気象予報士の猪熊隆之さんが、山岳気象専門の予報会社「ヤマテン」を長野県茅野市内に設立した(2011年11月16日信濃毎日新聞社WEB)。
猪熊さんは、私が2001年にマレーシアのキナバル山(4095.2M)に登った時にツアーガイドをしてくれた青年。
とても明るく優しい青年で、冬の富士山に登山中滑落して、死にそうになったことなど話してくれたことが今でも記憶に残っている。
その後、重い病気に罹患し、それを克服後、気象予報士の資格を取得、気象予報会社で山の天気予報を担当していた。そして今年10月に独立し、ヤマテンを設立した。
ヤマテンでは、山小屋や旅行会社と契約し、気象データを提供する。また全国15山域の天気を予報し、ウェブサイトを通じて登録(月額315円)した会員に提供。登山中に携帯電話のメールで情報を受け取ることもできるとのこと。
山の天気は、街中の天気とは異なるので、通常の天気予報だけでは正確な情報がつかめない。登山人口も増えると、天候悪化による遭難事故も多発する。山の天気に特化した情報が気軽に得られるのは有り難い。
猪熊さん、頑張ってください。
ブログ マチベンの日々
またまた民主党のマニュフェスト破り。沖縄普天間基地問題、子ども手当・・・そして今回、派遣法改正までも・・・
民主党は、11月14日、国会で継続審議となっている派遣法改正案について、自民党などの反発に配慮して、大幅な修正に応じる方針を固めたと報じられた(京都新聞2011年11月15日朝刊)。
派遣労働者が増え続ける中で、2008年のリーマンショック以降の景気悪化により「派遣切り」が横行し、大きな社会問題となった。政権交代を果たした民主党は、派遣労働者の雇用の安定を掲げ、2010年4月派遣法改正案を国会に提出した。
この改正案自体、労働者保護の観点からは不十分な内容であったが、今回の修正案では、自民党・公明党の主張を受け入れ、仕事がある時だけ雇用契約を結ぶ登録型派遣や製造業派遣の原則禁止などの規定が削除される。
また、違法派遣があった場合、派遣先企業が労働者に直接雇用の契約を申し込んだとみなす「みなし雇用制度」の施行は、3年後に延期する。短期派遣の禁止対象も、「2ヶ月以内」から「30日以内」に緩和。
民主党は、マニュフェストで労働者保護の観点からの規制強化を目指したのでなかったのか。
結局、自民党でも民主党でも、二大政党の政権なんて、こんなもん。
そう言えば、TPP問題でも、逆に、自民党は、経団連から「あんたら政権取ったら、TPPに参加するんやろ。今、政府に文句言ったら、自分の手足を縛ることになる」なあんて言われてたよね。
これからの日本はどうなっちゃうんだろう・・・・
11月11日横浜で日本弁護士連合会の業務改革シンポジュウムが開かれ、それに参加したついでに、翌12日、神奈川県の大山(おおやま、1252m)に登ってきた。
前日の冷たい雨とはうってかわって、12日は晴れて10月並みの気候。暑い!
大山は、小田急小田原線伊勢原駅で下車して、バスで大山ケーブル終点まで乗る。
どんな山なのかの事前知識なく出かけたが、電車が伊勢原駅に近付くにつれ、綺麗な山容の大山が姿を現した。
伊勢原駅につくと、駅には大山のパンフレットが置かれ、大勢の登山客がバス停へと急ぎ、人気のある山であることがすぐにわかった。
バスを降り、「こま参道」を上がって行くと、参道の両脇には土産物屋や旅館がひしめいている。
ケーブルに乗れば、6分で標高696mの大山阿夫利神社下社に着くのだが、ケーブルには乗らず、下社まで階段状の登山道を約40分歩いて登る。
どうも私はこの階段が苦手で、足取りは重く、どんどん追い抜かれていく。
下社に着いても、更にここから約90分の登り。やはり階段状の登山道が続く。
足が重い。息が切れる。
やっと頂上に着く。
頂上には大山阿夫利神社本社があり、売店もある。
たくさんの登山客でにぎわっていた。まるで、大阪の金剛山のようなにぎわいだ。でも、この山は、とにかく若い登山者が目立つ。
女性も多く、そのほとんどが山ガール姿。色鮮やか!私も山ガール姿で登ったのだが、なんとなく気恥ずかしかった。
下山は、コースを変えて、見晴台の方へ下る。下山の得意な私は、ここから本領発揮で、走るように下り、前行く人をすべて追い抜いた。
参道脇の旅館で日帰り入浴して汗を流し、道の脇で売っていた大きなみかんをたくさん買って帰路に着いた。
最近、久しぶりに漫画を読んでいる。10年ぶり位だろうか。
「岳ーガクー」の単行本。
今年5月に小栗旬主演で映画にもなったが、残念ながら映画は見ていない。
山仲間から「『岳』の漫画は面白いよ」と勧められ、誰か単行本を持ってないかあ・・・と思っていたら、何と、同じ事務所の古川弁護士が持っていることがわかり、15巻全部を借り、今、4巻目を読んでいる。
「岳」は、ビッグコミックオリジナルに連載されている漫画で、島崎三歩(さんぽ)という山を愛する青年が山岳救助ボランティアとして遭難者を救助したりする物語である。
当然、遭難場面もたくさん出てくるし、遭難者が死亡する場面もあるが、「悲惨さ」や「怖さ」よりは、登山者への暖かい思いや山を愛することの素晴らしさがほのぼのと伝わってくるストーリーである。
三歩はどうやって食ってるんだ!?などと野暮なことは考えない。
山はいいよ、山においでよ、と思わず言ってみたくなる漫画である。
これまで「デモ」というものに参加された方はどのくらいおられるだろう。街中で「デモ」を見かけても、自分とは無関係と思っていた人も少なくないだろう。でも、脱原発を求めて初めて「デモ」に参加する人も増えている。
2011年11月4日付け京都新聞に「デモは市民の意思表示」というタイトルで記事が掲載されていた。
「東京電力福島第1原発事故の発生以降、各地で行われている脱原発デモには多くの知識人が参加。集会や会見などの場で、市民の意思表示の手段であるデモの重要性について、積極的に発言している」
9月末、同月11日に新宿で行われた脱原発デモの際に参加者が公務執行妨害容疑で逮捕されたことを批判する記者会見で、評論家柄谷行人氏は「単に原発に反対するだけでなく、個々人がその意思をデモを通じて表現することが重要だ」と強調した。
更に、柄谷氏は、日本にデモが少なくなってきたことと、これほど地震が多い国に54基も原発がつくられたことには関係があると言う。そんな「人任せ」の作法が、地震大国に世界中の原発の1割以上を集中させるという異常事態を作り出した。
ヨーロッパなどでは、政府の政策などに納得いかないと、当たり前のように「デモ」に参加して意思表示を行い、政策を変えている。
「デモ」や「集会」は、日本国憲法が保障している表現の自由の1つ。民主主義の基本である。
わたしたち一人ひとりの国民が動かなければ、未来は変わらない。
10月29日、奈良県の山、稲村ガ岳(1725.9M)に登って来た。
この山は、「花の百名山」として知られているが、今の時期は花はなし。でも、1700M以上もあるのだから、おそらく上の方は紅葉の真っ盛りだろうと期待して出掛けた。
稲村ガ岳登山口(母公堂=ぼこどう)から登る。ダラダラした登山道が続く。最初は、杉林の中を登り、法力峠からは、広葉樹の林の中のやはりダラダラした登山道を登る。
どのあたりから山道らしくなるのかしら?と思いながら更に登って行くと、山上辻(さんじょうつじ)の稲村小屋(1540M)に着いてしまった。そこから笹原を過ぎると、ようやく山道らしく急坂や鎖・ハシゴなどがあり、やがて山頂へ。
山頂には鉄製の展望台があり、そこからは360度の展望。山上ヶ岳、大普賢岳、八経ヶ岳などを望むことができた。
下りは、小屋まで戻り、山上ヶ岳への女人結界門のあるレンゲ辻へ向かう。レンゲ辻までは、やはりダラダラした登山道。
でも、そこからが違った。レンゲ辻からは、ジグザグの急坂となり、その後は沢沿いに急な悪路が続き、やっと林道へ。
登りがあまりにも楽過ぎたが、運動不足の今の私には、ちょうど良かったかも。でも、期待の紅葉は、残念ながら既にほとんど枯れてしまっており、美しい紅葉を愛でることはできなかった。
下山後は、洞川(どろかわ)温泉で汗を流した。
京都から車で約3時間もかかるのが難だが、オススメの山である。今度は、花の時期に行こう。
先日、離婚調停を申立てたという女性の法律相談を受けた。その法律相談が終わりに近付いた頃、「あのー、インターネットで読んだんですけど・・・・、調停には、スーツで行った方がいいんでしょうか?」と尋ねられた。
へぇ~、そんなことが書いてあるホームページがあるんだ。知らなかった!
家庭裁判所の調停は、男女1名ずつの調停委員が担当する。
調停委員は、公務員ではなく、民間人で、職業は、元裁判所職員、学者、僧侶、弁護士、会社役員、主婦などさまざま。年齢は、おそらく40代から60代と思われる。
調停委員が調停を進行していくわけだから、当事者が調停委員にどのような印象を持たれるかは、重要かもしれない。
でも、ケバい服は確かに「?」だが、別に就職面接でもないのだから、スーツを着て行く必要はなく、普通の服で十分だと思う。
また、どのような印象を持たれるかは、服装だけでなく、言葉使いや受け答えの仕方によっても異なるだろう。
そう言えば、ある依頼者と、第1回調停の日、家裁のロビーで待ち合わせの約束をしたことがあった。
約束の時間になっても来ないなあと思っていたら、その依頼者は、それまでの事務所での打ち合わせの時はスッピン・普段着で来ていたのに、その調停の日は、スーツを着てメイクもバッチリして来ていたので、私は全く気が付かなかったという笑い話のようなことがあった。
ちなみに、私は、調停へ、いつもスッピンで行ってまーす!
2011年10月11日付け読売新聞夕刊に、池辺晋一郎氏が面白いエッセイを書いていた。
タイトルは、「カスタネット 札幌で『流行』」。
札幌では2001年に「札幌カスタネット協会」が設立され、それは、やがて「日本カスタネット協会」と改称。
そのおかげで、カスタネットのための作品が次々と生まれているらしい。
また、カスタネットのみならず、世の中の関心が変化し、小さな楽器にまで多くの人の興味が集まっている。
殺伐としがちなこの時代に、面白いというか、これはなかなか目が離せない現象だと、池辺氏は締めくくる。
「カスタネット」と聞くと、子どもの頃に使った、ゴムがついた赤と青の楽器を思い出す人が多いと思うが、実は、違う。
私は、約20年フラメンコを習ってきたが、カスタネットはフラメンコに不可欠な楽器で、踊り手がカスタネットを鳴らしながら踊る曲も少なくない。
両手の親指にカスタネットのヒモ(ゴムではない)を通し、親指以外の4本の指を細かく動かして演奏する。綺麗な音色をかなでるのはなかなか難しく、奥が深い。
しばらく忘れていたカスタネットだったが、このエッセイを読んで、ボケ防止にもいいかな?と思い、しまい込んでいた引き出しから取り出してきた私だった。
「ルンバ」が流行っているらしい。
ただし、踊りのルンバではない。お掃除ロボット「ルンバ」である。
その存在だけは、雑誌で読んで知っていたが、結構値段も高く(1台6~8万円)、自分で掃除すればタダなのに、何でそんな高い金をかけて掃除せなあかんの?と貧乏性の私は思っていた。
ところが、先日、他事務所の弁護士がルンバを使用していると聞いたばかりのところに、実は、わが事務所の中にも自宅でルンバを使っている弁護士がいることを知り、結構、流行っていることに驚いた。
使っている人の話を聞くと、留守中、部屋のスミからスミまで綺麗にしてくれ、その後、ちゃんと自分で充電する場所まで動いて行き自ら充電するらしい。
人間が掃除をする以上に綺麗にしてくれるとのことで、使っている人達は口々に絶賛する。
確かに魅力的だ。ただ、片づけまでしてくれるわけではないので、床の物は、とりあえず上に上げて置くしかない。
昨日、たまたまヨドバシカメラに行ったら、ルンバの実演をしていたので、しばらく、その様子を眺めていた。
でも、ほこりもゴミもないスペースを動き回っていただけなので、その性能は実感できなかった。
強く惹かれるものはあるが、やはりまだ買うとことろまではいかないなあ。多少のほこりでは死なないからなあ・・・・!?
昨夜は、京都コンサートホールで開かれた「震災復興国際交流演奏会(F・リスト200年の祈り)」に行ってきた。
これは、今年で生誕200年を迎えるリストを記念し、日本の震災からの復興を支援しようというチャリティコンサートで、国内では京都・東京・仙台、海外ではパリ・ワルシャワ・ウィーンで開催されている。
またリストは、1838年にドナウ川流域で未曾有の洪水被害が起こった際、自らチャリティーコンサートを開催し、ブタペスト市に多大な寄付を行い、故国の復興支援に尽力したと伝えられている。
昨夜の演奏曲目は、第1部は、東誠三さんのピアノで「ピアノ協奏曲第1番変ホ長調:リスト」と近藤由貴さんのピアノ「トーテンタンツ:リスト」、第2部は、フランスのシブリアン・カツァリス氏のピアノで「ピアノ協奏曲:ショパン」「葬送行進曲:ショパン」「オマージュ:アレンジ曲」。
リストのピアノ曲を生で聴いたのは初めてだったが、超絶的な技巧を持ち「ピアノの魔術師」と呼ばれたリストの曲だけあって、その指使いや力強さは、すごい迫力があった。
他方、リストの親友であったショパンの曲を弾いたカツァリス氏のピアノは、本当に繊細で柔らかく、美しく優しい音色と響きにとても感動し、魅了された。
秋の夕べにピッタリのひとときだった。
2011年4月4日の当ブログで書いた「祭っ娘」。
1991年4月に京都の太鼓センター専属の青少年チームとして発足。小学6年から高校3年までの女の子ばかりの太鼓グループ。
毎年春に、高校を卒業して卒団していく子らを送ることもかねたコンサートがあり、はまってしまって、ここ3年ほど毎年観に行っている。
昨日は、その「祭っ娘」の20周年記念コンサートがあった。
現役の祭っ娘メンバー19名に加え、卒団あるいは退団したOBメンバーも加わり、総勢34名が出演。
はつらつとして元気一杯のバチさばきで、皆、青春がはじけていた。その上、OBメンバーも加わり、大迫力。あっと言う間の2時間だった。
震災後、人とのふれ合いを求めたり、将来の不安から、独身者の結婚志向が強まったという報道はよく目にしていたが、逆に離婚も増えているよう。
震災以降、仙台市の宮城離婚相談所に「離婚したい」との悩みが次々と寄せられている(2011年10月3日付け京都新聞夕刊)。
宮城離婚相談所によると、4月から離婚相談が増え始め、9月中旬までに百数十件に上った。昨年の同時期と比べ4割以上の増加。相談の内訳は、妻と夫から約半数ずつ。
妻からは、夫に以前から抱いていた「自己中心的」「手伝わない」という不信感がほとんどという。
未曾有の大災害を経験して、互いの人間性がはっきりと見えるようになったからでしょうか。
今年も、昨日午前、立命館大学法科大学院(ロースクール)へ、リーガル・クリニック・アドバイザーとして行って来ました。
これは、ロースクール生の勉強の一環として行われています。立命館大学ロースクール主催の「女性のための無料法律相談」で、弁護士が相談を受けるものにロー生が立ち会ったり、ロー生自ら相談を受けたりするのを弁護士が横でアドバイスするというものです。
昨日は、私が法律相談を受ける横で、2~3人のロー生が傍聴していました。
ロー生の皆さんは、実際の法律相談に立ち会うのは昨日が初めてということで、単に傍聴するだけなのに、「ドキドキする」「緊張する」と言っていました。初々しい!
1件目は主に婚姻費用について、2件目は相続の相談でした。
1件目の相談は、民法の分野以外に、税金や年金などロー生が勉強していない分野にも話が発展したので、実際の法律相談は大変だなあと実感されたようでした。
頑張ってください!
今週は、反原発の話を聴く機会が続いている。
昨夜は、来年の京都市長選挙への出馬を表明されている中村和雄弁護士を市長にする弁護士有志の会の結成総会が開かれ、原発問題の政策を学ぶため、大島堅一教授の講演があった。
大島教授は、環境経済などを専門とされている若手の学者。3.11後あちこちでひっぱりだことなり、国会で証言もされている。
京都と原発との関係では、14基の大原発群を抱える福井県から60キロ圏内にある京都市が脱原発宣言をすることは重要であることを強調された。
また財界が、原発がなくなると企業は海外に移ってしまうとか、コスト増になるとかなどと言っていることがいかにデタラメかを明快に語られた。
12月には岩波新書から「原発コスト」という本が出版されるとのことで、待ち遠しい。
また、京都から、脱原発市長誕生を是非とも実現したい。
昨夜は、井戸謙一元裁判官(現在、滋賀弁護士会所属)の講演があった。これまで、新聞記事などのインタビュー記事は目にしていたが、是非、直接、話を聞きたかった。
井戸さんは、京都地裁においても長く裁判官として仕事をされ、私もいくつかの裁判を担当してもらったことがあった。
講演の骨子は、①志賀原発2号機運転差止め訴訟判決の話、②弁護士として現在関わっておられる、ふくしま集団疎開裁判と若狭原発再稼働禁止仮処分の話、そして③思い出の判決の話。
終始、淡々と語られ、原発差止め判決についても、審理を通じて自然に出た結論であって、特段思い切って出したわけではない、と言われた。
差止めが「自然に出た結論」と言い切れるところに、井戸さんの素晴らしい感性・人間性があると思った。
また、本年3月12~15日までの間は国は放射性物質の拡散の情報を一切公開せずに国民を被爆させるに任せたことや一般の放射線年間許容量をほとんど説明もなく20ミリシーベルトに上げたことなど怒りを持って語られた。
最後に、「裁判官生活の感想」として、原発差止め判決はもとより、住基ネットの個人情報削除判決など、井戸さんが「これは」と思う判決は、ほとんど上級審で取り消されたが、1人の生身の人間として信じるところに従って仕事ができ、楽しい裁判官生活だったとおっしゃった。
わたしたち弁護士も、裁判官の心を動かすような仕事をしなければ、とあらためて思った。
9月23日から25日の連休、早月(はやつき)尾根から剣岳へ登り、室堂へ下山するというコースを歩いた。
剣岳登山の一般ルートは室堂からの往復で、私も初めて剣岳に登頂した時は、そのルートで登った。カニのタテバイ、カニのヨコバイなどの危険箇所が有名である。
早月尾根は、登山口の馬場島(ばんばじま)が剣岳の西側に位置し、馬場島(750M)と劔岳(2999M)との標高差が2200Mあるので、利用する登山者は少ない。しかも急登である。でも山仲間から誘われ、行ってみることにした。
立山は、23日初冠雪。
24日午前8時40分登山開始。今日は早月小屋(2210M)まで。
すぐに急登である。
途中、平らな道もあるが、基本的には急登の連続。最初は快調だったが、もう歩けないと思った1800M辺りで昼食となった。
あまり空腹感はなかったが、どうやら「しゃりバテ」だったようで、昼食後は再び元気となり、そのままのペースで午後2時早月小屋に到着した。
天候は快晴で、剣岳はもとより、360度の展望である。夕日も素晴らしかった。
25日は、午前3時50分出発。気温は零度。登山道は霜や氷、つららなどがあり、霜を踏みしめながら登って行く。
樹林帯を抜けた頃、空が白み始め、そこで朝食用のパンとスープを食べる。そこからは岩場の連続で、途中何カ所か鎖場もあり、気が抜けない。午前7時40分剱岳山頂着。
剣岳山頂には、室堂側からのたくさんの登山者でにぎわっていた。今日も快晴で360度の展望。槍ヶ岳も見える。絶景である。
帰りの電車の時間があるので、早々に下山開始。
ところが、下山ルートが厳しかった。下山はカニのヨコバイを通過するが、それ以外にも危険箇所が何度もあり、アップダウンも続き、かなりへばった。
最初に劔岳に登った時は、まだ30代で、しかも剣山荘にリュックを置いて空身で登った。
しかし、今回は、重いリュックを背負い、剣岳までの標高差2200Mを登った上での下山である。
50代の身体にはきつかった。また剣山荘から室堂までの距離もかなり長くつらかった。
快晴の素晴らしい景色を堪能したものの、足に痛みが残るハードな山行きだった。
過去、原発の運転差止めなどを求める裁判で、それを認めなかった(=住民敗訴)裁判官たちが、3月11日以降、どのような思いでいるのか知りたかった。
毎日新聞は、過去の主な14件の訴訟に関わった元裁判官36人に取材を依頼し、10人が取材に応じたとのこと(2011年9月17日付け毎日新聞朝刊)。裁判官経験者が個人的思いを語るのは異例のこと。
1992年に確定した福島第2原発1号機訴訟の2審担当・木原幹郎弁護士「理系のスタッフがいるわけでもなく、(審理は)とにかく難しかった」
2000年に確定した同3号機訴訟の2審担当・鬼頭季郎弁護士「原発を止めればコストがかかる。原発推進の社会的・政治的要請の中、司法が足を引っ張るような判断ができるのか」
2000年に確定した石川志賀原発1号機の2審担当の元裁判官「法と証拠に基づいて判断した。個人的見解や政治的意見で判決したのではない」
1993年確定の福井高浜原発訴訟の1審担当・海保寛弁護士「今度の事故を目のあたりにすると、認識は甘かったと感じる」
元最高裁判事「まず国会や行政手続きで国民が納得できるような議論をすべきだ」
多くの元裁判官は、原発の司法判断の困難さを指摘しているという印象を受けた。
来週、京都では、石川志賀原発2号機訴訟で運転差止めを認めた元裁判官井戸謙一弁護士(滋賀弁護士会)の講演会が予定されている。井戸さんは、既にあちこちのマスコミで思いを語っておられるが、なぜ英断を下すことができたのか、その思いを直接聞いてみようと思う。
すごい!
昨日、東京の明治公園で開かれた「さようなら原発5万人集会」。「5万人」と銘打って開かれた集会だったが、実に6万人の参加者が集まった。公園内だけでなく、周辺にも人があふれ、身動きできないほどだったとか。明治公園にこれだけの人が集まるのは数十年ぶり。
ところで、今回も、マスコミの報道の仕方が実に恣意的であることを痛感した。
今朝の関西の各新聞。これだけの大規模な反原発の集会であったにもかかわらず、一面で取り上げたのは、毎日新聞と京都新聞だけ。両紙は社会面でも関連記事を掲載していた。他方、最近とみに評判の悪い朝日新聞は、32面に小さい囲み記事だけ。読売新聞には記事を見つけることすらできなかった。
NHKテレビも、正面から取り上げたのは、昨日の午後6時のニュースだけ。
マスコミって、こんなもん。
2011年5月10日付けブログで書いた、幼馴染のshocoさんと、今日、「ん十年ぶり」に再会した。
shocoさんが18日に京都の会合に来るということで連絡をもらい、19日の朝、一緒に朝食を食べながらおしゃべりすることになった(なんと健康的な!)。
出掛ける間際になって、何を着て行こうか迷った。名古屋の某大企業で働くshocoさん。会合って言ってたし、パリッとしたスーツを着て来るのかな?普段着で行ったら、釣り合わへんかな・・・・でも、まっ、いっか・・・ということで、Tシャツにクロップドパンツという普段着姿のままで出掛けた。
待ち合わせの場所にやって来たshocoさんは、Tシャツにジーンズ、そしてリュックを背負い、きわめてラフな服装で登場。一瞬で「ん十年」前に時間が戻った。
そして「ん十年」という長い年月において彼女が体験した様々な話は、とても刺激的だった。
仕事や生活などの環境は違っても、こうして同年代の友人と刺激し合って年を重ねていくのもいいもんだと思った。
再会に乾杯!
マスコミは、意図的にあまり取り上げないが、全国各地で市民による反原発の動きが高まっている。
京都では、9月11日、1600人が集まって「バイバイ原発パレード」が行われた。また、東京では、9月19日午後1時から明治公園で、大江健三郎さんや坂本龍一さんらが呼びかけ人となった反原発集会とパレード(5万人規模)が開かれる。
ところで、岐阜高校を卒業した私の同級生の有志の間にはメーリングリストがあって、全国各地に住む同級生らがメールによって様々なコミュニケーションを行っている。もちろん3月11日以降は、震災や原発に関する話題もとびかっていた。
そんな中、東京での9月19日の集会に行こうという呼びかけのメールもあって、なんか、とっても嬉しかった。
「さようなら原発1000万人アクション」というホームページを見ると、全国各地で様々な集会や行動あるいは反原発署名などが実施・計画されている。
声を上げていくことが大切。
自分ができるところから!