。
これが本当であれば、嬉しいなあ・・・
大人になると、他人に自分の字を見られる機会は極端に少なくなる。
仕事でも文書の作成はたいていがパソコンだ。
以前、若い夫婦の離婚事件を扱った時、「夫の筆跡がわからない」と言われ愕然としたことがあった。でも、よくよく考えれば、最近の若者の通信手段はメール中心。年賀状などの宛て名も本文もほとんどがパソコンで作成される。筆跡がわからなくて当然かも。
歴史に登場する人物たちが書いた書簡が見つかって話題になったり、研究対象となったりするが、これからはどうなるんだろう。
パソコンで作成された文書なんて誰が書いたかわからないもんなあ。
私はと言うと、私信はできる限り自筆で書くようにしている。
手紙をいただいた時も、同じ内容であっても、パソコンで作成されたものよりも、自筆の方がずっと気持ちが伝わってくるような気がする。
中塚さんの言うとおり、文字には不思議な力がある。
これからは、もっと心込めて字を書こうと思った。
「美魔女」にはなれそうにないが、「美文字」なら・・・・・・
京都にこんなステキなイラストレーターの女性がいたんだ!
ナカムユキさん。
4月6日朝、なにげなくテレビをつけていたら、朝日放送の「life~夢のカタチ~」という番組でナカムラさんのことが取り上げられていた。
彼女が描くイラストは私が好きなタイプの絵だった。パリの街を描いたイラストなんて最高。
早速、ホームページを検索してみると、4月6日から毎週土曜の午後、彼女のアトリエショップ「TRICO+」(トリュコプリス)がオープンしていることを知った。
行ってみたい!
4月13日土曜日、さわやかな快晴の日になったので、ランニングを兼ねて、ナカムラさんの店に行ってみることにした。
店の場所は「哲学の道」に面しているらしい。
「哲学の道」というと、銀閣寺から南へ下がっていく道が有名だが、実は、今出川通りから北方にも「哲学の道」はある。
大学生時代は京大農学部の近くに下宿していたので、時々散歩したりしたこともあった。
「懐かしい~」と思いながら走って行くと、ナカムラさんの店はすぐに見つかった。
靴を脱いで中に入る。カフェスペースとなっていて座席は6席くらい。
静かな雰囲気。
あっ、ナカムラさんだ!
ナカムラさんは、仕事関係らしき方と話をされていた。
この店では、ナカムラさんの本やポストカードも販売されており、何枚かのポストカードのうち気に入った2枚を購入した。
また、時々、立ち寄ってみよう。
2013年4月13日付け朝日新聞別刷beで、今年4月から、医療機関の規模によって医療費の基本料金に差がつけられることを初めて知った。
数年前、大学時代の友人が勤務する大阪の大規模な民間病院で診てもらうことになった時のこと。
電話で、その友人の医師は「うちの病院は、紹介状がないと、初診料とは別に8400円かかるから、紹介状を持って来てもらった方がいいよ」とアドバイスしてくれた。
初診料は、病気やケガで初めて医療機関を受診したときにかかる基本料金で、診療所でも病院でも一律に2700円。
では、なぜ、紹介状がないと、そんなに高いの?
この8400円というのは、「特定医療費」と言って、平成4年度の医療法改正によって設けられた制度である。
初期の診療は地域や医院・診療所で受診し、高度・専門医療は大きな病院で行うことにより、限られた医療資源の有効活用、大きな病院の混雑緩和など、医療の合理化を図ることを目的としているとのこと。
しかし、このような制度をつくっても、国が描く医療体制に近づかないため、今年4月から、初診料、外来診療料を変更して大病院の利用に一定のハードルを設けることになったようだ。
具体的には、大病院に紹介状を持たずに初めて受診した患者は、初診料2700円のうち健康保険が適用されるのは2000円までで、700円は全額自己負担になる。
例えば、3割負担の場合なら、通常なら810円でよい窓口負担が1300円になる。
また、大病院での治療が終わって近隣の診療所などを紹介したのに、個人の都合で大病院に通ってくる患者は、外来診療料700円のうち健康保険がきくのは520円まで、残りの180円は全額自己負担になるので、通常210円でよい窓口負担は340円に増える。
近所には、京大病院、府立医大、第2日赤があるが、近くに大病院があるからと言って、安易にかけこむことはできないなあ。
(女性弁護士の法律コラム NO.135)
Mさん(女性)が私の法律相談に初めて訪れたのが1989年。
Mさんは難病を抱えていたが、まもなく自宅を出て京都地裁近くにアパートを借りて一人暮らしを始めた。当時55歳。車椅子生活だった。
子どもたちにピアノを教えたりされており、とても品のある、しかし芯の強い女性だった。
依頼を受けた事件は1991年に終わり、その後数回お目にかかったことはあったが、あとは年賀状を交換するだけだった。
昨年、私が現在の事務所に移ったという通知を出すと、Mさんから「先生に連絡を差し上げようと思っていたんですよ」と久しぶりに電話がかかった。
ヘルパーさんによる事故でケガをされたとのことで、その事件の依頼を受け、再びMさんとのつきあいが始まった。
Mさんは、78歳になっていたが、あいかわらず一人で車椅子生活をされていた。
もともと下半身には力が入らないのだが、事故後病院で懸命にリハビリをされ、事故前と同じとまではいかないまでも、一人で生活ができるまでになっていた。
Mさんの部屋には、車椅子に乗っても生活ができるよう、様々な工夫がなされていた。
また人間というものは、自分一人でやらないといけないと思って行動すると、ここまでできるんだということをMさんから教えられた。
Mさんの生き方は、私が年老いた時の目標のように思えた。
事件は昨年8月に終わった。
ところが、11月になって「今、病院に入院している」とMさんから電話が入り、実は9月に玄関でころんで骨折したとのことだった。
その後、回復はされたものの、いつまでも病院にいるわけにもいかず、また万一再び同じようなことが起こったらという不安もあって、今年3月、京都市内の北の方にあるケア付きの高齢者住宅に移る決心をされた。
今日は、借りていたアパートの明渡のために来るという連絡をもらったので、アパートまで会いに行った。
既に新しい住宅に1ヶ月ほど生活され、「やはり今、移って良かった」と言われたので、少しホッとした。
別れる時、タクシーに乗って手を振ってくれるMさんを見て、なんだか涙が出てきた。
Mさんなら、新しい環境でも頑張って生活していかれることと思う。
周囲にケアをしてくれる人もいるので安心だ。
また元気な顔を見に、お邪魔しようと思う。
五木寛之は、直木賞受賞作家であり、かつ随筆家、作詞家、作曲家としてあまりにも有名だが、実は、私は、彼の小説やエッセイはほとんど読んだことがない。
この「養生の実技」は、2004年に初版が発行されている。
彼は、1932年生まれだから、今年で81歳。72歳の時に書かれたエッセイである。
話は飛ぶが、最近「ノーシャンプー」(この話はまたいつかブログに書きますね)に関心を持っているのだが、実は、五木氏は「ノーシャンプー」どころか、髪はほとんど洗わないということを知った。
そして、「養生の実技」にはそういうことも書いてあることがわかり、読んでみた。
五木氏は言う「治療より養生」
「人間は生まれた日からこわれていく。老いるとは、そういうことだ。」
「そこを苦心して、少しでも良いコンディションをたもち、故障をおこさないように工夫するのが、養生ということ」
医者嫌い、病院嫌いだから、自分で養生する。
それも、気持ちよく、楽しめる方法で・・・・
五木氏の根底には、仏教観が流れていると思うが、無宗教の私にもなんとなく納得できる内容だった。
巻末に「私自身の体験と偏見による養生の実技100」が紹介されており、結構面白い。
長野県中野市は、キノコの生産量が日本一で、もちろんエノキダケの生産量も日本一。
その中野市などでブームとなっているのが「エノキ氷」。
テレビでも「ためしてガッテン」や「はなまるマーケット」ですでに取り上げられ紹介されている。
作り方は、エノキダケを鍋でトロトロになるまで煮て、それをさまして製氷皿に入れ、冷凍室で固めて氷状にする(いくつかのホームページで紹介されている)。
でも、作るのは面倒くさいので、3月に志賀高原へスキーに行った帰途、「中野市のスーパーマーケットならエノキ氷は絶対に売っている」という確信のもと、イオンを訪れ、予想どおりゲットすることができた。
説明書によると、みそ汁や鍋物、カレーライスなどに2~3個入れて使うとのこと。
早速、みそ汁に入れてみた。
所詮はエノキダケなので極端に味が変わるわけではないが、少しとろみがかり、やや濃厚な味になった。
♪空を超えて、ラララ星のかなた
行くぞアトム ジェットの限り
心優し、ラララ科学の子
10万馬力だ 鉄腕アトム♪
アニメ「鉄腕アトム」のテーマソングは今でもスラスラ歌える。
1963(昭和38)年1月1日が第1回の放映ということで、私が小学生の頃「鉄腕アトム」は国民的アイドルだった。現代の「ドラえもん」に匹敵する存在だった。
その鉄腕アトムが原発PRに利用されていた!?という記事が、2013年4月5日付け京都新聞夕刊に大きく報道されていた。
1977(昭和52)年、鉄腕アトムが原子力発電所をPRする冊子「アトムジャングル」が発行され、更に、翌年、続編「よみがえるジャングルの歌声」も作られた。
物語は、寒さで凍える動物を救おうと、アトムが動物と力を合わせてジャングルに原発を造る。続編は、やがてきた地震と津波に原発はびくともせず「安全でした」といって終わる。
しかし、原作者の手塚治虫氏は「描いた覚えもない。許可した覚えもない」と冊子の関与を否定し、「僕も原発に反対です。はっきりそう書いてください」とインタビューで語った。
手塚氏が亡くなる8ヶ月前のことだった。
恥ずかしながら、鉄腕アトムが原発PRに利用されていたということは全く知らなかった。
しかし、福島原発事故後、インターネットで「鉄腕アトム」に対する批判的な書き込みがなされても、そのたびにファンが反論して「疑惑」を打ち消してくれているらしい。
「幸福のためにあるあるはずの科学技術が、人のエゴや欲でゆがめられてしまう。アトムはいつもそのはざまで悩んでいるのです」
そして漫画家萩尾望都氏は、「鉄腕アトム」が原発と関連づけて語られることにやるせなさを感じ、「アトム最終話」のあらすじを考えた。
原発の直後、アトム、妹ウラン、弟コバルトが一緒に放射性物質の除染のために福島に向かう。3人は発電所内で除染を終えた後、壊れて動かなくなる・・・・
あ~、想像しただけで涙が出てくるストーリーだ。
これなら、きっと手塚氏も認めてくれることと思う。
親類の娘が4月から高校3年生になった。薬大の受験を目指しているらしい。
その親が言うには、公立大学に合格できればともかく、私立だと、卒業するまでの6年間に学費だけで約1200万円かかるとのこと。
その私立大学のホームページを見ると、本当に約1200万円かかるようだ。
もし、私立に入学することになれば、奨学金を借りるしかないと親は語った。
今朝のNHKニュースは、奨学金問題を取り上げていた。
4月1日の衆議院予算委員会でも、共産党が政府に対し、奨学金の非情な取り立てが若者と親を苦しめている実態を告発していた。
日本には、貸与の奨学金しかなく、しかも有利子奨学金が増えて有利子貸与人員は7割にもなっている。
若者の就職が厳しい社会状況のもと、社会人1年目から奨学金返済という多額の借金を抱え、不安定な就労しかできなければ、あげくのはてには、若くして自己破産という結果にもなりかねない。
そんなんで日本の明るい未来はあるんだろうか。
政府は、昨年9月11日、国際人権規約にある中等教育、高等教育の漸進的無償化条項の留保を撤回し、現政権の文部科学大臣もそれを遵守すると答弁した。
子どもらには誰でも平等に教育の機会を与えたい。
※参考
・国際人権A規約(b)
種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む)は、すべての適当な方法により、特に無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能である、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること
・A規約(c)
高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等な機会が与えられるものとすること
下鴨へ行ったついでに、以前から行ってみたかった喫茶店「カフェ・ヴェルディ」へ立ち寄った。
ここは、20種類以上のコーヒーのメニューがあり、コーヒー通からは「おいしい」と評判の店。
北大路通よりも南にあって下鴨本通に面しているのだが、店の外観が住宅街とマッチしていて、なんとなく通り過ぎてしまいそう。
店内は、広々として明るく、奥にある焙煎の機械も見えていて、「コーヒー専門店」という雰囲気。
私は「コーヒー通」ではないので「何を飲んだらいいかな・・・」などと思いながらメニューを見ていると、「これがあと1杯分だけあります」と店員さんが紙を持って来た。
「あと1杯分だけ」なんて言われると、そのての言葉に弱い私は「じゃあ、それを」と言って「ブラジルなんとか」というコーヒーを注文した。
コーヒーの温度は82度から86度だそうで、「熱いのがお好きであれば、あたためますが」と言われたが、その温度がきっとおいしく飲めるんだろうなと思い、「あたためなくて結構です」と答えた。
運ばれてきた「ブラジルなんとか」は、コーヒーカップいっぱいに注がれ、優しいまろやかな味は噂のとおりおいしかった。温度も適度だった。
ちょっと、ほっこりしたひとときを過ごした。
とてもショッキングなニュースである。
2013年3月19日付け毎日新聞。
カリフォルニア州図書館調査局が昨年9月に発表した調査によると、イラクや国際駐留が続くアフガニスタンに派遣された米女性兵士延べ28万人のうち33.5%が米軍内でレイプされ、63.8%が上官から性的な嫌がらせを受けたと回答した。
米国内では「見えない戦争」と問題視されている。
これまで沖縄で相次いで起こっている米軍兵士による女性暴行事件も根っこは同じ。
戦争や軍隊は、人間の心も身体も破壊する。
京都では・・・
日米両政府が、米軍の弾道ミサイル探知用移動式早期警戒レーダー(Xバンドレーダー)を追加配備する候補地を、京都府京丹後市の航空自衛隊経ケ岬分屯地に絞り込んだことが、2月24日わかった。
同分屯基地は、北朝鮮がグアム方面に弾道ミサイルを発射した場合の探知・追尾に適していると判断したとのこと。
京都に米軍がやってくる!?
テロや攻撃の恐れ、米軍兵士による犯罪多発の可能性・・・など、不安はすべて現実的。
自然豊かな京丹後を戦争の基地に絶対にしてはならない。
私は、薬嫌い、医者嫌いなものだから、こんな本が出ると、すぐ飛びついてしまう。
慶応義塾大学医学部放射線科講師、近藤誠氏の「医者に殺されない47の心得」(株式会社アスコム発行)。
「今の日本で大人がかかる病気はたいてい『老化現象』で医者にかかったり、薬を飲んだりして治せるものではない」
「病院によく行く人ほど、薬や治療で命を縮めやすい」
「血圧やコレステロールの基準値をササッといじれば、薬の売り上げが伸び、億単位、兆単位のお金を生み出す」
「がん検診は何の役にも立っていない」
などなど。
医者なのに、ここまで言っていいの?と思うような内容。
でも、目から鱗。
今まで何の疑問も抱かずにいたことや医者から言われたことなどについて「それって本当なの?」と疑って、自分で色々調べることが大切だということがわかった。
この近藤氏、昨年読んだ(2012年3月12日ブログ)あの「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の著書の中村仁一氏との共著で、「どうせ死ぬなら『がん』がいい」という本も最近出版している。
やはり、このお二人は共通の考え方の持ち主なんだな。
ユニチカ宇治工場で働く労働者が二硫化炭素中毒に罹患したことの企業責任を求める訴訟に1987年3月から1997年5月まで携わった。
「ユニチカ宇治工場CS2中毒患者を守る会」に患者やその家族、ユニチカや地域で働く労働者、医師、弁護士などが結集し、更に、同じくCS2中毒被害を受けた熊本や韓国の労働者とも連絡を取りながら、闘いを進めた。
約10年という長い年月を要した裁判だったが、最終的に、会社は、裁判所の和解勧告に応じ、相当金額の和解金が支払われるなど勝利的和解が実現した。
とても思い出深い裁判の1つである。
あれからもう15年以上が経過した。
私たち弁護団もそうだが、当時、若かったメンバーは皆、平等に(?)高齢化し、重篤な障害を抱えながら毎回裁判に出廷された原告の皆さんや家族、「守る会」で支援してきた労働者の方々の中には亡くなられた方も少なくない。
2月24日、宇治の「花やしき」で何年かぶりに懇親会が開かれた。
亡くなられた原告家族の皆さんも交え、思い出話に花が咲いた。
その中で、ある原告家族の1人が「裁判が終わった後、おとうさん(=原告)を10年介護したけれど、裁判をたたかった結果、十分な介護をしてあげれたので、本当に良かった思います」と語った。
まじめに働いてきたことによってCS2中毒になり障害を抱えた夫、その夫を支えて10年以上も共に裁判をし、更に裁判後も亡くなるまで介護を続けた家族の苦労は並大抵ではなかっただろう。
それは金にはかえられないはず。
でも、訴訟によって会社に一矢報いたことが、原告や家族らのその後の人生を悔いなきものにしたんだなあと、家族の方の言葉をあらためてかみしめた。
今朝、事務所に来たら、漫画の絵が描かれた可愛らしい封筒が届いていた。
封筒には差出人名が書いてなかったので、「誰からだろう?」と思いながら開封すると、宮城県気仙沼市に住む小学校6年生のMちゃんからだった。
MちゃんのママのYさんとは、3.11の震災後に立ち上げられた「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の活動を通じて知り合い、直接お目にかかったことはないが、震災からまもなく2年が経過しょうとしている今でも交流が続いている。
YさんにMちゃんという小学生の娘さんがいることを知り、Mちゃんにクリスマスカードや年賀状を送ったりしてきた。
そんなMちゃんがくれた手紙は、クラスのグループ新聞で、新聞のテーマは、便利グッズ「おくるみちゃん」を使っての余熱調理について。
4月から被災地も含め、全国で電気代が上がると言われている。
とりわけ被災地に住む人たちには大きな打撃となるに違いない。
小学生たちのような子どもまでが真剣に「省エネ」や「環境問題」について考えようとしていることを、政府や電力会社はもっともっと知るべきだ。
わが事務所は、堺町(さかいまち)通りに面している。
堺町通りは、京都御所の堺町御門からまっすぐ南に延びる通りである。
京都地方裁判所に近く、静かな街並みではあるが、結構、有名な場所も少なくない。
事務所を出て堺町通りを南行すると、最初の十字路が夷川(えびすがわ)通りである。
夷川通りのうち、寺町(てらまち)通りから烏丸(からすま)通りまでの間は、昔は家具屋さんが何軒も軒を連ね、家具の街としてにぎわっていた。おそらく京都の娘さんたちは皆、ここの家具屋で婚礼家具を買って持って行ったのだろうと思う。
でも、近年、夷川通りの家具屋がいくつも店をたたみ、跡地にはマンションが建ったりして、次第に街の様相も変わっていった。
堺町通夷川角に「宮崎本店」という家具屋さんがある。
白いタイルの外壁に、曲面ガラスのモダンな外観。ガラス越しに中を覗くと、高級そうな桐のタンスなどの家具や工芸品がたくさん飾られてあった。
2013年1月30日京都新聞夕刊によると、京都大学時計台の設計者として知られる武田吾一が監修し、弟子の宇都宮誠太郎設計で1936(昭和11)年に完成した建物とのこと。
しかし、耐震補強にかなりの費用が必要で、店を残すためやむなくこの建物を解体し、1階に店舗が入る5階建てのマンションが建つらしい。
風情ある「街の顔」がまた1つ消えていく。これも時代の流れか。
解体される4月まで、しっかり目に焼き付けておきたい。
ブログを更新しないまま、気が付けば2月も半ばになろうとしている。
別に風邪などで体調を崩していたわけではないので、ご心配なく。
今のところ、幸い風邪やインフルエンザにはかからず、今日に至っている。
実は12月から始まっていたのだが、1月以降、大きな労働事件の最終の書面書き、労災事件の証人尋問が次々入り、しかもその間に家事事件の審判の書面書きや尋問もあり、当然それらのための打ち合わせや弁護団会議もあって、なかなか落ち着いてブログを書くことができなかった。
今日も祝日ではあるが、仕事で事務所に出て来たので、やっとブログを書き始めている。
ところで、世の中、アッと言う間にスマホブームとなった。
スマホの普及率は、約4人に1人ということのようだが、2012年は2011年と比べると倍増したとのこと。電車やバスの中でもスマホを触っている人の方が多いような気がする。これからも急速な勢いで伸びていくだろう。
旧来の携帯電話のことを「ガラケー」と呼ぶことを最近知った。
これは「ガラパゴス携帯電話」という言葉の略で、大陸と自由に行き来できない未開の島々であるガラパゴス諸島を、世界に通用しない日本の旧来型携帯電話になぞらえて言ったものらしい。
アナログ人間の私は、もちろんこのガラケーを死守している。
何せ2002年まで、自宅での固定電話はダイヤル式の黒電話を使っていた私だから・・・
スマホは、どこでもインターネットを見ることができるという点は確かに便利だと思うが、頻繁に充電しなければならない、料金が高い、電話機能が使いにくいなどなどの評判を耳にすると、「やっぱり、電話はガラケーね」と思ってしまう。
「ガラケーの機種が販売されなくなるまで、ガラケーを使うぞ!」となんとなく力んでみたくなる今の私・・・
1月17日、警察庁は自殺統計を公表。
2012年は2万7766人で前年より2800人減少し、15年ぶりに3万人を下回ったとのこと。
どこの新聞やテレビもこの話題を報じていた。
自ら命を絶つという本当に悲しく痛ましい出来事が減ることは喜ばしい。
でも、マスコミは「自殺対策が効果をあげた」とか「経済悪化が底となった」などと論じていたが、そんなに単純なものなのか?と疑問を持った。
そんなおり、2013年1月27日付け京都新聞で精神科医の高木俊介氏が次のように書かれている記事があった。
「実は『自殺者数の減少』は、『自殺が減った』ことを意味していない。」
「自殺の好発集団は、いつの時代でも50~60代という年齢集団である。つまり、各年代の『自殺率』は減らなくても、団塊世代が自殺好発年齢を通り過ぎるだけで、『自殺者数』は経るのである」
そうか、団塊世代が50代60代を過ぎ、その年代の自殺者が減っただけだったのか・・・・
しかし、高木氏は更に厳しく指摘する。
「厳しい目で数字を見れば、別の本当の危機が見えてくる。」
「ここ数年、若者の自殺が男女ともにじわじわ増えている。しかし、若年人口が少ないので、『自殺率』は増加しても、数としては目立たない」
自民党政権になって、生活保護は大幅に切り下げられ、賃金もますます下がっていく。次は、社会保障の縮小か・・・
高木氏は「自己責任ばかり求める時代は、若者と、そして再び、高齢化した団塊世代を自殺へと追いつめる・・・・ことにならぬよう願う」
全く同感である。