今まで、フレンチトーストを、自分で作ってみたことはあったが、喫茶店などで食べたことはなかった。
最近の私のフレンチトースト体験、2つ。
●スマート珈琲店
「寺町通三条上る」に昭和7年からあるレトロな喫茶店。
ここに喫茶店があることは知っていたが、私の行動エリアではあるものの1度も入ったことがなかった。
このスマート珈琲店のことが本「おひとりさまの京都」(葉石かおり著)で紹介されていた。
「今時、並ぶ喫茶店なんてあるんだろうか?」という出だしで始まる文章どおり、前を通るたびに客が必ず何人か待っていた。
本によると、フレンチトーストとホットケーキが有名らしい。
以来、いつか食べてみたいと思っていた。
先日ついに行ってみた。
並ぶのがイヤだったので、平日の朝8時半頃に入店。
なんとか1テーブルだけ空いており、すぐにフレンチトーストセット(1000円)を注文した。
運ばれてきたのは、ホットコーヒーにフレンチトースト2切れ。ボリューム満点。
表面からふんわり卵の風味がするが、味は素朴。
初めてのフレンチトースト体験だったが、私の朝食としてはちと量が多すぎた。
●京都ホテルオークラのレストラン「レックコート」
ここのフレンチトーストはインターネットのブログで知った。
パンを24時間卵液に浸して作るとのことで、作り方もインターネットで紹介されている。
最近、宿泊客だけでなく、1日10個限定で一般客も食べられるとのことだった。
でも、セットメニューで1575円はちょっと高いなあと二の足を踏んでいたら、テイクアウト(630円)もあり、午前中なら手に入りやすいことを知ったので、買って帰って自宅で食べてみた。
1切れだが、大きさは十分。今度は昼食として食べた。
さすが24時間浸してあっただけに卵液が中まで染み渡り、これがパン?と思うほど、フワフワで、まるで卵焼きを食べているようだった。
●初体験してみて、今の私には、フレンチトーストを朝食として食べるというのは、ちょっと重すぎるというのが感想です。
ブログ マチベンの日々
2011年11月21日付けの当ブログで紹介した猪熊隆之さん。
昨年、長野県茅野市に山岳気象予報の専門会社ヤマテンを設立した。
私が2001年にマレーシアのキナバル山(4095.2M)に登った時のツアーガイドさん。
その猪熊さんが、本日付けの京都新聞朝刊に大きく取り上げられていた(共同通信配信記事)。
記事によると、猪熊さんは、登山家の竹内洋岳氏が世界8千M峰全14座を日本人で初めて登り切った際、山岳気象予報を提供し、アタック予定日の天候をぴたり当てて成功を支えた。
その精度の高さを、猪熊さんは次のように語る。
「空気を感じること、風の気持ちになる、雲の気持ちになること」
なんだかロマンチックな言葉だが、彼の登山家としての経験によってしっかり裏付けられている。
今年のGW、北アルプスの白馬岳付近で北九州市男性6人が遭難したことは記憶に新しい。
この時も、猪熊さんは、遭難2日前に大荒れ情報を出したと言う。
この遭難については、事故後しばらくしてからの報道により、彼らが当日小屋を出発した時には、半袖で歩ける程の晴天であり、それがしばらくして瞬時に荒天へと変わり、装備を着ける間もなく低体温症で亡くなったことを知った。
猪熊さんは、予報を聞いただけでは事故は減らない、事故は天気だけで起こるのではない、便利な情報だけに頼って自分で考えないと山に対する防衛能力が落ちてしまうと語る。
山スカ、山ガールブームにより、若い登山者も増えているようだが、山の怖さについても是非頭に入れておいてほしい。
自戒も含めて。
今週初め、猛暑の京都を脱出し、北海道の十勝岳(2077M)に登って来た。
日本百名山99座目である。
1日目は、標高1280Mの十勝岳温泉から、まずは富良野岳(1912M)を目指す。
天気は晴れ。
富良野岳は花の山で、チングルマやエゾツツジなどたくさんの高山植物が登山道や斜面を彩っていた。
でも、もう1週間早ければ、もっと満開だっただろう。
登山道には、時々シマリスが顔を覗かせる。
富良野岳への分岐までは緩やかな坂を登って行くが、ここから山頂までは急坂となる。
富良野岳山頂は、360度の展望。遠く夕張岳も見える。
富良野岳からは、三峰山、上富良野岳、上ホロカメットク山を縦走。
アップダウンはあるものの、快適な尾根歩きだ。
上ホロ小屋泊。無人の避難小屋で、その日の宿泊者は3人だけ。
2日目。当初の雨予報がずれ、晴れている。良かった!
朝、5時半出発。
三角錐の形をした雄々しい十勝岳に向かって歩を進める。
十勝岳は、植物に覆われていない活火山である。
下方の火口からは噴煙があがっている。
約1時間で山頂に着き、99座目達成の記念写真を撮る。
ここも360度の展望。
その後は、白金温泉をめざし、草木のないザレた登山道をひたすら下った。
あと1座(東北・飯豊山)で百名山達成である。
本当は、来週達成予定であったが、都合が悪くなり、来年へ。
山は逃げないからね。
(2012年5月1日付けの当ブログの続編です)
ついに、沢田研二のコンサートへ行った。
7月20日夜のびわ湖ホール。
還暦を過ぎて、何かから解き放たれたかのように、憲法や原発のことを語り始めたジュリー。
幼い頃はファンではなかったが、そういうジュリーのコンサートに行きたくて、これまで何度もチケットをゲットしようとしたが、叶わず、昨日やっと生ジュリーと会えた。
びわ湖ホールの大ホールは中高年女性で満席状態。
私は2階席だったが、まずまずの位置。
まず驚いたこと。
1曲目は、静かな曲だったが、2曲目の軽快な曲のイントロが鳴った途端、1階席に座っていた人たちが突然一斉に立ち上がり、ジュリーの振りに合わせて手を振るノリノリ状態。目を見張った。
2階席以上の人で立っている人はパラパラだっだので、私も座ったまま。
曲の合間に、何か「しゃべり」があるのかなあと思っていたが、それはなく、次々と歌が続く。64歳なのにパワフルに動き、歌いまくるジュリー。
私の期待どおり、脱原発の歌「F.A.P.P」(フクシマ・アトミック・パワー・プラント)や憲法9条の賛歌「我が窮状」も歌われた。
胸にジンジンと響いた。
最後にバンドメンバー紹介が終わり、アンコールかなあと思っていたら、そこから、ジュリーの「しゃべり」が始まった。
コテコテの関西弁で、しゃべる、しゃべる。
自分が太っていることの自虐ネタも入れた64歳のオッチャンの「しゃべり」。
脱原発とか平和とかの言葉はなかったが、そこには、確かに、自然体で語り生きて行こうとしているカッコいいジュリーの姿があった。
そして、アンコール2曲。
私は自分の席を離れ、2階のドア近くに立って、最後は一緒に踊りながら楽しんだ。
これが最初で最後のジュリーのコンサートと思って出かけたが、これからも目が離せないなあ。
私が切り絵に興味を持ったのは、まだ最近のこと。
2011年6月28日付けの当ブログでも紹介したが、テレビ番組「ソロモン流」でフランス在住の切り絵作家蒼山日菜さんの切り絵を初めて見て、そのレースのような繊細で美しい切り絵に心惹かれたのがきっかけだった。
先週、京都駅にある美術館「えき」に久保修さんの切り絵展が開催されていたので、出かけた。
作風は、もちろん蒼山さんとは異なっているが、その繊細な切り絵の技巧と色遣いは素晴らしかった。
ただ、たくさんの作品があった町並みを描いた図柄の線が、建築家が描くデッサンにどこか似ているなあと感じ、帰宅して久保さんのプロフィールを読むと、やはり建築のパースを勉強されたことがあることを知った。
私は柔らかな線が好きなので、久保さんの作品の中では「曼珠沙華」が気に入った。
他方、蒼山日菜さん。
神戸の画廊で個展が開かれていたようだが、ちょっと神戸まで出かける余裕はなかった。
でもホームページに、京都の手ぬぐいの永楽屋さんとのコラボで、蒼山さんの切り絵がデザインされた商品が紹介されていたので、昨日、永楽屋さんに寄ってみた。
白い手ぬぐいに蒼山さんのデザインがプリントされたものが販売されていたが、やはり所詮はプリントされた絵なので、感動はなかった。
蒼山さんは、10月から京都高台寺で個展を予定されているとのこと。
早く本物が見たい!
脱原発、再稼働反対を訴え、毎週金曜日夕に首相官邸前に集まる市民の数が爆発的に増えている。
3月に始まった当初は300人で、5月末の約700人から、政府の再稼働への動きが本格化してからは、1万人の大台を超え、ついに6月29日には20万人となった。
(2012年6月30日付け京都新聞夕刊)。
当初、首相官邸前に1万人もの人が原発反対、再稼働反対と訴えて集まっても、ほとんどの大手マスコミは報道しなかったが、20万人もの人が集まり無視できなくなったのか、最近、ようやく報道し始めた。
これらの多くは、ツイッターやフェイスブックで情報を知り、集まっているとのこと。
日本もエジプト並みになって来たなあ。
参加者の思い「どこかで政治家や原発推進派に『間違っている』と言わなきゃ」。
いろんな人が気軽に集まるからこそいい。
「僕たちに民主主義と未来があるのか確認してみたいんですよね」
とにかく20万人もの人が集まるというのは、日本では近年ないこと。
すごい!
デモって、なんとなく「恐い」っていうイメージがあるようだが、国民一人ひとりが行動で自分たちの意思を示すことは大切なこと。
民主主義ってこういうもの。
今や、国会は国民不在の状況だが、こういう国民の行動がこれからの日本を変える力となると確信する。
6月7日付けの当ブログでも紹介した97歳の笹本恒子さんをはじめ、今、「アラウンド90」が静かなブームとなっている(2012年6月23日付け朝日新聞be)。
「アラ90」の女性と言えば、笹本さん以外に、生活評論家の吉沢久子さん(94歳)、文筆家の清川妙さん(91歳)などが有名。
報道写真家の笹本さんは、年齢がわかったら仕事が来なくなると思って伏せていたが、「もういいか」と明かしたところ、それからは、取材や執筆などに忙殺される日々だとか。
その背景には、日本の平均寿命が男性79歳、女性86歳となり、90歳以上の高齢者が100万人を突破し、「人生90年」が現実感を帯びてきたことがある。
私は、書店に行くと、すぐ彼女たちの本を手にとってしまう。
友人からは「90歳まで生きるつもり?」と皮肉られる。
でも、90代の彼女たちが、人生が長い分だけ戦争や愛する者たちとの別れなどたくさんの困難や悲しみを乗り越え、しかも、現在、基本的には、質素でシンプルな生活をしていることが、私自身の人生の目標になっている。
これからも元気な「アラ90」の女性たちが出てくることを大いに期待している。
NHKで「総選挙」がニュースとして取り上げられるほど社会現象化しているAKB48。
昔は、ミリオンセラーのヒット曲であれば、誰もが歌手の名前を知っており、歌を口ずさむことができた。
でも、AKBの場合、100万枚以上売れている曲が何曲もあると言われても、その曲名を正確に言え、歌をフルコーラス歌える人はどれほどいるだろう。
元ミーハーの私でさえ、顔と名前が一致する子は、今のところ5人しかいない。
総選挙のしくみもあまり知らなかったが、最近、朝日新聞や雑誌AERAで、「AKBはゲーミフィケーション」という記事を読んで、なるほどと納得した。
ゲーミフィケーションとは、ゲーム的な仕掛けをゲーム以外にも活用するという意味。
私が最初にAKBを知った時、総選挙で勝ち抜いてセンターになった子も含め、「普通っぽい、どこにでもいそうな感じの子やなあ」と感じた。
AERAによると、AKBはクラスの中の10番目位の綺麗な子が選ばれ、ファンがそれを育て上げていくゲームだそうで、得心した。
1枚1600円のCDを買って投票権を得て、それによる投票結果によって、候補者237人から次のシングル曲に出られるメンバーやセンター(立ち位置)などが決まる。
まるで、以前流行ったゲーム「たまごっち」のよう・・・・(やったことはないが)
でも、総選挙の投票権を得るためは、対象のCD(1600円)を買わなければならないシステム。
お気に入りの子を上位にするため、一人で数十万円を費やしてCDを何百枚も買うファンもいるとのこと。
これもやったことがないが、ソーシャルゲーム「コンプガチャ」と似ている。
無料で始められるが、ある時点からお金を出せば、より強いアイテムなどが手に入るため、子どもや若者らがスマートフォンなどで何十万円も使ってしまうということで社会問題化した。
ギャンブルや浪費で破産する人もいるが、AKBにはまり過ぎて破産、というような若者が出てこないことを願うばかりである。
昨日、幼なじみのshocoさんが京都へ来たので、またまた女子会。
今回は、shocoさんとその友達3人が片泊まりの宿「庵」(いおり)に泊まるとのことだったので、私は夕食に合流すべく「庵」にお邪魔した。
「片泊まりの宿」というのは、1泊朝食付きの宿のことを言い、京都では町屋を改装した宿が多い。
「庵」のホームページを見ると、京都に何カ所かある町屋に泊まることができ、定員2~14名の1棟貸しなので、他の客の気を使うこともない。
「片泊まりの宿」は初めてだったので、興味津々。
昨日の宿は、「富小路高辻下る」にあったが、表札が出ているわけでもなく、初めは通り過ぎてしまった。
内部は綺麗に改装されていたが、町屋らしく中庭もあり、中庭を眺めながら入浴できるようになっていた。
配達してもらった仕出し料理で女子会。
とてもリラックスして、話に花が咲いた。
先週、ミヤマキリシマの花に会いたくて、大分の山(大船山と平治岳)に登った。
この山では、毎年6月になると、ミヤマキリシマの花で山が染まる。
ただ、花の開花状況は微妙に毎年異なるのと、ちょうど梅雨の時期なので天候不順な日が多く、遠方から行く場合には、運・不運が左右する。
今回は、長者原(ちょうじゃばる)から坊ガツルを通って、大船山(1786M。たいせんざん)、平治岳(1643M。ひいじだけ)と縦走し、また坊ガツルから長者原に戻るコースを歩いた。
約8時間。
なお、「坊ガツル」というのは、芹洋子が歌う「坊ガツル賛歌」の「坊ガツル」である。
幸い、天気は曇り。
長者原から登山道を登っていき、坊ガツルを展望できる場所まで登ると、2つの山が本当に濃いピンクの絨毯に覆われているように染まっているのが見えた。ワクワク
まず、大船山へ。
段原という尾根に出る手前から傾斜がきつくなるが、登山道脇に少しずつミヤマキリシマが増えていき、段原に着くと、そこは、満開のミヤマキリシマに覆われていた。
大船山山頂へピストンし、大戸越(うとんごし)へ下る。
目の前の平治岳の斜面全体がミヤマキリシマでピンク一色。
大戸越からはミヤマキリシマの間の急な登山道をひたすら登る。
ここからは、混雑を避けるため、上りと下りと登山道が区分されていた。
平治岳の頂上付近は、更に別天地。
「すばらしい!」の一言・・・・
残念ながら、平治岳頂上で雨が降り出し、あまりゆっくりできず下山を余儀なくされたが、念願のミヤマキリシマを十分堪能できた登山だった。
今朝の朝刊とNHKニュースで、原田正純先生が6月11日亡くなられたことを知った。
原田先生は、熊本大学大学院時代に水俣病と出会い、一貫して患者の立場から研究を続けてきた医師である。2011年2月には、地球環境保全に貢献する人をたたえる「KYOTO地球環境の殿堂」を受賞された。
原田先生と言えば「水俣病」であるが、実は他の職業性中毒の研究もされている。
私は、1987年3月、宇治ユニチカ工場で働く労働者が二流化炭素中毒に罹患したのは使用者に責任があるとして、企業ユニチカに損害賠償を求めた裁判の弁護団の一員として加わった。
その裁判で、熊本の興人八代工場で起こった二流化炭素中毒に関わってこられた原田先生に労働者側証人としての証言をお願いし、私がその尋問担当者となったため、打ち合わせに熊本のご自宅に伺ったことがあった。
ちっとも偉ぶらない優しいお医者さん。
しかし、その証言となると、とても説得力があり、企業側弁護士の反対尋問もことごとく論破し、訴訟に大きく貢献していただいた。
原田先生は、2011年5月25日付け朝日新聞で、原発のことについても「水俣病では、政府も産業界も学者も、安全性の考え方を誤った」「50年たっても教訓は生かされていない」などと鋭く国や産業界、学会の姿勢を批判されていた。
大飯原発が再稼働されそうな今、本当に心残りだっただろう。
原田先生の遺志を継ぐのは私たち。
ご冥福をお祈りします。
京都のスイーツ店「ミディ・アプレミディ」の「フロール」というロールケーキの存在を知ったのは、もう10年以上前になると思う。
たまたまインターネットで知ったのだが、「フロール」だけは店舗販売がなく通販限定で1本3000円弱、しかも注文して数ヶ月待たないと手に入らないほど人気があることがわかった。
唯一、銀閣寺近くの喫茶店「ゴスペル」で曜日と数量限定でカットされたフロールを食べられることがわかり、その後数年経って、スイーツ好きの同僚弁護士2人と共にゴスペルに行き、やっと念願の「フロール」に出会い、評判どおりの美味しさに感激した。
さて、当時四条通りより更に南方にあったミディ・アプレミディの店舗が、数年前に三条東洞院に移転し、しかも昨年11月からは、その店舗の喫茶でフロールが食べられるとホームページでアナウンスされていた。
やはり店舗販売はされていない。
もう1度食べたい!
店の前を通るたびに中をのぞき込んだりしたが、一人で入るのはなんとなく気後れしていたところ、昨日、元依頼者のKさんとランチする機会があり、ランチ後二人でミディ・アプレミディの喫茶に行ってみた。
喫茶は、フロールかタルトのどちらかとドリンクのセットメニュー。
値段は、セットで1200円とお高めだが、「フロール」は甘さを抑えた生クリームとしっかりしたカステラ生地が絶妙だった。
ピンクブルボンというコーヒーとも合っていた。
ささやかな夢が叶った。
6月3日(日)のテレビ番組「ソロモン流」で取り上げられたのは、97歳の現役報道写真家笹本恒子さん。
以前、書店で、笹本さんの本「好奇心ガール いま97歳」(小学館)が偶然目に止まり、この本を読んで初めて笹本さんのことを知った。
以来、一度どこかで講演を聴く機会はないものかと思っていたところ、今回のテレビ放映があった。
笹本さんは、1914(大正3年)生まれの97歳。
26歳で日本初の女性報道カメラマンとなり、写真家としての仕事を続けてこられたが、一時期、写真の仕事を離れたことがあった。
そして71歳で再び写真家として世に出ることになった。
テレビで観る笹本さんは、とても97歳とは思えない、姿勢の良さや声のハリ。
そして、おしゃれで、チャーミング。
老人ホームに入るのはやめて、東京山の手のマンションをリフォームして一人で暮らし、毎日ラジオ体操や英語の勉強を欠かさず、食事も3食、自分で作る。
笹本さんは言う。
「学ぶのにも、仕事をするのにも、年齢は関係ありません」
「もう、いくつだわ、なんて考えたらおしまいです」
「心は年をとってないから、年中、あれをしよう、これをしようと頭の中はいっぱいで」
なんて魅力的な女性なんでしょう。
5月23日付けブログでご紹介した「金星の太陽面」通過。
今日6月6日がその日です。
地球から見て金星が太陽を通過するのが見られる現象で、これは金環日食より珍しいそうです。
今日の京都は朝から晴れ。
洗濯物を干しながら日食メガネで見てみました。
何か小さなホクロのような点があるような、ないような・・・・・
見えたつもり。
午後2時頃までの天体ショーなので、また何回か見てみよう。
6月3日(日)午前中、京都一周東山コースの最後のルート、銀閣寺から比叡山まで歩いた。
比叡山に登る時は、これまでは雲母(きらら)坂から一気に急坂を登ったが、今日は初めて京都一周トレイルどおり歩いてみることに。
銀閣寺道の交差点から住宅街を通り、バプテスト病院の横から山道を登って行く。
瓜生山(301m)までは、だらだらした坂道。
瓜生山を越えると、ほぼ平行移動の尾根歩きとなる。道はよく整備されていて快適だが、木々に隠れて眺望はない。
トレランの男性が何人も走って追い抜いて行く。こんな山道を走れるなんて私には信じられない。
石鳥居からややアップダウンの道となり、雲母坂からの登山道と合流すると、急坂をひたすら登る。
急坂を頑張って登りきると、比叡山のケーブル駅(690m)に到着。
京都一周トレイル東山コースのゴールとなる。
京都一周トレイル東山コース、なかなか面白かった。
※京都一周トレイル東山コースの1回目は2012年4月23日付けブログを、2回目は5月13日付けブログをご覧ください。
6月2日土曜の朝、たまたま京都市役所前広場を通ったところ、岐阜の物産展の準備中だった。
そう言えば、広場で郡上踊りの催しがあるというチラシを見たなあと思い出し、早速、ネットで検索して調べてみた。
毎年7~9月に岐阜県郡上で行われる「郡上踊り」のPRのため、京都岐阜県人会が市役所前で郡上踊りを踊る催しを開いており、今年で5回目になるという。
踊りは、午後4時から。
行ってみることにした。
小学生の頃、毎年夏に町内で開かれる盆踊り大会には必ず出かけていた。
2歳年上の「えり子ちゃん」という女の子が大人のようにとても上手に踊るので、いつもその後について踊っていた。
「郡上踊り」は何種類もあるらしいが、岐阜の町内で開かれる盆踊りでは、郡上踊り以外に炭坑節などの曲も踊るので、岐阜出身だからと言ってすべての種類の郡上踊りを知っているわけではない。
午後4時に行くと、浴衣姿の人が多数広場に来ており、まもなく「郡上踊り」の本番が始まった。
結構な人数の参加者でビックリした。
もちろん、すぐに輪の中に入って踊った。
私は、「郡上踊り」の中で「かわさき」と「春駒」しか知らなかったが、他の曲も振り付けが簡単なので見よう見まねで踊るうちに、すぐに踊れるようになった。
最初は1時間位で帰ろうと思っていたが、踊るうちに面白くなって、結局、午後6時の終了時間まで踊った。
久しぶりの盆踊りで楽しかった。
来年は、浴衣を着て参加するかな。
2012年5月18日付けブログ「クラブじゃ、踊れない!?」の続き。
クラブでのダンスを規制する風俗営業法の改正を求める署名活動が、5月29日、いよいよ京都から始まった。
呼びかけ人は、坂本龍一さん、大友良英さんなど。京都の弁護士中村和雄さんも名前を連ねている。
全国10万人の署名を目標として、法改正につなげたいとしている。
ダンスは、今や、単なる娯楽にとどまらず、カルチャーでもあり、スポーツでもある。
ダンスを踊るように、楽しく署名活動ができるといいね。
署名用紙は、ホームページからダウンロードできる。
http://www.letsdance.jp/
27日(日)は、「えん罪と裁判員制度を考える市民のつどい」に参加。
裁判員制度が始まって今年5月で3年が経過した。
新聞紙上では裁判員からのアンケートや声などが紹介されている。
市民が刑事裁判に参加することによって、司法は変わったか。
メインゲストは、映画「それでもボクはやってない」「Shall we ダンス?」の周防正行監督と、えん罪「布川事件」の元被告人桜井昌司さん。
コーディネーターのインタビュー形式で進行。わかりやすかく、内容も良かった。
周防監督は、時々テレビで見かけるが、静かできちんとした話し方。
監督は、市民には「本当に人を裁けるだろうか」という恐れがあるが、だからこそ、より証拠をきちんと調べて判断したいという思いが強いと評価された。
また、そのような市民が市民感覚によって発言することによって、裁判所という組織の中で仕事をする裁判官の意識も変えていくことができる。
だから、わからないことがあれば、どんどん裁判官に質問すればいいし、それが日本の刑事裁判を変えることにもつながると強調された。
そして、えん罪を作らないという意味でも、そしてすべての証拠を見て判断したいという市民の願いに答えるという意味でも、すべての証拠を開示されるのが当然とされた。
つどいの参加者は約160名で、やや空席が目立った。
宣伝不足か、関心の低さか・・・・
内容が良かっただけに、もっと多くの市民に参加してほしかった。
5月26日(土曜)、京都弁護士会主催の春のレクリエーションで、竜ヶ岳に登った。
竜ヶ岳は、三重県いなべ市と滋賀県東近江市の境にある山で、標高は1099M。
私は、今回が3回目。
竜ヶ岳は、毎年5月になると、山頂付近に、シロヤシオという花が咲くのだが、それが満開に咲くと、まるで「羊」の群れのように見える。
2009年に登った時は、山頂にはたくさんの「羊」が群れていて、それは見事な景色だった。今年はどうだろう。
26日は晴れて、絶好の登山日和。
三重県側の宇賀渓駐車場に車を停める。
責任者のA弁護士が「昨日、雨が降ったから、ヒルが出るかもしれない」と脅すので、念のためヒルよけスプレー「ヒル下がりのジョニー」を靴にかける。
「裏道登山道」を登る。
ずっと、うっそうとした崖縁の登山道を登っていく。幸いヒルはいない。
山頂に近づくと、開けて笹原となる。
やがて笹原の中にシロヤシオの木々が見えるようになるが、白い花はどこにも見えない!
もう咲き終わったのだろうか。それとも今年は、はずれ年だったんだろうか。
残念ながら、今年は青々とした葉をつけるシロヤシオしか見ることができなかった。
それでも広々とした山頂からは、展望を楽しむことができた。
下山は、長尾滝方面へ。
そして永源寺温泉「八風の湯」に寄って汗を流し、帰路についた。
5月21日早朝の金環日食。
天気が心配だっだけど、皆さんは天体ショーを楽しむことができましたか?
日食メガネを通して見ると、リングはオレンジ色でしたね。
そして皆既日食と異なり、あまり辺りが暗くならなかったことにも驚きました。
ところで、あまり大々的には報道されていませんが、6月6日にも別の天体ショーがあるんです。
それは「金星の太陽面通過」。
これは、地球から見て金星が太陽の前を横切る現象で、金環日食よりも珍しい現象だそうです。
金星の見かけの大きさは太陽の32分の1で、太陽面を小さなホクロのような金星の影がゆっくり移動するとのことです。
午前7時すぎから午後2時前にかけて、日本全域で見られます。
宇宙への興味が広がります。