所属している法律家団体の全国総会が、10月21-22日、静岡県で開催されたため、帰途、山梨県にまわり、山梨百名山の1つ毛無山(けなしやま。1946M)に登ってきた。
今回は、京都の山仲間だけでなく、神奈川のN弁護士も一緒に。
毛無山は、山梨県側には、JR身延線沿線の下部温泉の近くに登山口がある。
最初、林道から登山口の看板を見落としたため、登山口を探すのに30分ほどロスした。
登山口からはひたすら樹林帯の中のジグザグ道を登っていく。
戦国時代、この毛無山の中腹には湯之奥金山があり、当時、山中には、3000軒もの集落が存在し、ゴールドラッシュの熱気に包まれていたらしい。
登山道の途中に「大名屋敷跡」「女郎屋敷跡」という看板が設置されており、こんな険しい山中に人が住んでいたのかと驚くばかりだった。
ずっとうっそうとした木々の間を登っていくと、突然、目の前が開け、巨大な富士山が姿を現した。地蔵峠である。思わず「うわー!」と叫ぶ。
空気が澄んでいるのか、かすみや雲もかからず、くっきりと素晴らしい富士山が目の前にあった。
しばし撮影タイム。
その後はまたひたすら急登を登る。
約2時間半かけてやっと山頂に到着。そして山頂でも富士山をひたすら撮りまくる。
快晴だが、さすがに秋の山なので、ジッとしていると寒い。
下山は、走るように下った。
宿泊は、もちろん武田信玄の隠し湯と言われた下部温泉で、ゆっくり身体を休めた。
ブログ マチベンの日々
元依頼者Iさんから、「1度、行ってみたいね」と話していたスイーツの店へ「土曜に行ってみませんか?」というお誘いがあった。
その時は、土曜日も処理しなければならない仕事があったので、1度はお断りしたが、金曜の夜と土曜の朝に頑張って仕事をしたので、今日午後から一緒に行ってみることになった。
ところがである。
土日月しか開店していないその店は、本日、臨時休業!
「ショック~」と言いながら、Iさんお薦めの松ヶ崎にある和風喫茶へ連れて行ってもらった。
「ちゃ.ごころ小花.」という名前の店。
名前の「OHANA」とはハワイ語で「家族」を意味するとのこと。有機・無農薬・無添加というこだわりもあって、からだに優しい美味しさをめざしている。
店内には花がたくさん飾ってあって、しつらいは女性好みの可愛らしい店。
メニューもイラストの入った手書きで、こちらも可愛い。
「OHANAパフェ」(630円)を食べた。
久しぶりのパフェだったが、抹茶もたくさん入っていて、今日のような少し汗ばむ秋晴れの気候にはピッタリだった。
パフェを食した後は、カロリー消費のため、ちゃんと御所1周(4キロ)をジョギングしました。
10月の声を聞くと、街の書店やデパートなどには、2013年度の新しい手帳が並ぶ。
今年も、もうあと2ヶ月しかないんや・・・・・
弁護士にとっては、日々のスケジュール管理をする手帳は必須アイテム。
どんな手帳を使うかは人それぞれで、最近の若い弁護士は、スマートホンなどの電子機器でスケジュール管理をしている人も多い。
今日、来年の手帳を買って来た。
アナログ人間の私は、来年度ももちろん手書きの手帳である。
私は1998年まではA5版の能率手帳を使っていた。
でも、少し重いし、女性用のハンドバッグに入らないので、1999年からしばらくは高橋書店のB6版の手帳を使った。
当時、能率手帳にはB6版がなかったのだが、「B6版の能率手帳があったらいいのに」とアンケートに書いたら、それが本当に実現してしまった。
だから、2006年からB6版の能率手帳を使ってきた。
今年も書店でたくさんの手帳を見比べていたら、能率手帳の「ベルノ」という新商品が発売されていた。
日々のスケジュール欄が縦で、右ページに適度なメモ欄がついている。もちろんB6。
来年は、これを使ってみることにした。
新しい手帳に文字を書き込んでいくことは、何かとてもワクワクした思いがする。
オーバーな表現をすると、自分の歴史を刻んでいくような・・・・
これは、電子機器では味わえない感覚だろうな。
手書き手帳は、やめられない。
なんという女性差別なんだろう。
福島原発事故で避難指示を受けた被災者への精神的賠償をめぐり、避難生活中に結婚した複数の女性への支給を「結婚で生活基盤が整った」として東電が打ち切ったことがわかった(2012年10月17日毎日新聞)。
「結婚した複数の女性」とあるから、これが例外的な扱いではなく、東電の方針であることは明らか。
女性の母親は「賠償が欲しければ、女は結婚するなということですか」と憤る。
結婚によって長期的避難生活の精神的苦痛がなくなるはずがないし、それが女性に対してだけ、というのが、いかにも東電の前近代的体質を物語っている。
即刻、撤回されるべき!
数年前にテレビで、船窪小屋(2012年8月21・23日付けブログ参照)とともに「天空の宿」として紹介された「蓮華温泉」。
新潟県糸魚川市の標高1475Mにある山小屋である。
その蓮華温泉に、紅葉の山歩きを楽しむため10月6日、出かけた。
蓮華温泉までは、3月から10月まで車で行くことができる。
ここには、1991年8月にも1度訪れたことがあった。
まだ登山を始めたばかりの頃で、白馬岳から朝日岳へと縦走し、朝日小屋で泊まった後、朝日岳から五輪尾根を下った後、また蓮華温泉まで登り返し、ヘトヘトになってたどりついた。
山小屋とは言っても、造りのしっかりした、ちょっとした温泉宿であある。
「蓮華温泉」は、なんと言っても、山の中で入れる野天風呂が有名である。
露天ではなく、野天。文字どおり山の中にある。
現在、4カ所に野天風呂があるが、「薬師の湯」と「仙気の湯」の眺望が抜群である。
登山で疲れ、汗にまみれた身体を癒すには絶好。
でも1991年に来た時は、水着を持っていなかったので、野天風呂には入れず、泣く泣く内湯で汗を流した。
10月6日は、あいにく雲がかかったりの天候ではあったが、紅葉で染まりつつある朝日岳の山容がなんとか見え隠れする。
今日はもちろん水着持参。部屋で水着に着替えて、上から服を着て、小屋から山道を登ること、10分ほど。
「仙気の湯」には先客の若いカップルがいたので、もっとも標高の高い所にある「薬師の湯」まで登る。
水を足しているわけでもなく、ちょうどいい湯加減である。
これぞ、まさしく極楽、極楽。
と思っていたら、あとから先ほどの若いカップルが「薬師の湯」へやってきたので、お邪魔虫にならぬよう早々に退散。
あ~あ、弱気な私・・・
とてもショッキングなニュース。今朝の京都新聞の1面の記事だった。
私が初めて劇団四季のミュージカルを観たのは、もう20年くらい前だったと思う。
友人に誘われ、大阪で初めて観た「キャッツ」。
座席の横から次々と「猫」が飛び出してくる演出。
「猫」としか思えないような動きやダンス。
とても圧倒され感動した。そこいらの芸能人のミュージカルとは明らかに違うと思った。
それ以来、四季にはまり、当時、近郊では大阪しか劇場がなかったため、何回か大阪まで足をはこんだ。
だから、2002年1月から京都駅ビル内の京都劇場で常時、四季が観られると知った時はとても嬉しかった。
それが今年10月8日千秋楽の公演が最後にになってしまうことは、残念でならない。
収益の減少が理由ではないとの四季側の見解が掲載されていたが、やはり観客動員数が減少していることは否めないだろう。
劇団四季自体がなくなってしまうわけではないから、これからも公演を観ることはできる。
でも、日本全体の不況が、国民からこのような文化や芸術に親しむ機会さえも奪っていることがとても悲しい。
新生銀行が2012年「サラリーマンお小遣い調査」結果を発表した。
その中で、サラリーマン男性の1回の昼食代が平均510円で、30年前の水準まで下がった(昭和54年は545円)とNHKのWEBニュースが取り上げていた。
昭和54年というと、私はまだ大学生で司法試験浪人をしていた。
当時、大学生協の食堂では、みそ汁が10円、カレーライスが110円くらいだったという記憶だから、サラリーマンはすごく贅沢な昼食をしていたんだなあと思った。
ところで、弁護士の昼食事情であるが、まず、食べる時間は決められているわけではないので、適当に空いた時間に食べる。
ただ、あまり「食べること」に執着のない弁護士は、ついつい仕事に追われ、昼食抜きや軽くパンで済ますということもある。
私は、「食べること」に執着がある方なので、毎日のスケジュールの中で、昼食時間はそれなりに確保している。それでも、裁判が延びたりすると、パンを5分くらいで食べるというようなことも時々はある。
昼食は、弁当を買って来て事務所で食べるか、近くの食堂で食べるかのいずれかである。
値段は、日によって異なるが、だいたい500~650円くらいだから、近頃のサラリーマンよりは少しだけ高い。
私は、女性の依頼者が多いので、たま~に、打ち合わせのついでに「お昼に食べてください」と言って炊き込みご飯を持って来られたり、「夕飯に食べて」とおかずを作って来られたりする。
そんな時は、手作り料理が食べられてとても嬉しい。
男性弁護士では、こんなことないだろう。
女性弁護士冥利につきる瞬間である。
先日登った山の常念小屋では、時間がたっぷりあったので、山の雑誌を読んだりして時間をつぶしていたのだが、そこに漫画「美味しんぼ」も置いてあった。
「美味しんぼ」は、0弁護士と、同じ京都法律事務所で仕事をしていた頃は、頻繁に借りて読んでいた。
山小屋でたまたま手に取った「美味しんぼ」の内容は、「朝食対決」。
栗田ゆう子が提供した朝食メニューは意外にもモーニングブレッドで、中でもバターがすごくおいしい。その理由は、手作りバターだったから、という話。
バターが簡単に作れることは知っていたが、それまでは自分で作ってみようなどと思ってもみなかった。
「そんなにおいしいなら」と思い立ち、早速ネットで作り方を調べた。
生クリーム(乳脂肪分45%くらいのもの)と塩少々を500mlの空きペットボトルの容器に入れて、ひたすらカシャカシャと振るだけ。
5分くらいで変化があらわれ、更に5分ほど振ると、水分と固体に分離するので、その水分を捨て、ペットボトルをハサミで切って取り出せばできあがり。
味はあまり市販のバターと変わらないが、柔らかくなめらか。
本当に振るだけでバターができるのかしら、と半信半疑で振ってみたが、たったの10分でバターができるなんて本当に驚きだった。
9月16日の行程は、常念岳の手前にある常念小屋まで。
快晴の下での山歩きは最高!
途中、大天井岳(おてんしょうだけ。2922m)を通過していくのだが、この山は、今回のコースでは最高点で、槍ヶ岳へ向かうコースとの分岐点に位置する山でもある。
燕山荘を出発し、まもなく「大下りの頭」(2678m)から急坂を下り、その後、大天井岳山頂すぐにある小屋まで上り返す。最後はヘトヘト。
でも大天井岳山頂まで往復した後、小屋でカレーライスを食べたら、元気回復。
しばらく小屋周辺でブラブラしていたところ、例のツアー一行48名が小屋に到着。
あ~あ、今夜の常念小屋も一緒なんだ・・・・
その後は、また快適な稜線歩き。
午後1時過ぎには常念小屋に着き、またしても今夜も畳1畳に2人ということを知る。
翌17日は、台風が九州に上陸した影響か、朝からガスがかかり、風も強い。
常念岳山頂は、風が激しく吹いており、写真だけ撮って、早々に下山する。
常念岳下山中に徐々にガスが切れていき、振り返ると、常念岳の山容が綺麗に望めるようになってきた。
人が多かったのも常念岳山頂まで。山頂を越すと、登山者は大幅に減った。
その後、蝶槍まで上り返し、それから蝶ガ岳ヒュッテまでは、ほぼ平行移動の歩き。
蝶ガ岳ヒュッテで昼食を食べた後、安曇野側の三股登山口へ下山した。
北アルプスでは、ナナカマドは赤い実をつけていたが、秋と言うには、まだ早かったし、暑かった。
よく歩いた3日間で足はクタクタになったが、(人の多さを除けば)快適な山歩きだった。
9月16日・17日の連休はマアマアの天気予報だったので、15日土曜、北アルプスの燕岳(つばくろだけ)から蝶ガ岳までの縦走に出かけた。
このコースは、2000年夏にも歩いたことがあった。
天候が良ければ、槍や穂高などを一望しながら稜線歩きができる素晴らしいコースである。
1日目は、中房温泉登山口から合戦尾根を登り燕山荘(えんざんそう)まで。
高速道路が混んでいたため、予定より大幅に遅れて登山口には午後1時頃に到着。
昼食はコンビニ弁当ですませる。
登山口に近づくにつれ、車道の両脇には、駐車場に入ることができなかった車がたくさん違法駐車されている。山の上も、なんだか混んでそうな予感・・・
登っていくと、ツアーの一団を追い抜く。なんと総勢48人のツアーだと。
今夜の燕山荘の混雑を考えると更にユーツになった。
燕山荘には、午後4時半過ぎに到着。小屋周辺はガスがかかり、眺望なし。
予想どおり、人、人、人で銀座並み(?)の混雑。
燕岳(2763m)は、北アルプス入門の山で、人気が高い。山ガールも一杯。
部屋は、2人で畳1畳分が割り当てられ、夕食は6回目の午後8時20分。
私は、これまで可能な限り混雑時期をはずして登山をしてきたので、こんな混雑は、久しぶりである。日の選択を誤ったと後悔しきり。
でも、こんなに混んでいても、夕食時、燕山荘のオーナーが自慢のスイスホルンを吹いて披露してくれた。
翌16日は、天候も良く、360度の素晴らしい展望である。
この景色があるから山はやめられない。
常念小屋をめざし、右に槍ヶ岳や穂高岳、左には遠く富士山を眺めながら、尾根道を歩く。
やっと来て良かったと思った。
(続く)
依頼者Yさんから、フルーツパーラークリケットのフルーツゼリーをいただいた。
フルーツパーラークリケットは、平野神社の近くにあるフルーツ屋さんで、1974年創業というから、40年弱の歴史がある店だ。
若い頃、立命館大学衣笠校に用があって行くついでに立ち寄って食べたフルーツサンドがとてもおいしかったという記憶が残っている。
さて、いただいたフルーツゼリーは、グレープフルーツの中身をくり抜いた皮の部分にゼリーが入っており、そのゼリーの上に、皮のフタの部分についているグレープフルーツの果肉をしぼって果汁を入れ、更に、生クリームをのせて食べるというもの。
1個630円とお高いので、たびたびは食べられないが、これまで食べたどのゼリーよりもおいしい!
いつか近くに行く機会があれば、懐かしいフルーツサンドも食べてみよう。
twitter上で石原幹事長の「ナマポ」発言の話題が飛び交っている。
「ナマポ」って何?
発端は、石原幹事長は、昨日、自民党の総裁選に出馬表明したこともあり、昨日のテレビ「報道ステーション」に生出演したようだ。
「ナマポ」とは、そこで出た発言。
インターネットで得たにわか知識によると、これはネット上で主に若者の間で使用されている「生活保護」の「生保」を読み替えた言葉で、揶揄、侮蔑、軽蔑などのニュアンスを含んでいるよう。
おそらく石原幹事長としては、若者受けを狙ってこの言葉を使ったのかもしれないが、一国の総理大臣をめざそうとする人間であれば、1つ1つの言葉でも、TPOに応じた使い方をすべきである。
麻生元総理が「未曾有」を「みぞゆう」と読み間違えたというおそまつな笑い話ではすまされない気がする。
ところで、数ヶ月前、ある若い裁判官が、面会交流のことを省略して「めんこう」と言っていた。
初めて聞いたので、一瞬「エッ、何?」と思ったが、すぐに面会交流のことを言っていると気が付いた。
裁判所内でそのような略語が使用されているのかどうかはわからないが、「めんこう」は、なんとなく「えんこう」→「援助交際」を連想させるので、もし当事者が聞いたら、どう思うだろうと考えた。
私たちも気を付けないと・・・・・
毎年この時期になると、立命館大学法科大学院では、リーガルクリニックⅡが開講される。
リーガルクリニックとは、法科大学院の院生が実習として行う法律相談で、私は、数年前から、離婚や相続、セクハラなど、女性が社会や家庭におてい直面する問題を専門に扱う「リーガルクリニックⅡ女性と人権」のアドバイザーとしてお手伝いしている。
相談時間は1時間以内と他の機関の法律相談よりは長く、しかも無料なので、おトクである。
私は、8月25日と9月8日の2回参加し、8月は私が相談を聞いて院生が傍聴する、9月は院生が相談を聞いて私が必要に応じてアドバイスをするという形式だった。
院生による相談の場合には、院生2人1組であるが、始まる前、皆一様に「緊張する」と言っていた。
相談内容の概要はあらかじめ伝えられており、院生も事前に勉強してきているようだが、実際の相談がそれと異なる内容になると、なかなか対応ができず、教科書的な問答になってしまうという印象を持った。法律実務の経験も社会経験もないのでやむを得ない。
相談終了後、私と院生2人とで意見交換する機会があるが、「どうしたら、うまく法律相談が受けられるか何かコツがありますか?」と尋ねられたので、「数をこなすしかないね」と答えた。
院生の皆さん、頑張ってください。
9月5日付け京都新聞夕刊「現代のことば」で上野千鶴子さんが書かれた「『なでしこ』たちを待つ日本のお寒い事情」を興味深く読んだ。
ロンドン・オリンピックで日本勢が獲得したメダル38個のうち17個が女子の力による。「女子力がひときわ炸裂した夏」
「なでしこジャパン」という名前の「従順でおとなしいやまとなでしこ」というイメージに、私自身もかつては不快感を感じたが、上野さんは「『ナデシコ』はいまや闘志とがんばりの代名詞」となったと言う。
「女子力」という言葉も同じ。もともと男受けのする女性性偏差値の高さをあらわす言葉だったが、今や、言葉どおりの、「女子」の「力」=「女子が発揮するパワー」という意味が伝わってきている。
「ことばは生きものだ」「それでいい」
「それにしても」とジェンダー研究の第一人者である上野さんは続ける。「ロンドンから帰還した彼女たちを迎える日本の状況は、女には冷たく、寒い」
「女性の非正規就労率は55%と半分以上」
「女性差別の度合いを示すジェンダー・ギャップ指数では世界135カ国中98位」
「男女賃金格差は男性100に対し女性は67.8」
女の努力が報われる社会でなけれればならない。
6月に関電から送られてきた「万が一の場合の計画停電」のお知らせ。
もし停電になったら、法律相談や打合せは、どうしよう。電話も使えないし。
裁判所はどうするんやろ?などと、色々考えた。
(でも、なぜか、この通知は、事務所には届いたが、行政区の異なる自宅には配達されなかった。)
そんな中で、野田内閣は、福井県・大飯原発再稼働にゴーサイン。
クーラーはつけても設定温度は28度、コンセントはこまめに抜く、など例年以上に節電に心がけた。
ところがである。
この夏の猛暑の中、企業や家庭の節電などによって、電力需要のピーク(2682万キロワット)は関電予測の90%以下。
他方、原発以外による電力供給は関電の予測より大きく、最大2946万キロワットに。
大飯原発を再稼働しなくても、電気は足りたのである。
全国的にみても、この夏、大飯原発以外は1基も原発は動いていないが、原発なしで電力需要ピーク時でも足りていたのである。
電力が足りない、というのが「脅し」であったことがはっきりした。
そんな中、財界が次に持ち出しているのが「原発がないと国際競争力が低下する」。
しかし、例えば、省エネや自然エネルギーを進めているドイツなどでは新たな雇用が生まれている。
原発に頼る経済はもはや時代遅れである。
私たちが求めているのは、原発ゼロにすることの確認とそれに向けた道筋であり、そのためにはどんな協力でも惜しまない。
私が船窪小屋に泊まった8月17日には、小屋には、松澤さん夫婦以外に、3人の従業員が働いていた。
1人目は、ネパール人のペンパさん。
3ヶ月のビザで日本に滞在し、小屋を手伝っている。
2人目は、到着した時、鐘を鳴らしてくれた青年。
ペンパさんが不在の時、皆は、彼がネパール人だと思っていた。夕食後、自分でも「僕は、ニセ・ネパール人です」と言って笑わせていた。
彼は、山梨に住む山好きの青年で、1週間だけ手伝いに来ていると言っていた。
3人目が、オトキさん。
山小屋の従業員で、こんなに綺麗な女性に会ったのは初めて。
女優に例えるなら、鈴木京香??
笑顔で夕食のおかずを1つ1つ丁寧に説明してくれるので、恐縮してしまった。
彼女は、昨年から船窪小屋で働いているとのこと。
それまでは、仕事をしながら、タイやネパールを旅行したりしていたが、昨年の震災を機に
思い切って仕事を辞め、(山は初心者なのに)山小屋で働こうと思い、偶然、船窪小屋と出会ったと語っていた。
電気も水もない船窪小屋の生活は自分にピッタリと言う。
若いからできるだろうか、羨ましいなあ。
私も山小屋のオバサンになりたいなあ・・・・
8月17日から19日まで、北アルプスの七倉ダム登山口から入山し、針ノ木岳(2821M)まで縦走した。
もちろん山を歩くことが目的ではあったが、今回は、もう1つ、船窪小屋のおかあさん松澤寿子さんに会いに行くこともあった。
山仲間のA・F両弁護士が2009年に船窪小屋に泊まり、「この小屋はいい!」と薦められていたこと、そして昨年のテレビ番組「天空の小屋へ」で船窪小屋が放映されたこともあり、是非、船窪小屋へ泊まり、そこのおかあさんとおとうさんに会いたかった。
船窪小屋は、電気も水もなく、「ランプの小屋」と呼ばれ、70代の松澤さん夫婦が営んでいる。
船窪小屋は、七倉岳(2509M)の山頂付近にあるが、どこから入山してもたどり着くためのルートは遠くしかも厳しい。
テレビ番組では、小野寺昭と伊吹吾郎が七倉ダムの登山口から登っており、私たちもそこから入山した。標高差約1400Mの登りである。
俳優2人が登ったのだから「軽い」と思っていたのが大間違い。
急登・直登の連続で、今までの登りの中でも一番きついと感じられた。
やっと船窪小屋に到着すると、従業員の青年が鐘を鳴らしてお出迎え。そして、すぐに暖かいお茶を出してくれた。ホッ!
先に着いた登山者らが、囲炉裏を囲んで談笑している。
夕食は、山小屋の料理と思えないほど豪華。あざみの天ぷら、かき揚げ、生春巻き、サラダ、冷や奴と蕗味噌、みそ汁、古代米のご飯など。もちろん完食。
夕食後は、囲炉裏を囲んで、松澤さん夫婦も交じり宿泊者の自己紹介。
ほとんどの人が、おかあさん目当てで来ている。
ネパール人従業員のペンパさんがネパールティーをふるまってくれた。
船窪小屋は、来年60周年を迎え、おかあさんは喜寿になるとのこと。
翌朝、出発の時、おかあさんが鐘を鳴らして見送ってくれた。
あったかい小屋。リピーターが多いはず。
また、行きますからね。喜寿になっても元気で続けてくださいね。
昨年11月に生まれて初めて行った料理教室、「玄米キッチンsimple-lifeお料理教室」(2011年11月25日付けブログを参照してください)。
少人数で家庭的、しかも場所も近いところが気に入って是非また参加したいと思ったが、それ以後、事務所開設の準備やら開設後のバタバタやらで、なかなか行くことができなかった。
ようやく8月に2回目の参加が実現できた。
8月のメニューは、
・玄米のジェノベーゼサラダ
・トマトの冷製パスタ
・カボチャと豆腐のキッシュ
今回は、8名の参加者。先生の教えの下、皆で少しずつ交代で調理していく。
ジェノベーゼソースは、いつも市販のものばかり使っていたが、こうやって作るのか・・・
冷製パスタのトマトソースは甘くてスープみたい・・・
キッシュにも初挑戦。
地球にも人にも優しいオーガニックライフは、見たり聞いたりはするものの、実際に、先生の言葉で語られると、少しは実践してみようかなあと思うから不思議。
「実は、先日、京都新聞の取材があって、8月15日の朝刊に載るんですよ」と先生。
本日の京都新聞の朝刊の「オーガニックライフの魅力」という特集の中で教室の様子も紹介されていた。
オーガニックライフ、素敵です。
以前、NHK「ためしてガッテン」を観て、蒸し野菜は、低温(50~60℃)で作る方が野菜がシャキシャキして美味しいことを知った。
でも、なかなか低温を保つことは難しく、低温調理には興味はあったが、実行できなかった。
最近、書店で「50℃洗い」の本が何冊か置いてあったので、「50℃洗いのすべてがわかる本」(マキノ出版)を1冊買ってみた。
野菜から果物、肉・魚までそのほとんどを50℃のお湯で洗う。驚き!
本によると、50℃洗いの利点は、
①鮮度がよくなり、保存性が高まる
②アクや臭みが消え、旨味が増す
③甘味が増す
④表面についた汚れなどが落ち、色つやがよくなる
⑤肉や魚は、雑味の元である酸化物が落ちる
ちなみに、42~43℃に下がると、逆に雑菌が繁殖してしまうとのこと。
本には、食材別にどのように何分洗ったら良いのか書かれてあるので、とても便利。
本の付録として50℃がわかる特性温度計も付いていたが、わが家の給湯器は「50℃」という温度設定もできるので、実行しやすい条件が整っている。
早速、ためしてみた。
50℃のお湯であれば、素手で洗うことができる。
一番効果がわかるのは、生野菜。
本当にシャキシャキよみがえる。
私は始めたばかりで、未だ挑戦中だが、皆さんも是非1度試してみてください。
今年も、青森では、8月2日から「ねぶた祭り」が始まった(8月7日まで)。
私は、青森県とは縁もゆかりもないが、「ねぶた祭り」と聞くと、なんとなく心がはやる。
実は、10数年前に青森出身の友人に連れて行ってもらい、初めて「ねぶた祭り」を見た時から、その迫力と面白さに圧倒され、これまでに合計3回も見に行っている。
「ねぶた祭り」は、坂上田村麻呂が蝦夷征伐で勝って凱旋して来た時の勝利の祭りらしい。
初めて行った時は、青森市内の友人の親戚の家に泊めてもらい、「ハネト」の衣装を着せてもらって、「ねぶた」と一緒の列の中で、「らっせら~、らっせら~」と歌いながらハネた。
「ねぶた」の大きさと迫力に目を見張り、また参加型の祭りってオモロイなあと実感した。
同じ時期(8月1~7日)、弘前でも「ねぷた祭り」が開催されている。
なぜ、青森は「ぶ」と発音し、弘前は「ぷ」と発音するかはわからない。
「弘前ねぷた」は、坂上田村麻呂が蝦夷征伐にでかける時の祭りということで、勝利して凱旋した時の「青森ねぶた」と比べると、やや静かであるが、その情緒がとても好きで、もし「ねぶた」に行かれることがあれば、是非、「弘前ねぷた」も見てほしい。
青森には、もう1つ。五所川原市に「立ちねぶた」という祭りがある。
まだ見たことがないので、これも、是非見てみたいものだ。